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優秀な人たち

高校時代、周りにはとても優秀な人たちがいっぱいいました。 直感的に、半数以上はいたように感じます。 毎年東大に半分以上入る高校でした。 そういう中から見れば自分は落ちこぼれだったと思います。 努力しても生まれついての性能が違い追いつけないように思えました。 今考えると生まれついての性能が違うのではなく、大半は陰で努力をしていたのだろうとも思えます。努力をしても追いつけないような人は多数でなく少数だったと思えるのです。同じ人間なんだから。 これだという根拠がありません。 そこで何か有力な統計や文献を教えて下さい。 彼ら大半は努力だけでは追いつけないような非凡な人たちだったのか、それとも大半は努力家だったのでしょうか。 不明点は補足します。

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  • mark-wada
  • ベストアンサー率43% (273/633)
回答No.3

進学校から東大に進学した者です。 >生まれついての性能が違う のか >陰で努力をしていた のか 私も教育心理学を専攻した者なので、 >有力な統計や文献 があったら、是非、知りたいです。 ただやはり、「才能の違い」というのは間違いなくあるでしょうし、その後で「努力しなければ上手くいかなかった」のも当然でしょう。また、「才能」というものの中に、持って生まれた物ばかりでなく、No.2さんのおっしゃるように、「小さいころからの習慣で形作られた」部分も大きいと思います。 ↑ しかしこれでは当たり前すぎる回答なので。 独断を承知で、私個人の実体験について書きます。 ---------------------------------------- もう一つ、「学力を身に付ける」「良い成績を上げる」上で、「情報力」のような物が必要ではないか、と実感しました。特に私の学校の場合そうでした。 ある程度、上位の成績で中学入学したのですが。 授業があまり分からず、それでもなんとかついていこうと、必死で努力したのですが、空回りして、学力は下位に低迷。 その頃、余裕を持って良い成績を上げている同級生を見ては、 「あの人たちは、自分と違って能力がとてつもなく高いに違いない」 とあきらめていました。 ところが、いくつかのきっかけで、その学校の授業を客観的に考えてみると。 ・ 基礎事項の解説はしない ・ 授業に必要な教材も配らない ・ でも問題演習の宿題には熱心 という、想像を絶するひどい授業だ、という点に気がついて。 学校と距離を置いて、塾にも通わず、自分で参考書類を買って独学するようになりました。 途端に成績が急上昇するとともに、毎日の学習時間も減って余裕ができました。(ホントを言えば、その学校を辞めて転校した方がもっと良かった、とも思います。) 和田秀樹.氏が「勉強時間と勉強量は違う」(ムダにやるか、効率よくやるか)と言っているのが実感できます。 おそらく当時、成績が振るわない同級生が私を見れば、 「あいつは、自分と違って能力が高いから、余裕があっても高成績なんだ」 と見られていたでしょう。 でも客観的に見て、私本人の能力は何一つ変化していません。 ただ、 「この学校の授業はこういう特徴がある」 「自分には、こういう勉強のやり方が合っている」 といった「正しい情報」をつかめただけでした。 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1047544 -------------------------------------- 結局のところ、自分に向いている(自分を伸ばせる) 学校・塾・教師・教材・学習方法などに巡り会えた人が有利になっている。 またあえて言えば、自分の学習観や、学校・塾の教育方法などの「情報」に精通していて、「自分を伸ばせるところを選んだ」人が有利になっている気がします。 「名門進学校」といえども必ずしも、全ての生徒に有利になる、伸ばしているわけではない。 その学校に合わない子どもの場合、能力がある子に、努力を空回りさせ、かえって潰しているケースも、ままあるように思えます。 ただ、、。それこそ、そういった客観的な統計は、ますます難しいでしょうが。

ton_jiru
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 統計を探していますが、見つからないため投稿しました。 参考になりました。

