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建築協会を「けんちっきょうかい」と書いたらバツされました。

国語のテストで「建築協会」を「けんちっきょうかい」と書いたバツされました。正解は「けんちくきょうかい:」でした。 なぜバツなのでしょう?いろいろなネイティブの日本人の発音を注意深く聞いてみると、ほとんどの人が「けんちっきょうかい」と発音しています。(1)どうして日本語は口語主義が徹底していないのでしょうか? また、発想を転換して、(2)将来の日本語は「けんちっきょうかい」が認められるほど寛容になるのでしょうか? (3)「食べれる」は規範の国語では正しいとは認定されていないけれども、ワープロソフトの文字変換では、「食べれる」はディフォルトで変換してくれます。このレベルの寛容性を「けんちっきょうかい」はゲットすることができるでしょうか?

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回答No.16

No.9 です。ちょっと考えてみて、こういう話も。 たとえば、「闊達(かったつ)」や「一括(いっかつ)」は、ここに示したようなふりがなを振りますし、このような発音をしているという認識が一般的だと思います。 これも、それぞれの(漢和字典で普通に認められている読みに従えば)「かつたつ」「いつかつ or いちかつ」となるべきなのですが、こちらは、既に発音通りの読みが認知されているということだと思います。 この例は、「撥音便」と呼ばれる現象に似ていると思います。ただ、撥音便は、「行きた→行った」「勝ちた→勝った」のように、動詞に関連して話題になるので、これを撥音便といってしまっていいのかどうかはわかりません。 一方で、「建築協会」の場合、確かに普通の認識は「けんちくきょうかい」です。これは、上記の闊達・一括がひとつの単語の中のことであり、建築協会は、あくまでも、建築+協会 という2つの単語の複合語であるのが影響しているかもしれません。

noname#41949
質問者

お礼

複合語も認めちゃいましょう。「科学技術庁」を「かがっぎじっちょう」で一発変換できるように。 自分で登録しないでもワープロでデフォルトで一発変換できるようになったらこっちの勝ちです。

その他の回答 (21)

回答No.22

基本的に他の回答者と異なる意見はありません。 「建築協会」の読みは「けんちく・きょうかい」ですが、通常、「ケンチッキョーカイ」と発音されます。 それでいて、発音する方も、聞き取る方も、ともに「けんちく・きょうかい」と認識しているのですね。 ※なお、「キョー」を「きょう」と表記するのはかな書きのルールですが、「ちく」が「チッ」になるのは音便です。 さておき、一点だけ指摘しておきます。 >もし「築活(ちくかつ)」という単語があったとします。 >建築活性とタイプしたら、コンピューターは「建」「築活」「性」の可能性も考慮しなければなりません。しかし「けんちっかっせい」を認めれば、他に解釈しようがないので、一発変換ができます。 「建築協会」の場合、意味上、「建築」+「協会」に容易に分割できるために、表記上も「けんちく」+「きょうかい」になることが理解できます。 (「学校」「作家」「国家」などは、意味上も一体の語と認められるので、それぞれ「がっこう」「さっか」「こっか」と表記されますね) おそらく、「築活(ちくかつ)」という言葉があったとしても、「チッカツ」と発音され、表記も「ちっかつ」となる可能性が高いでしょうね。 たとえば、「地区活動」の略で「地区活」であれば、「ちく・かつ」ともなるでしょうが(もっとも、実際にはこれも「チッカツ」と発音されることが多いでしょうが)。

