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貴方はどういう場合に人を褒めますか?
20代後半の独身男性です。 人が人を褒めるとき、 それはどういうつもりで人を褒めるのでしょうか。 褒める人の心理状態は純粋に褒めているのか、、 嫉妬の裏返しからくる屈折した賞賛なのか、 それとも、気に入らないが、とりあえず褒めておけば、 大抵の人は喜ぶだろうからとりあえず褒めておけばよいだろうと いう人を虚仮にした態度なのか。 そのほとんどは単なる社交辞令であったり、 機嫌取りのお世辞であったりするものが殆どでしょう。 しかしながら、私は褒められることが苦痛で仕方がないです。 お前は私を馬鹿にしているのかと、腹が立ちます。 最近は過剰に反応して、逆に怒り出す始末です。 「本当にそう思って言っているのか?適当なことを言ってるだけだろう。」と。 かといって、道徳に反し、忌み嫌われるであろうことを、 自ら行うこともできないでいます。 なぜ、素直に褒められることを喜べないのか。 その原因は、女性との付き合いの経験が少ないことによる コンプレックスです。 いくら褒められたところで、私は彼女の一人もいないし、 魅力があって褒めるならば、彼女の一人ぐらいいてもおかしくないだろう というのが言い訳です。 これまでの人生のなかで関わりのある人達、 それは、小・中・高・大・院の先生であり、 会社の上司、先輩、同僚、後輩、近所の人 親戚の叔父・叔母、友達・・・ 彼らは、どういうつもりなのでしょうか。 うんざりしています。 しかし実は私に全面的に非があって、 それによる裏返しの賞賛にすぎないことは十分に考えられます。 唯、個人的には本当に賞賛する気持ちがあるなら、心内に留めておいて欲しいです。 貴方はどういう場合に人を褒めますか? 貴方が人を褒めるケースとそのときの心理状態を教えてほしいです。 どうかよろしくお願いします。
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>なぜ、素直に褒められることを喜べないのか。 その原因は、女性との付き合いの経験が少ないことによる コンプレックスです。 そういうのを、屁理屈、皮肉やさん、あまのじゃく、、、とかいいます。 簡単にいえば、素直じゃない、自己保守、傷つくのが怖いから、若干20歳のくせに、人生の全てがわかったような じーーーさんみたいな卑屈さを 感じられてしまっている、、、 実に損な性格ですよ。 女性にモテたいとか、おつきあいを経験したい、、、これが本音 それで偏屈さんになっているんなら、その鎧をはずしてみる勇気を持つ事です。 ほめられたことに逆切れ、怒り出すなんて、負のスパイラルにはまっているということに気づかなきゃ。 恋する人は、どこか輝いて、とてもふだんブサイクといわれて来た人たちだろうと、一生に何度か、モテ期というのがあり、輝くもんなんです。 それを、いちいち皮肉に返してたら、嫌われる。 ほめられたら、皮肉だろうと、嫌味だろうと、ありがとう、、、それでいい。 他人のすることですから、他人の行動には自由があるし、そこまで管理できないのですよ。 あなただって、ことごとくあなたの自主性でしていることについてダメだしされたら、自信はなくなるし、干渉されたくない、と思うでしょう? あなたに似た感じの人の例を1つ あげてみますね。 たとえば、大作曲家の楽譜や売れてるCD、ベストセラー本なんかに評を書く人がいるじゃないですか? 生きている人たちは あまり皮肉や嫌味は書かず、必ず褒めます。 つまり、彼等は お互い相乗効果で その商品を売ることにより利益を求めているから。 でも、大作曲家など 既に亡くなっている人に対しては、時々痛烈な世間の批判の噂があったことや、他者(おそらく身近にいるライバル)に対するレベルの差を示し、読者はその大作曲家の意志に近い純粋な気持ちや それに近いところを求めているのにも関わらず、よけいな一言、=皮肉めいたこと をまるでゴシップ的に書く批評家もいます。 すると 後々に純粋な作家の志とは反した、よけいなもの、が語り続けられることになり、読者は勉強している最中の人たちが多いので、邪魔になる。 