- 締切済み
どちらが正しい?
こんにちは、高校二年生です。 この前学校で3者面談があり 合格者と不合格者の一年や二年のときの 偏差値が書かれた紙を渡され 「今のままでは(第一志望の大学に)受からない。」 といわれました。 それに対して僕が 「模試と志望校の問題の傾向は違っており、 偏差値●●あるからといって『絶対に受かる』とも 『絶対に落ちる』ともいえない。 現に偏差値に関係なく受かるやつは受かっているし 落ちるやつは落ちている。 そうでなければ東大に受かって早稲田に落ちる人間 の説明がつかない。」 という内容の発言をしました。 教師がそれに対して 「何を根拠にそんなことが言えるのが分からない」 といってきました。 受験常識でいえばどちらがあてになるのでしょうか?
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
みんなの回答
- sasatte
- ベストアンサー率33% (1/3)
受験常識では偏差値は統計的に信頼できる傾向を表していますから先生がおっしゃることは正しい場合が多いです。ただ学校の試験のような少人数の試験ではばらつきが大きくて信頼性が低いと言うことも言えます。大手予備校の模試なら信頼できると思いますが、それでも個々人の合否は受けてみなければわかりません。そういう意味で可能性が低くても行きたい大学があれば強い意志を持って受験するべきだと思います。まだ2年生ですから誰からも可能性を否定されることはありません。最初から志が低いことでは自ら可能性を摘んでいるようなものです。 あまり担任がしつこく言うので根負けして一度だけ受けた模試が予想どおりD判定でした。でもそんなこととは関係なく初志を貫いて受験しました。
- nemolist
- ベストアンサー率13% (5/37)
あなたの論理展開は”微妙”です。 その微妙さに気がついていないところは”ひどい”です。 これって、傾向や確率の話をしてて「一般的にはあなたは受からない」といっている人に、「例外はある」って言ってるだけですよね。そりゃありますよ。 ただ、その例外があなたになる可能性が低いということです。 たまにひとつの否定を出して全否定する人がいますが、まさにその論理展開です。 受験勉強は、論理的思考能力を鍛える場なのに・・・
- ok2inaba
- ベストアンサー率38% (47/122)
どちらが正しいか、といういい方をすれば、未来のことは誰にもわからないのに、「今のままでは受からない」と言った先生の言うことは間違っていますし、「受かるかもしれないし、落ちるかもしれない」というあなたの言うことは正しいといえます。 ただし…先生は、資料を調べたり、試験を実施・分析したりして、なるべくあなたが不合格にならないように…とその先生なりに進路指導をしているわけです。それに対して、「受かるかもしれないし、受からないかもしれない」という当たり前のことを言っても、それは、「進路指導などいらない、先生などいらない」と言っているようなものです。 それで、先生はカチンと来たのでしょう。 もっと別な表現に、言い方を変えれば良かったかもしれません。 ちなみに、私は高校受験の時、進路指導で、「この高校はちょっとレベルが高すぎるかも…。受かる可能性がないとはいえないけど、落ちる可能性が大きいと思う。もう一つランクを下げてみては?」と担任に言われました。で、私は「落ちても自分の責任ですから、挑戦させてください」と言って受験し、結局、合格しました。最後まで心配そうにしていた担任でしたが、合格したときは「よくやった」と喜んでくれました。 進路指導というのはアドバイスですので、アドバイスに強制力はありません。あくまで、最後に決定を下すのはあなたです。自分で納得のいく決定を下してください。でないと、人のいいなりで決めても、「あのときこうすればよかった…」と一生後悔することになります。一方で、せっかくアドバイスしてくれる先生には、それなりの敬意と感謝の気持ちをわすれずに。変に否定すると、先生の立つ瀬が無くなってしまいます。
- 1
- 2