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俗名や宗派について
母がクモマッカシュッケツにて突然倒れ先月亡くなりました。両親の実家も近いので、親戚の教えにあおられ仏僧にて葬儀をしましたが、母は6人姉弟の末、父は次男でして母が通っていた寺なども無くどちらかと言うと無宗教です。彼岸・お盆は両実家のお参りはしていましたが・・・(逆に母は仏教徒ぽくない詩など書いていた物があります) 親戚曰く俗名では可哀想だと言われたのですが、今まで何もかも母任せで来たもののこれから父と2人でどのようにしていけば分かりません。 今は父方の親戚からお借りした祭壇に遺骨等を飾ってはいます。来週には49日を迎えます。 葬儀では、俗名でお願いしたのですがこれからも俗名で位牌を作った良いものやら、どうしたらいものか? 現在飲食店を営んでますが、母倒れた後父の健康があまり思わしくないので経営事態さい先よめません。金銭的にも余裕がないので。 市民墓地には納骨と考えてはいます。 父曰くやはり金が無ければ今後寺との維持はできんと俗名で通す考えですが、親戚から言われるので考えてる様です。それでも1周忌、3周忌とお坊さんを家に拝んでもらいたいというのはある様です。話がアベコベしていますが、無宗教で通したら良いのか分かりません・。質問いたします。今後どうしたら良いのか教えてください。
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こんばんは。。 お悔やみ申し上げます。 仏事関連の業者で働いています。個人的な雑感のようなものですが、ご質問を拝見して感じたことを記してみます。 ご質問にあるようなケースは、昨今見受けるようになりました。そして、存外難しい事柄でもあります。 いろいろな宗派があるので、葬儀の意味合いも異なるのですが、仏式のご葬儀は「戒名(法名)を授けるための式」という意味合いが強いものです。 ですから、仏式だけど俗名で葬儀というのは、ある種異形だとも言えます。(このあたりの考え方は宗派やお寺さんそれぞれのお考えによってかなり異なります。) また、お戒名を授けるのにお布施(お戒名料)が必要になるのも、地域のお寺をその地域に住む檀家さんが支えている場合、お寺を護持するシステムとして機能し、ある程度受け入れられもするわけですが、日頃から固定した檀那寺を持たない方や、檀那寺から遠く離れて住む方が増えてきているので、本来の意味合いがわかりにくくなっていると感じています。 ご身内の方としては何事か儀式ごとをした方が、という心情がおありのようで、それはそれで偽りの無いお気持ちなのでしょうが・・・ もしも今後ずっとお寺さんにお世話になるのであれば、お戒名を授けていただいた方がよいかな、と思いました。 お戒名がなければ可哀想とか、どうこうなるとか、そういうご心配は無用だと思いますし、無宗教でよいのであれば、それでよいとは思います。 いろいろな見解があるところではあるのですが、実際問題として現状では「乗るか反るか」的な感じで、お戒名をいただいて仏式のお祀りをするか、無宗教で祀るかどちらかを選ぶことになりますね。(中間がないという感じです。) 結局のところは、喪主であり祭祀執行者である(と思われる)お父様のご意向如何ということになると思うのですが・・・ 無宗教であればお位牌を作る必要はないと思います。俗名のお位牌というのもまれに見受けますが・・・今、おそらく白木のお位牌だと思うのですが、お位牌を四十九日にあわせて造りかえるというのも、そうしなければならないという根拠らしい根拠はないといってよいと思いますよ。そのままでもよいと思うのですが。 無宗教葬や無宗教でのお祀りというのは、ちらほら見受けますが、何もしないということの、ある種の頼りなさを感じたり、ご親族から反対されたりで、案外と広まらないのかな、という印象を持っています。 ご家庭内の事情、資金面などいろいろおありのようですし、これは今すぐ結論を出さなくてもよいように思いましたが? さまざまな都合で、ご遺骨を数年お家で留め置いてお祀りされることはよく見受けます。 次善の策として、ご法事ごとの機会にお寺さんが受けていただけるのであればお経を上げていただくのもよいでしょうし、その間にどうするか、状況やご親族の話を総合してお考えになればよいかと思います。 四十九日だからといって、慌てることはないですよ。突然のご不幸とのことですし、じっくりお考えになる時間が必要ではないでしょうか。 長くなった割りに、答えらしい答えになっていませんが、お許し下さい。では。
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- teinen
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無宗教なら何もする必要はありません。 四十九日法要や彼岸やお盆は仏教,先祖崇拝・先祖供養・位牌は儒教。無宗教なら何も要りません。無宗教なら遺体・遺骨は単なる物体に過ぎません。 このようにしなければならないと公権力が定めている訳ではありません。憲法で信教の自由を保障しています。 信教の自由とは,信仰する自由,信仰しない自由,自らの信仰を明らかにする自由,自らの信仰を秘匿する自由,改宗する自由,他人に改宗を勧める自由などを指します。 無宗教を貫かれて何ら問題ありません。
- sgm
- ベストアンサー率60% (375/618)
曹洞宗の僧侶です。 特に信仰する宗教、宗派もなく、今後信仰しようというお気持ちもないのであれば、わざわざ宗教的な祭祀をされる必要はありません。位牌も必要ありません。 1周忌、3回忌も仏教による先祖祭祀の習慣ですので、仏教を信仰していない方がされる必要はありません。お経は、神職のされるお祓いとは違いますので、その場限りに読んでおけばいいのだろうということにはなりません。 49日の納骨も仏教由来のしきたりですので、仏教徒でない方がされる必要はありません。都合がつくまで、いつまでもお家に安置されていてかまいません。 どうしても故人を偲ぶ気持ちをあらわしたいということであれば、1周忌や3回忌にこだわらず、5年後、10年後に親しい方を迎えて食事会などによる「偲ぶ会」をされればよいと思います。
- 安房 与太郎(@bilda)
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このことを細木数子さんに相談すれば、血相かえて叫ぶでしょう。 「戒名はともかく、お墓だけは作らないとダメよ!」 なぜなら彼女の講演会は、すべて久保田家石材商店が主催だからです。 むかし江戸時代には、戸籍を管理する役所がなかったので、かわりに 寺社の《宗門改帳》にもとづいて、身分を区別していました。 キリシタンでないことを示すため、庶民も戒名を必要としたのです。 わたしの母は長々しい戒名を授けられましたが、父は俗名のままで、 墓にも納骨していません。わたしも妻も、戒名を持たないつもりです。 子には、葬儀はせず、遺体を焼却場に直行すべしと明言しています。 われわれは、憲法によって信仰の自由を認められているのに、他人に (誰彼なしに)信仰をすすめる人たちは、とても迷惑ですね。 この人たちは(かならず最後には)法外な金銭を要求するのです。 現代の日本人は、個人情報の管理においても、どの国よりもすぐれた 近代的な戸籍法を確立しています。しばしば流出事故が報道されるのは、 基礎的なデータが整備されているからです。 これからの先進国の課題は、迷信的な宗教的慣習を排除することです。 結婚に際して、宗派や家系を論議することはなくなりつつあります。 今後あなたが、戒名について語る機会など、いつのことでしょうか? なお、西洋人の多くは、姓名の間に、ミドル・ネームと称する洗礼名 を持っています。デーブ・スペクターも来日当初、若大将にあやかって 「デーブ・雄三・スペクター」と名乗っていたそうです……。