犬も歩けば棒に逢う(諺)
「出歩けば思わぬ災難または幸いに出くわすことがあるたとえ。江戸の用例は殆どすべて幸いに出あう場合のみ。天明3年(1783年)・飛花落葉「五年か三年に一度、犬も歩けば棒に逢う」」(講談社学術文庫「江戸語の辞典」)
確かにこの「出あい」「遇う」が「逢う」であって「遭う」ではないことからも江戸では幸いだったものが、「いぬ棒カルタ」では「当る」で災難の意味が強まったのでしょうか。
英語のことわざでも幾通りかパターンが違っているようです。
A walking foot is aye getting,if it were a thorn.(13世紀後期)
歩いてる足は常に物を得る。それが棘(トゲ)にすぎなかろうとも。
The beast goes always never wants blows.(17世紀中期)
徘徊する獣は打たれるに事欠かない。
The dog that trots about finds a bone.(19世紀中期)
駈け回る犬は骨を見つける。
ですから、本来は「稼ぎに追いつく貧乏なし」の意味だったのが、だんだん皮肉っぽく、また犬儒的になったものでしょうか。
足を棒にすればきっといいことがあるさ。役立たずののら犬でさえほら、棒に当るってくらいんなんだから…、って感じはいかがでしょう。