そして世の中、皮肉や批評を並べる人は 果たしてその道を大作曲家を非難できるほど 熟知して技術を習得しつくしているのか?というと、決してそうではなく、批評はするけどその分野には名が知れていなかったり 書くことが本業になってしまったりしている人も多いです。本来は、ピアニストになりたかった、、、なのに小難しく名曲を分析したり、理屈ばかりに夢中になるがあまり、肝心のピアノ演奏にかける時間をどこかに置き忘れて、批評を書いたら、皮肉まじりになってしまった、、、みたいな感じが見受けられることが多々あります。 それと同じ。 頭でっかちに 理屈でこねてあーだーこーだ言うより、物事の本質 自分の求める希望そのものを見失わないこと、が大切なわけです。 あなたの希望は、このタイトルじゃなくて 女性とおつきあいするには、どういう人が魅力的なのか、 おつきあいすることで 男性が得られる 器が大きくなったり、大人の男として成長に値すること、具体的にはどんなことが得られるのか、、、 本末転倒、こっちだったんじゃないのかな? 褒められる事を素直に受入れて、さらなる自分磨きと向上心を身に付けて行かなきゃ、皮肉ってたら、純粋にあなたの良さを認めてくれている誠実な人たちさえ、失ってしまうよ。 褒められることが多いほど魅力が増しているということ。 いい恋愛してね。
- hawaiifight
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No.4です。少し疑問に思ったのですが…。 素直に他人の褒め言葉を受け取ることが出来ない原因は"自分の恋愛経験が少ないというコンプレックス"だと分かっているのに、なぜコンプレックスを克服しようとしないのですか。問題解決しようと思うなら、問題の核をクリアしなければならないと思います。 なぜ、アセってる自分に目を背けるんでしょうか。プライドが邪魔してるんでしょうか。普通に「この年で彼女の一人もいない自分が嫌だ。というか、人間としてどうよ、それ? それが原因で人からの褒め言葉も慰めにしか聞こえない。でも自分から彼女を作る努力をする気はない、いや今更出来るわけないだろう。俺はもうダメだ。誰か助けて下さい」と書き込みした方が、回答する側もアドバイスしやすいと思いますよ。もっと自分で欲しいもの、したい事をフォーカスしてください。 ステイタスとして『彼女』という存在だけが欲しいのか、好きな人に好きになってもらいたいのか、恋愛出来ない自分が怖いのか、人を好きになれない自分が怖いのか、人に愛される自信がないのか、彼女が欲しくて(寂しくて)たまらないのか、人生のパートナーと出会って結婚したいのか。 20代後半で恋愛経験の少ない人は(特に、恥ずかしがり屋等で今まで異性と付き合えなかった人が)変わるのは非常に難しいと思いますが、変わるしかないですよ。 恋愛は運が大きいですが、その運だって努力なしには巡って来ないからです。その後の二人の付き合いだって努力の連続です。結婚生活だってそうです。 質問者様は、他人は簡単に恋愛をしていると思ってらっしゃるかもしれませんが、誰だって最初は怖いんですよ。恥ずかしいし、カッコ悪い思いもすれば、悲しい思いもします。裏切られたり、自尊心を傷つけられたりもします。でも、それで経験を積んでいくんですよ。 早く行動を起こす事をオススメします。今、自分を変えるか、10年後同じ質問を繰り返すか。全ては質問者様の選択次第です。前向きに、頑張ってください。
- ency
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No2 ency です。 たびたび失礼します。 もしその相手が心からほめてくれていた場合、ホントに「すごい」と思ってくれていた場合、それに対して否定的な反応をすることを失礼だとは思いませんか? 人それぞれものの感じ方や考え方が違うのは仕方のないことだと思いますが、だからといって自分の考えを相手に押し付けるだけでは、それはただのわがままってことになっちゃいますよ。 自分の考えを相手に伝えることも大事ですが、それ以上に相手の考えを聞いてそれを理解しようとすることが大事だと思うんです。 