#6です。
>それからもうひとつ聞きたいのですが、成人と比べてどの程度感じているのかがわかりません。もしよければそこらへんも教えていただけないでしょうか?
赤ん坊の心に限らず、大人の心であっても、他人の心が具体的にどう感じているかは、直接知る手段がありません。従って、以下は、あくまで推測です。
まず、重要なことは、赤ん坊には、まだ、言語がないということです。言語がないと、痛くても、「痛い」とは思わないと思います。「痛い」という言語を覚えれば、その段階で、「痛い」と感じるようになると思います。これは、冗談ではなく、言語がないと分析ができないという意味です。
例えば、「痛い」、「臭い」、「かゆい」、「腹減った」という感覚を自覚的に分析はできないということです。生理的には、異なった反応をすると思いますが、これらの違いは、感覚的にはかなりあやふやなものになっていると思われます。
我々大人が、後ろから来た車にはねられ、空中に飛ばされたとすると、その瞬間には、はっきりと「どこがどう痛いとか痛くない」とか正確には、把握できず、まずは、「何か大変なことが起こった」という全体的恐怖感を持つと思います。赤ん坊の場合もそれに近いと思います。
もう一つ言える事は、赤ん坊は「思考する」というプロセスがないですから、外的な刺激に対しては、先ずは、生理的・無意識的に反応することになると思います。この状況は、大人が、後ろから来た車にはねられたときや、ボクシングで、死闘を演じているときなどに近いもので、その最中には、必ずしも、「痛い」などの個別の感覚を明確に意識していないものです。「痛み」を感じる前に、無意識に体が動いているという状態です。
大人の場合は、ある程度、事態が把握された段階で、「ギャー! 痛い!」という意識が明確に湧き上がって来ますが、赤ん坊の場合は、無意識で夢中に反応しっぱなしなので、いちいち「痛い」と意識できているかどうかは疑問です。
お礼
言語のあるなしがそれほど大きな影響を与えるとは思いませんでした。 どうも丁寧に説明してくださってありがとうございました。