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本を読む気が出ない25歳の私。もう勉強は無理?
私は本を読んでも10ページも読むともういやになってきます。 読むのも遅いし、速読を意識して読んでも読めてませんし。 ひどい時は、雑誌を3ページ読んだだけでだるくなってきます。 ちなみに何度も読み返したい本は一冊もありませんし、「読まなあかん」と感じている本は常識本や自己啓発本です。 とにかくネットで何行か文章があるだけでも読む気が失せます。 そして、「これは読んどいたほうがええな」と思った本を買っても、 少し読んで放置したまま、 珍しく読破しても、流し読みに近くて意味がない、 1度読んだら2度と読まない、 ひどい時はまったく読まずに放置、 そしてこれらの本は最終的には全部捨ててしまって無駄な買い物をしたとちょっと後悔する。 25歳にしてもう勉強できないです。 自分には本を読むようなことは無理だと諦めたほうが良いのでしょうか?
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あらまあ、何をおっしゃいますやら。 年齢的にはまだ大丈夫ですよ。 60歳、70歳でスペイン語やら英語やらやってる人たちもいるんですから。 ネットで長い文章を読むのは私は苦手です。 頭に入らないんです。だから紙のほうが好き。 本や雑誌をほとんど読まなくても悩まない人は悩まないですよ。 読まないで暮らしてる人もいます。 本を読むために読むのでなく、勉強をするために勉強をするのでもなくて、他の方々がおっしゃっているように中身が問題です。興味があるとか、必要だとか。 「これについて知りたいから読む」「○○を出来るようになりたいから勉強する」とか、そういうのがないと続きません。 続かないなら今は必要ないんでしょうし、読むスピードも、別に、ゆっくりでいいんじゃないでしょうか? それと、読書と勉強はイコールではありません。 不埒な恋愛小説やら、スリリングなサスペンスものやら、青春ものやら感動ものやら・・・・ 小説を読むのは面白いから読むのです。 なにも、勉強のためではありません。で、こんな読書は「趣味」です。ある意味、遊びです。 本を2度読むのは、読まなければおかしいとか、読むべきだから読むのでなく、「読みたくなるから結果的に読む」だけで、1度しか読まないで中身を忘れちゃう本もありますよ。 それとも、もし昔は本を読んでいたのに最近読めないのであれば、忙しくて疲れているとか、そういうことはないのでしょうか。本を読む余裕がないとか。 疲れると集中力がなくなります。 もし疲れているなら本を読むよりものんびりしたほうがいいです。
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- TY79
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No,6で解答したものです。 はっきり言って、現状では無理だと思います。 これだけたくさんの解答をもらっておきながら、一言もあいさつをせず、放ったらかしのこの状況は、あなたが読書を必要だとは思っていない何よりの証拠であり、社会人としての常識に欠けることを証明するものです。 あなたは読書をするよりも先に、まずは社会人として周囲と良好な関係をつくれているのかを振り返るべきです。働く中で、きちんと周囲と挨拶をかわせていますか?与えられた仕事は期限を守り、品質を守った仕上がりを提供できていますか? そうした部分を人並みにこなせるようになって、初めて本により情報が必要になることと思います。いまの状況では本が必要になる以前のレベルです。 あなた自身の人生です。このままでよいのか自問自答してみてください。前向きに人生を歩まれるよう、奮起を期待しています。
- goosuka003