女性と付き合えるようになれば、ほめ言葉も素直に受け入れられるとお考えのようですが、それはちょっと違うと思います。 ほめ言葉を素直に受け入れられるからこそ、人間関係もうまくいき、その延長として女性とのお付き合いもあるのではないでしょうか。 もちろん、女性とお付き合いできればそれが自信になって…ということはあるかもしれません。 でも、「自信」ということだけであれば、女性とお付き合いをすることだけにこだわる必要もないと思います。 確かに、自信が持てれば余裕ができて、相手のことも考えてあげられるようになります。 そうすれば、少なくとも相手がほめてくれた言葉に対して「ありがとう」の一言は言えるようになるでしょう。 でも、コンプレックスに感じていることであれば、なおさら無理にそこにこだわるのは逆効果だと思うんです。 むしろ得意なことに自信をもつことからはじめるほうが良いと思うのですが、いかがでしょうか。 ご参考になれば幸いです。
あきらかに社交辞令や皮肉である場合を覗いて (社会的に嫌われると不利になる相手とか本当は嫌いな相手) その人がその事案について努力した事を知っていて功績をあげた場合。 「すごいね」「頑張ったね」「よかったね」 自分がその人の立場だったら誉められて嬉しいからです。 その人の天分の才能や魅力を感じた場合。 「素晴らしいわ」「素敵だね」「さすがだね」 人には持って生まれた長所が誰にでもあると思います。 他の事ではダメと思う人でもその人の良い所を感じた時には誉めます。 誉められても素直に喜べないのはやはり何らかのトラウマがあるのではないでしょうか?
お礼
>(社会的に嫌われると不利になる相手とか本当は嫌いな相手) これは当然あると思います。 社交辞令というより、生きる知恵として必要悪かもしれません。 >その人がその事案について努力した事を知っていて功績をあげた場合。 人は自分が褒められるに値するだろうと、納得している場合のみ、 人からの賛美を受け止めることができるのかもしれません。 >誉められても素直に喜べないのはやはり何らかのトラウマがあるのではないでしょうか? 褒められても、自分自身をみて、その信憑性に 疑問を持ってしまうようです。 私のトラウマは前述のコンプレックスであり、 人が恋愛関係に持ち込めた時、それは一方が 本当に相手を認めた時であり、それは どんな言葉の賛美よりも説得力がある事実であると考えるからです。 従って、千の賞賛より一の恋愛こそが 今の私にとっては、唯一信じられる賞賛の事実 として受け止めることができるようです。 ありがとうございました。
- hawaiifight
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>どういう場合に人を褒めますか? (1)本当に「スゴい」とか「素敵だねぇ」とか「偉い!」と思った時。もしくは常日頃から思ってて、たまたま話の流れで褒めたりします。 褒めた相手に喜んでもらえると嬉しいですね。 反対に自分が褒められるのは恥ずかしいので、「ありがとう」とは言いますが、あんまり素直に嬉しそうに出来ないです...もっと素直に喜べるようになりたいです。 (2)仕事の時。上司や、お客さんの自慢話(特に年配の)に相槌をうたなきゃいけない時なんかですね。「へぇースゴいですねー」この場合、心にも無かったりするんですが(って言うか無理やり褒めさすように誘導されてる感じ)これも、社会人としては必要悪かなと。営業とかの仕事だと、こういうのは仕方ないんじゃないでしょうか。 >唯、個人的には本当に賞賛する気持ちがあるなら、心内に留めておいて欲しいです。 質問者様の考え方は、残念ながらマイノリティーです。これを聞いた90%人は「ひねくれてるなぁ」と思います。 質問者様は、考えすぎだと思いますよ。たまに心にも無いことばっかりの口先だけの信用できない人間もいます(こういう人が周りに多いんでしょうか)が、大多数はそこまで考えてないです。 次回、見え透いたお世辞だなと感じた時は、軽く困った感じで「またまたー!そんな思っても無い事を~!止めて下さいよ~」とでも言っておけば、本当にお世辞だった場合バツの悪い雰囲気に変わるんで分かります。