回答No.21

とても興味深い質問だなと思いまして、遅ればせながら回答させていただこうかなと思います。 (1)単純に考えて、現代日本語をこれ以上口語主義に向かわせてしまうと、ただでさえ難しいと言われる日本語を覚えられなくさせてしまう(つまり、言語として使えないものにしてしまう)可能性が高くなるからではないでしょうか?(今でさえ、私には「暗号?」としか思えないような言葉が氾濫している日本語なのに) 日本語の歴史的に見て、古代日本語はむしろ口語主義であったと考えています。というか、口語の日本語に、無理矢理外国語であった漢字を、「意味が近い」という理由で当てはめていきました。ですから、昔から日本にあった単語ほど、現在の漢字(むしろ中国語)の読みには当てはまらないものが多いのだと思います。こんな煩雑なルールを現在も続けていたら、漢字の読みは際限なく増えるだけでしょうから、「覚えやすいように」つまり、皆が楽に日本語を使えるように、読み仮名は統一されている方が便利だと思います(恐らくこの名残として、漢字の読みには「人名読み」と呼ばれるものもあります。これを100%知っている人は、きっと日本人でも存在しないでしょう。当て字が許されていますからね。最近のお子さまの名前は読み方がわからない漢字も多くて、これは言語として成り立っているのか個人的には疑問です。言語とは、自分の伝えたいことを相手に正確に理解してもらうためのツールだと思っていますので) キーボードで文字を打つにしても、アルファベット1文字分くらいの違いならそれほど労力に違いがあるとは思わないのですけれども……という考え方は、私が日本人だからなのでしょうか? (2)上記の理由から、「けんちっきょうかい」になることは難しいのではないかなと考えます。私もパソコンやワープロはローマ字打ちをデフォルトにしておりますが、少なくてもキーボードを打っている時に、その単語の口語読み(ローマ字綴り)を意識したことはないですよ。建築協会の例であれば、「kenntik(u)kyoukai」と一気に打つよりも「kenntiku」「kyoukai」と別々に短く打った方が覚えることが少なく、さらに言えば「け=ke」「ん=nn」「ち=ti(ほとんど使わない「c」の位置を覚えて3文字にするより、tiの方が楽)」「く=ku」……と、ひらがなのローマ字打ちだけ覚えて打つ方が、個人的には覚えることがもっと少なくなって楽です。「Q」や「X」はほとんど使ったことがありませんね(「ん」を打つ時にnを2つ重ねるのは、私の癖です。「ん」と書きたいのに「ぬ」になったりすることが多かったりしたので)。 (3)例えとして合っているかどうかは自信がないのですけど…… 例えばご質問者様が書かれている「ディフォルト」という単語は、「でぃふぉると」と打った後、私のパソコンでは「ディ」と「フォルト」で分かれてカタカナに変換されます。「デフォルト」なら1回で変換できます。そして、fの発音に馴染みのない日本人は、「デホルト」と読んでいる人もいるのではないでしょうか。 耳で聞く場合ならともかく、文章で書いた場合に、「デホルト」から「default」というスペルを思い浮かぶ人がどれだけいるかというと、あまりいないと思います。つまり、日本語における「読み仮名」というものは、あくまでも日本全国誰でも「建築協会」という漢字を書けるようになるために必要なルールであって、その逆が尊重される例は少なくても現代の日本ではあまり出てこないのではないでしょうかね(「けんちっきょうかい」が市民権を得て、「建築」だけの読み方を問う問題が出た場合、「けんちっ」と書いて○をもらえるのか?という別の問題も出てきそうです)。 長々と書いてしまいましたが、私の結論は「文章を書く場合のルールは、少なく、答えにも揺れ少なく、システマティックな方が覚えやすく汎用性も高く使いやすいので、読み仮名は統一されていた方が好ましい」です。 …と、ここまで書いて、ナンバー20さんへの回答を拝見しました。私は、ご質問者さんのように、外国人の方の名前の呼び方も統一した方がもちろん便利じゃないかと考えます。最近、歴史の教科書では中国人や韓国人の方の名前の読みを、漢字の読み仮名表記と表音読み表記の2つを併記している例が多いですが、それは覚えることが2倍になるということでしょう。どちらかに統一した方が楽だと思いません?ただ、現代では言葉が氾濫しすぎて、それを審査できる人も機関も皆無であるところに問題があるのだと思います。「けんちっきょうかい」を認めてもらいたければ、多分国語審議会にかけなければダメでしょうが……。 余談ですが、口語主義を徹底させるべきなら、私は日本全国津々浦々の方言も徹底的に尊重すべきだと考えます。そして、そんな私は東北の方言や沖縄の言葉を耳だけで理解できる自信はありません(笑)。