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No.10です。 実は私も読書するだけの集中力を妨げる原因が何かあるのかな?と思ったのですが(私自身そういうことがありますので)御質問者の場合は純然たる活字嫌いのかたじゃないかと感じたもので無理にお勧めして、かえって、ますます苦手になってもなあと思いまして。 それと「絵本を」と仰るのは他の御回答者も何人かいらっしゃいますが、私は過去これを薦めて 「バカにしとんのか!」 と猛反発されたことがありましてね。。。 とくに御質問文中 『「読まなあかん」と感じている本は常識本や自己啓発本です。』とありましたのでね。絵本を薦めていらっしゃる御回答者に、まだ御返事がないので。 ただ文字に対する親しみを養うという観点から私も本当はお勧めしたいのです。何より童話などはオトナが読んでも、なかなか含蓄が深かったりしますので。私自身も子どものころ読み逃したり感動した童話や児童向けの本を今読み直している最中です。 ただね。一番言いたかったことは コトバ或いは文字というものを、あまり過大評価することはない、ということなのです。 これは私の周囲でも、また、このサイトを閲覧していても感じることなのですが書物を浴びるほど読んでいても思考力が浅い人は浅いし、世間知らずは世間知らずだし、むしろ「本をこれだけ読んだ」ということにアグラかいてる人すら見かけます。 その原因は何なのかな?観察していると、やはり目前の現実や自分の足元から目を逸らしていることが多いように思うのです。そのようなままで他人のコトバをいくら借りて来ても、それは借り物のままでしかないということです。 こんにち時空を越えた所で起きた事なんてリアルタイムで知る方法は豊富にありますからね。 大昔に起きたことを知ってるからって、それが即、役に立つわけでもない。 だから自分で考えられなきゃ結局、意味ないですよと申し上げたんです。 そして「自分自身で考えるための訓練」だったら本に限ることはないと。 もちろん、まず活字自体に慣れたいと思われるんでしたら絵本もいいし理屈抜きで楽しめそうだと思えるものから入っていかれたらよいと思います。本は読めないよりは読めたほうが理論的に考える訓練にもなる。しかし決して万能ではないということはわきまえておいてください。それは水泳の解説本を何冊読んでも実際に海で泳いだことのある人にはかなわないのと同じことです。 最後に前回、申し上げようかなと思っていて書き込まなかったことを。 私は幼いころ、与えられた本を何度も何度も繰り返し読む子どもだったそうなんですが、そうやって何度も読み返すたびに、また新たなものを感じ取っていたのだと思います。オトナになってからも、そういうことあります。 貴方は最終的には全部処分なさるそうですが、ちょっと待ってください。 これからは、まず購入する段階で、よくよく吟味する。「どうしてもこれは」と思うほどのものだけ購入する。その数少ない本を1行だろうが3行だろうが、とにかく読んだ所まで付箋を貼っておいて、再び気まぐれでよいから開いてみる気になるまで捨てないで待ってください。 前に読んだ箇所の内容を忘れてしまっていたら、またそこから読めばいいのです。一度読んだ箇所は二度目には、より分かり易くなってるのが普通ですから、前回よりも、もう少し先へ進み易いでしょう。そういうふうにして少しずつでも読み進んで行ってください。 ただし。常識本や自己啓発本の場合、その時期、時代によって変化する部分もありますから、あまり、こういう分野でこだわっていると、かえって新鮮な情報から取り残されますよ。 ですから、やはり絵本などから練習されるほうが無難ですね。貴方御自身が、その気になれますならば。 ヒマツブシ半分に投稿したお詫びを兼ねて再投稿でした。長くて最後まで御読みになれなかったら残念です。
- eeldog_2005
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やっぱり、本は読めたほうが良いですね。 なぜなら、ものをじっくり考えるとき、ことばで考えるでしょう? その「ことば」を、目に見える形にしたものが「文字」で、それをまとめたものが本です。 だから、本が読めないと、目の前で繰り広げられるものしか、情報源がなくなります。つまり、現実か、テレビかビデオとかくらい。 これは他の人と比べると大きなハンディです。時間や空間を隔てたところで起きたこと、考えられたことに接する機会が減るわけです。 好きな本があれば読めば良いとか、無理に読むことはないと言ってる人は、おそらく実は本好きではないかと思います。 だから、あまり意味のない返答のようにも思います。 もしかしたら、本を読み続けられないような、精神的、肉体的な問題はありませんか? 私の場合、怪我をして入院したとき、ゆっくり本を読もうと思いましたが、体力が落ちているせいか、結局あまり読めませんでした。 もし、そういうようなことがなくて、やっぱり本は読めたほうがいいと思うならば、絵本から読んでみたらどうでしょう。 子供も読めるが、大人も楽しめる本もたくさんあります。 的外れな考えだったかもしれませんが、ご参考まで。