お礼
回答ありがとうございます。 見え透いたお世辞は私も大体分かります。 確かに、営業などで必要悪として、 社交辞令といった賞賛は気にはなりません。 それが分かっているからです。 問題はそれ以外の場合ですが、 人が言うことを素直に受け止められるかどうかは、 自分自身の問題のようです。 彼らは何も悪くないです。 褒められると、大抵の人はうれしく思うのだと思います。それは自分が認められたと思うからでしょう。 しかし、自分が現状に満足していない時、 それを素直に受け止めることができないことがあります。 そんな時、それは甚だ迷惑となるかもしれません。 今の私にとっては先述のコンプレックスを解消しない限り、どんな賛美を受けてもそれを素直に実感として納得できないし、信じることができないと思います。 ありがとうございました。
- yuzuchan21
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褒められたら素直に「ありがとう」と言えばいいのに・・・。と思います。 私は、思ってもいないことは言いません。 「スゴイ」「かわいい」「よくできてる」 などなど、思ったときに言います。 pat_methenyさんは、人を褒めることがないのですね。 そりゃ、褒めることがなければ女性だってその人に惹かれませんよ。「この人、あたしが努力しても全然わかってくれない」そう思うのが女性です。 バカにしてるのと、本心で褒めているのとの区別はNo2さんのおっしゃるとおり目を見れば分かります。 褒められてるのに腹が立つなんて、褒めた人はさぞかし「腹が立つ」でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 昔は素直に「ありがとう」と言うことができました。 NO.2さんの回答でも書きましたが、 これは自分自身の問題のようです。 >pat_methenyさんは、人を褒めることがないのですね。 これは、まったく逆で、 私は自分ができないことをやり遂げる人に対しては、 素直に褒め称えます。 >褒めた人はさぞかし「腹が立つ」でしょう。 これはおっしゃるとおりです。 しかし、今の私にはそれを素直に受け止める ことができないので、褒めるようなことがあっても、思っても、褒めることは控えて欲しい と相手に伝えようと思います。 ありがとうございました。
- ency
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世の中には2つのタイプの人がいるようです。 言葉を額面どおりに受け取る人と、言葉の裏を読んでしまう人。 # どちらが良いとか悪いとか、そういう議論は無意味だと思います。 # それぞれに良いところと悪いところがありますからねぇ。。。 そして、人をほめる場合には、自分基準で行動することが多いように思うんです。 たとえば、言葉を額面どおりに受け取る人であれば、良いことだと思ったりすごいと思った場合にはすなおにほめる言葉が出てくるでしょう。 それに対して、言葉の裏を読む人であれば、すごいと思ったときでもほめることはないでしょう。 逆に皮肉っぽくいってしまうこともあるかもしれません。 ご質問者の pat_metheny さんは後者の方なんだと思います。 ほめられた場合、それが心からほめてくれているのか、皮肉がこもっているのかは相手の目を見ればすぐわかります。 また、「ありがとう」と一言言った後の相手の態度でもわかります。 それで「こいつは心からほめてくれてる」と感じたときには、その人がすごいことをしたときにほめてあげると良いと思います。 口先だけでもかまいません。 言葉を額面どおりに受け取る人は、きっと逆に pat_metheny さんに「なんでほめてくれないんだろう」ということを思っているはずです。 そして「こいつは口だけだな」と感じたときには、すごいと思ってもそれは口にせずに、逆に「もっとがんばれよ」なんてことを言ってみるのも良いかもしれません。 