noname#41949
質問者

お礼

20さんへのお礼欄で書いたあと、矛盾に気づきました。外国人の名前の読みが統一されていないことへの苛立ち、読みの多様性への要求、これは矛盾しています。「建築協会」は「けんちくきょうかい」だけ、という共通認識を持っておいたほうがよいみたいです。 そろそろ結論が出たようです。質問をした自分自身が「けんちっきょうかい」はやっぱりだめだな、と思えてきました。そう説得したのは回答者さんです、てへ。

回答No.20

文字の任務は言葉を視覚化することです。聴覚を視覚化することではありません。 会話を交わすときだって、口は音を発しているというよりも、コトバを発しているのです。耳は音を聞いているというよりも、コトバを聞いているのです。 ケンチッキョウカイなんてそんなことは言ったことも聞いたこともないと主張するかたがたがこれほど多数おられることは、その証拠の一つでしょう。 ですからこの単純な事実をなぜか認識できない表音主義者どもが戦後のドサクサにまぎれてやらかした蛮行を食い止めることができなかったことは、日本語使用者にとっては悔やんでも悔やみきれぬ痛恨事です。 文字が言葉を視覚化するのではなく、どこまでも発音を視覚化してゆこうとすれば、いずれは言語表現として機能しなくなります。やっとうかんとってになるといい、って一体全体、こんなもので他人が意味を取れるとお思いですか? 八つ羊羹取ってと書けば誰にでも、コンテクスト抜きでもそれとわかることを何故わざわざ意味を伝えぬ表記にせにゃならんのですか。 表音主義者の目指すところは漢字の廃止です。ひらがなだけにして、さらに各人各様に崩れる発音に忠実になろうとしたら文字による日本語の伝達は不可能になるのは自明です。これが自明なら、表音主義が徹底できないのも当たり前のことでしょう。 それから建築協会を平仮名で書けば「けんちくきょうかい」だからと言って口でケンチッキョウカイと発音してはいけない、などとは誰も要求してないでしょう。そのへん誤解がありません? 「一発変換してくれたこっちの勝ち」っていったい、何に勝つんですか?  

noname#41949
質問者

お礼

みゃうー!回答者さんのようにアツい方は大好きです。 ●最後の段落>「要求しない」のなら無害ですが、日本語を守ろうとする変な正義意識が、一発変換などのユーザーのために便利な機能の追加を妨げるものであってはならないと考えています。 ●回答者さんは、「表音主義者」対「字音?主義者」の対立図式に持ち込みたい模様ですね。でも、新来の外来語は、例外もいっぱいあれ基本的には現地音主義でしたよね?だから、何種類もの読みがあふれかえっています。サッカー選手、特にブラジル人選手の日本名、ほんとに勘弁してほしいです。Ronaldo がロナウド、ホナウド、ロナルドなど。これは表音主義であるとは言えませんか?矛盾してますね。今まで真面目に統一しようとしないことで、どれだけ日本人が損をしているでしょう?どう言ったときに損をするでしょうか?たとえば検索する時に。ある人、物を検索したいのに、一人に対していくつもの日本名があるものだから、全部調べたいのに調べ漏れが出てくる。セビージャ、セビリア、セビーリャ、セビーリア、云々。誰の責任ですか?旧文部省、それとも???