- goosuka003
- ベストアンサー率20% (23/110)
足痛くて眠れんので半分暇つぶしで回答しますスミマセン。。。 他の回答者のかたがたも仰るとおり無理してまで読むことないですよ。どうせ身につきませんて。暇つぶしにしようと思うほどにも好きになれないんでしょ? 読書イコール勉強と決め付けることもないです。そんなふうに思い込むと余計にカッタルクなりませんか? うちの親なんか読書してると 『コラッ勉強せんか、本ばっかり読みやがってバカモノ』 って怒りましたがね。 活字そのものが好きじゃないんでは? 自分は御質問者とは逆で活字中毒の気があってフと気づいたら駅の看板とかチラシのキャッチコピーなんぞを舐めるように繰り返し見ていたりして、それを止めようとして強迫観念みたいなものを感じたりすることがあります。 あまり長い回答だと、それも読むのウンザリなさるだろうから程々にしておきますが 好きは好きでも本当に切実な欲求に裏付けられていないと、たくさん読んでも身になりません。 自身がカラダごと、ぶつかる現実の出来事のほうが、何冊読書するよりも学ぶこと多いと思いますよ。 のどから手が出るほど、読まぬわけにいかん!というほどの動機が起きてくれば、そのときに手に取れば宜しいでしょう。 その代わり、どんな事でもいい他の事からメいっぱい学んでください。これもできないとなると問題ですが。 読書何のためにするかって言うと最終的には自分のアタマで考えるためなんすから、自分のアタマでトックリ考える材料なんて本以外にも見つかるはず。 読むだけ読んでも自分で考えられないんだったら、どっちみち同じことなんで「諦める」と言うよりか「こだわったり無理しないで」
- 4951snk
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読みたいものを読む、読みたくなったら読む、でいいと思います。 ちなみに、欲しい情報が載っている本でなければ平均的な人間の誰にとっても字を読むのは苦痛です。私もそうです。興味がなかったら、3ページも読めませんね。 あとは、本当に必要に迫られれば読みます。例えば、会社の仕事で、300ページもある本を読んで要約しろ。期間は今から1ヵ月後だと言われたら、死ぬ気で読むでしょ? 読書好きの人間も、欲しい情報の量が違うだけで、文章そのものが好きなわけではありません。
- sanga12
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読書=漢字=国語=勉強 読書=社会情勢・経済・・・=勉強 読書=難しい=勉強 なんて、色々な図式が考えられますよね。 でも、基本は、好きか、嫌いか もう少し考えると、必要か、不必要か たとえば、スポーツが苦手な人に、サッカーをやれって云っても、苦手意識がある間は、上手くならないし、練習もサボる。でも、サッカーを見ていて、楽しそう、やって見たいと思って、自分からすれば、少しは、上手くなれるし、工夫もする、でも、壁に突き当たる、それでも、続けられるか?投げ出すか? 読書も、一緒、好きでなければ出来ないし、興味がなく、勉強なんて考えると、余計に負担・・・ 漫画やゲームの攻略本・芸能雑誌・ちょっとエッチな本など人によって入り易いところは違うと思いますが、子供は、漫画やゲーム攻略本なら教科書は読めなくても、そういうのは読めるし、苦にならない。そこから、広げて行きますよね。 だから、まずは、そういう本・雑誌・冊子などで自分に合った活字を見つけることですね。たとえば、自分の趣味に関するものなど 出来れば、あほ臭いと思われるかも知れませんが、絵本を声に出して、感情を込めて読むようにすれば良いと思います。少し遠回りしても、絵本が基本ですよ。感情が込めらる様になれれば、どんな本でも読めるようになりますよ