その他の回答 (4)

noname#70924
noname#70924
回答No.5

天才=勉強のできる人、テストの成績がいい人、いい大学に入った人、という見識で質問しているのかな? であれば、そんなに答えはさほど難しくないんじゃないかな。 高校時代、いわゆる勉強のできる人は、まじめに授業を受けてました。しかし、いわゆる天才といわれた奴らは「こんな授業は意味がない。」と、欠席していました。もちろんテストは100点。そんで東大。 でもね、そいつ今なにやってるか不明。会社クビになったのは聞いてる。 結局ね、子供の時にいわゆる天才だった奴は高校の時普通だった。小学校の時に算数教えてあげてた奴は今、学校の先生やってるし。 才能が不変で落ちないのが天才じゃないの? 先の回答者が0.8%という説書いてたけど、そんなにいないんじゃない?

ton_jiru
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考になりました。 天才が「こんな授業は意味がない。」と思っていたかどうか。 そういった統計情報があると説得力が出てくると思います。 しかし、なかなか該当する資料もありませんね。

回答No.4

 きちんとした天才とかのデータを欲しいんだろ? グーグルのキャッシュだからアドレス掲載していいかわからねーけど、「IQ140以上の天才が生まれる確率は0.8%。」だって。 現代用語辞典の知能指数の欄に書いてあるっぽい。 頭のいいヤツって天才と、要領のいいヤツっていねー? 詳しい話は、もっと頭のいいヤツに任せるとして。 だれでも、武藤敬司みたくなれるわけじゃねーって。 早く走れるヤツもいれば、元から体力あるヤツもいるし、頭だけ努力でなんとかなるなんて、学校の押しつけじゃねーの? 同じ人間じゃねーよ。 みんな違う人間だから、おもしれーんじゃん。

ton_jiru
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • tatsumi01
  • ベストアンサー率30% (976/3185)
回答No.2

半数以上が東大に入る高校だと、灘か筑駒でしょうか。 それはともかく、大昔の中高一貫の私立でしたが東大に入った(約10人)は中1のときに上位20人に入っていました。 生まれ付きではなく小学校入学前の教育で決ると思います。中学入学の段階でかなり決っていると思います。 文献があるかどうかは知りません。

ton_jiru
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考になりました。

noname#20102
noname#20102
回答No.1

前回のご質問と内容が同じように思うのですが・・(削除対象になるかもしれませんね) 統計や文献を、ということですが、具体的にどのようなデータを考えてらっしゃるのですか? 勉強ができるのが、天性のものなのか、陰で努力していたものなのか、それがわかるデータというのは、どんなものでしょう。 塾に行っていた割合などでしょうか。 それはあまり有力な根拠とはならないような気がします。 私個人の考えとしては、生まれついての性能の違いが大きいと思います。 エジソンもタイガーウッズも、天才と呼ばれる人はよく「天才は99%の努力だ」などと言いますが、私は違うだろ、と言いたい。同じように努力しても成果が出なかった人もたくさんいるものです。 ただ、生まれついての性能といっても、それは思考力、理解力、記憶力、知識欲などもそうですが、努力する才能というのも含まれると思います。 私は心理学についての研究をしていた者ですが、一般に天才と呼ばれる人は、幼少期からたいへんな知能を持っています。(知能指数は年齢で割るので若年齢の方が高く出るのは当然なのですが) これはやはり生まれもっての資質であると思います。 一方、生まれもっての知能がそんなに高いわけではなくても、努力する才能に恵まれる人もいます。 逆に、天才と呼ばれる人の多くは、「努力する才能」の方は持ち合わせていない場合が多いです。 これは、知識欲、好奇心、理解力といったものはどちらかというと「瞬発力」であり、「持続性」と相反する場合が多いからです。 一般に能力の高すぎる人は、気が短く、持続力は持ち合わせていないものです。 小学生の時点で、その差はわりとはっきりと出るものです。 もともと知的好奇心、理解力の優れた子供は一定割合でいて、その中から情緒の安定してコツコツと努力する才能のある人が、成績優秀者として残る割合が高いのだと思います。

ton_jiru
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考になりました。

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