  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.19

> なぜバツなのでしょう? 国語の質問が、読み仮名を“書きなさい”としているなら、それは仮名を用いた表記法を問うているのですから、発音を書いてバツを付けられるのは仕方ないですね。 > (1)どうして日本語は口語主義が徹底していないのでしょうか? 文語表現の便利さがあるからです。表音主義を徹底すると失われてしまう利点があるためです。 > (2)将来の日本語は「けんちっきょうかい」が認められるほど寛容になるのでしょうか? 可能性ならあります。国会/黒海/告解を(「コクカイ」ではなく)「コッカイ」と読み、表記することの、次のステージですね。ご案内のとおり、現在の歯止めとして、“建築”と“協会”のように二つの言葉の合成であれば、読みの上ではリエゾンしても文章にするときは繋げないというルールがあります。 > (3)「食べれる」……レベルの寛容性を「けんちっきょうかい」はゲットすることができるでしょうか? (2)と同じ質問だと思いますが、違いますか。 大体が、仮名で「ケンチッキョーカイ」と表記するなんて、どこで何のために使われるんでしょうか。ご質問の内容を読むと、パソコンやワープロの変換に関する便宜上のものであって、これは表記とは無関係ですよね。 以下は付け足しです。 # 「ケンチッキョーカイ」と聞こえるのはおかしいという回答が多いのに驚いています。知覚過敏は「チカッカビン」と発音しますし、松尾芭蕉は「マツォーバショー」に聞こえます。NHKは「エネーチケー」です。勿論書きませんが。 # 「建」「築活」「性」の件ですが、合成語の読み登録を個別の言葉と別に加えることになると、辞書が爆発的に巨大化します。非効率的です。 # 歌詞に乗せるときのことを書かれていますが、間に伸ばす音が入っているなら「ケンチク~キョーカイ~♪」です(笑) # ご質問の言葉の使い方とはちょっと違うのかもしれませんが、「Web検索で沢山ヒットするから正しい(ことにすべきだ)」とか、「ワープロソフトが変換するから正しい(ことにすべきだ)」とか、びっくりするような表現をこのサイトでもよく見かけます。私はそんなに“旧い”人間ではないつもりですが、「辞書に書いてあるから正しい」すら変だという認識を持っています。「(絶対に)正しい」がとても簡単に使われるようになってきているような危惧を覚えます。

noname#41949
質問者

お礼

辞書の厚さは増えるかもしれませんが、一発で変換してくれるのは、ユーザーの手数を減らすので利点です。 歌詞にしろ普通の発話にしろ、「く」と「き」が隣り合わせというのは、のどちんこに負担がかかります(分節に気をつけてください)。みなさん、のどちんこを労わりましょう。 私は「ワープロで一発変換してくれたらこっちの勝ち」という意識で書いています。何も「国語界の守旧派に対して聖戦をしかけている」意識はありません。その意味で、「ら抜きことば」は「勝ち組み」ですね。 口語体と文語体が乖離しているのは言語の常識ですね。これは盲点でした。 皆さんのおかげで有意義な議論ができました。

回答No.18

どの言語でも、音韻と綴りにはゆれがあるものです。 また、辞書にある発音記号のレベルでも、実際の発音では、発音表記のうちの記号のいくつかが抜けて発音されるというのはよくあることです。 (1)正書法とよばれる、一種の社会的な取り決めのような部分があるので、どうしても、流行や現状に遅れをとります。つまり、仮名書きは必ずしも、発音を反映しているわけではないのです。 「十方」の発音だって、ジッとジュッがありますが、ワープロソフトの辞書に入っているのも前者だけです。 (2)日本語が寛容かどうかではなく、日本語を使う人が寛容になれるかどうかですね。 「を」をwoで発音するひとも、oで発音する人もいますが、 「リンゴオ食べましょう」とはならないでしょう。これは文法的な一種のわかりやすさを伝えてますから。 (3)建築協会が、建築+協会というようには認識できないくらい、つまり、The White Houseのように句として定着すれば、「けんちっきょうかい」もありえるでしょうけど。

  • Trick--o--
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回答No.17

1.昔はもっと違いました。これでも大分、口語に近づいているのです。 2.その可能性は否定できません。 3.2が認められれば必然的にそうなるでしょう。 参考までに、Wikipedia「日本語の乱れ」項を紹介します。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8C
  • luune21
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回答No.15