結局のところ、人それぞれ考え方も感じ方も違うわけですから、だったらその人にあった対応をしていくことがお互いに気持ちよい人間関係を作れるんじゃないかと思うんです。 ご参考になりましたでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 今の私にとっては、 褒められることは、皮肉以外の何者でもないところがあります。 彼らが純粋に賞賛していたとしても、 それを賞賛と受け止めることができない自分がいるようです。 ですので、本当は彼らを怒ることはまったく筋違いで、私が悪いのかもしれません。 なぜ皮肉ととってしまうのかは、質問欄で書いたとおりです。 分かりやすい例で言えば、 例えば、結婚ができなくて悩んでいる女性がいて、 結婚している多くの他の女性から貴方は綺麗だとか、 性格がすばらしいとか、頭が良いとか.. ありとあらゆる賞賛を浴びせかけても、 その女性は果たしてそれを言葉通りに素直に受け止めれるでしょうか。 いくら褒めても、下手をすれば慰めと取られかねないし、私のように腹を立てるかもしれません。 素直に受け止められるか、皮肉ととるかは、 自分自身の問題かも知れません。 そういう意味では、腹を立てたことは申し訳ない と思っています。ですが、今の私には賞賛は苦痛 ですので、 批判はいくらでも受けるが、賛美だけは控えて欲しいということにしようと思います。 ありがとうございました。
- lovesens
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私が人を褒めるときは2種類あります。 1つは純粋に「スゴイ」と思ったとき、もう1つは「褒めたらそっちの方向(良い方向)に伸びる」と思ったときです。 逆に自分が褒められたら、なんと返していいのかわからない、気まりが悪いというときもあります。 が、怒り出したりはしません。質問者さんは彼女のいるいない、あるいは完璧な人でないと褒めないのですか? 褒められてカッコ悪い人(調子に乗ったり卑下しすぎたり)とカッコ良い人(さらりと流して爽やかに笑う)がいますよね。 社会で、人の心の裏を読むことも必要ですが、とりあえず社交辞令として「ありがとう」と笑っておけばよいのではないかと思うのですが。。。
お礼
回答ありがとうございます。 昔、ある女性と話をしていたとき、 彼女は嫌いな人にはとりあえず、褒めておけばよい と言っていたのが気がかりになっています。 彼女は例外かもしれませんが。 ありがとうございました。
お礼
再度、回答ありがとうございます。 >ホントに「すごい」と思ってくれていた場合、それに対して否定的な反応をすることを失礼だとは思いませんか? これは言われるとおりだと思います。 しかし正直に今の自分はその賞賛を建前として受け止めることはできても、心から喜ぶことができません。 人間ですので、褒められれば顔も緩むし、 気恥ずかしさも覚えますが、空虚さを 拭い去ることができません。 何もしないのに褒められることはないわけで、 私が賞賛されることの多くは、 先のコンプレックスの裏返しからくる 行動の結果であることが多いです。 それは、例えば、彼女持ちの人に対して、 学生時代であれば学業成績で上回ること、 運動で上回ること。趣味を充実させること、 お洒落であること。 会社であれば成果を出すこと。 というように、目的と動機が不純なのです。 目的は彼らを上回ること。 上回るとは、彼らから賞賛を得ること。 従って、私は彼らから賞賛を得ることを目的としていながら、 賞賛を得ても、自分のコンプレックスが なんら解消しないことに腹を立てているのかもしれません。 そして、彼らの賞賛が本物なのか分からなくなり、 苦痛となっているのかもしれません。 >むしろ得意なことに自信をもつことからはじめるほうが良いと思うのですが。 自信について悩んだことがあり、 以前、こちらで相談に乗ってもらったことがあります。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2280431 頭が八方塞で、どうすればよいのか分からないでいますが、長々と私の話を読んで頂き、ありがとうございました。