- TY79
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他の方もおっしゃっていますが、文章は情報です。自分の人生に必要な情報だからこそ、それを摂取するわけです。 例えば、新聞を読めといわれても大抵の学生はそんなに読みもせず、スポーツや4コマの娯楽面しか読まないでしょう。それは、新聞に自分の必要とする情報が載っているという認識がないからだと思います。 いっぽうで、社会人であるならば、日経新聞の産業面は欠かさず読むでしょう。それは自分の関わる世界と密接に関わっているからで、情報が必要だからです。 さて、あなたが生きる世界は何か情報を必要とするものでしょうか。必要とされる情報を本屋新聞によって摂取しようとすれば、おのずと読み進めることになるでしょう。そうした切迫感がないから、読もうとしても挫折することになる結果になるのだと思います。 あなたが生きる世界と、その中ではたすあなたの位置や役割を認識してください。それができれば、必要な本もわかりますし、その本も読めるようになると思います。
- avalokita
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「本を捨てて町に出よう」という寺山修司の本がありましたが、あなたは読書よりももっと有意義な体験をしているのではないでしょうか。 体験もせずに本ばかり読んで頭でっかちになるよりよっぽど素晴らしいじゃないですか。 体験を通し、その後で身体の中から読みたくなったときに本を手にしたらよいと思います。 本に書いてあることよりまず体験し、味わう。感じる。むしろ生き生きと今しかない時間を体験されていることにもっと自信をもたれたほうがよいのではないでしょうか。 恋愛小説を何冊も読むより、生身の女性に恋した方が素晴らしいに決まっています。今必要もないのに無理に本など読まないでいいのではないでしょうか。 又、ある人が感動したからって、その本があなたを感動する保証はありません。
ちょっと理屈っぽい回答になってしまいますけど 「本(文字)を読む」のは大部分の人は誰でも楽しくないと思いますよ。 じゃあ、なぜそれでも本を読むのか?と言えば そこに自分の興味ある事柄、必要としている事柄が書かれているからではないでしょうか。 つまり、「本」が「砂場」だとすると、 そこに宝が埋まっている(かもしれない)から掘るのであって 砂場を掘る事自体が目的ではないはずです。 常識や自己啓発は、今のご質問者にとって「宝」ですか? 責任感に近いものを感じて仕方なく読んでるいるのではありませんか? 「読んどいたほうがええな」ではなく「読みたい」本を選べばどうでしょう? 「知識を得る」んじゃなくて「興味を広げる」と思えば苦痛もなくなると思います。 私だって数字には疎いですし、計算も好きではありませんが 自分の貯金通帳の数字を見るのは嫌じゃありませんし、 その計算なら頑張ってやります(せいぜい四桁ですが汗)。 そんな事とは比較出来ないかもしれませんが、 当面はご自分の興味のある分野のものを読んでみればどうでしょう。 25歳ならまだ時間はたっぷりありますから、 今は準備運動だと思えばいいかもしれませんよ。 ご質問の文章も簡潔で読みやすく書かれていますから 文章を書く事は嫌いではないのだろうと思います。 それは、これまでちゃんといい文章に接してきたから書けるのだろうと思います。 つまり、ちゃんと本を読めるんです。 好きでもない類いの本を読めないからって、そんなに悲観する事じゃありませんよ。
- Willyt
- ベストアンサー率25% (2858/11131)
未だすばらしい書物に出会っていないということですよ。だまされたと思って、ジョルジュサンドの『愛の妖精』という本を買って読んでみてください。醜い少女が見違えるような美女に変身して行くのが胸を打ちます。皆そういう本に出会って書物が好きになって行くのです。630円出せば下記で入手できます(^_-)
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