#14です。大事なことを書き忘れていました。補足することをお許しください。 「建築協会」の標準語における発音をローマ字風で書くと kenchik kyo^kai となります。 建築の「く」のところはkuではなくkになります。 これは「徳島」がtokshimaであることと同じですね。 ご質問者さんは、このことで、よけいに促音のように(つまり「ちっく」と)聞こえていらっしゃるのではないでしょうか。もちろん「ちっく」と言っている人も多いと思いますけど。

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.14

(1)口語主義が徹底していないのか ご指摘のとおりです。ゆれがあります。 学校教育において漢字の読みにくるいが生じるとの懸念からです。日本の教育では(特に小学校)、低いレベルに水準をあわせて、学習のしやすさということを第一としています。明治以来、教育の前提として日本語は西洋語にくらべてむずかしい、という認識があり、ひたすら、なるべく簡便になるよう改革(是非はともかく)をすすめてきたのです。そしてその場合、言文一致はすすめるが、漢字の読みはなるべくくるわないようにする、ただし、すでに慣用化されたものは口語読みのままでよい、といようにしているのだと思われます。 学校→ がっこう (慣用として発音のとおり) 経済→ けいざい (発音は「けえざい」だが字音を採用)この例多数あり 体育→ たいいく (発音は「たいく」だが字音を採用)  ※有名な例   資生堂 ローマ字表記はSHISEIDO       しかし、発音は「しせえどお」       この表記は、「生」は字音、「堂」は発音       試験では「しせいどう」が正解 このように、日本は二重の読みがフツーに存在するあいまいな社会です。もうこれは、試験の"解答技術"として、あいまいなものは「発音」をさけ「字音」でフリガナをつける、とするしかないのですね。 (2)「けんちっきょうかい」が認められるか 可能性はあります。ただしそうなる確率は低いでしょう。「象さん」は、ほとんどの人は「ぞおさん」と発音していますが、それが認められることはないと思われます。「を」を「wo」と発音すると思い込んでいる人が、実際は「o」と発音しているのと同じように、ほとんどの人は「ぞうさん」と思い込んで「ぞおさん」と発音しているからです。特に「建築協会」は「けんちくきょうかい」と発音している人も多くいるように感じます。とすると、さらにむずかしいでしょうね。 (3) 「食べれる」が許容される日はかなり近いと思います。すでにこのサイトでも「食べられる」と書く人は少数です。「ら抜き」に眉をひそめた人が、カラオケで無意識に「あれからぼくたちは なにかを信じてこれたかなぁ」と無条件に歌っていたりするものです。 しかし、実は明治の文学作品にも「ら抜き」は使われており、その観点からすると「れる」は「五段とサ変の未然形接続」という文法のほうが間違っているといえるかもしれません。ノーベル賞作家の「雪国」でも「来れやしない」という例があります。金田一春彦は江戸時代からある使い方だと何かに書いていました。かといって「忘れれない」とはなりにくいとも考えられます。「ら抜き」といってもけっこう複雑なんです。個人的には、活用形で択一的に分けることにはそもそも無理がある、ということだけは確実だと思っています。「許容される」というより「許容すべき」ことかもしれませんよ。

noname#41949
質問者

お礼

すごく読み応えのある回答で感謝しています。五段とサ変、でGoogleしたら出てきたサイトもすべて、難しかったけど面白かったです。

noname#231526
noname#231526
回答No.13

 私の小学校低学年の頃の体験談です。  友だちが、学校の絵を描いて、それぞれの建物などにひらがなで説明を書いていました。  友だちは、体育館に「たいっかん」と書いてありました。  私は意味が分からなくて、「これ、何?」と聞きました。  その友だちは、「ここに書いている」とその「たいっかん」をさして、「たいっかん」と言いました。その子がそう言った途端、わたしはそれが「体育館」だと理解できました。「たいっかん」と書いてあったのでは理解できませんでした。  「体育館」(漢字表記)=「たいいくかん」(ひらがな表記)=「たいっかん」(実際の発音)なんだなと、その時思ったのですが、それはかなり衝撃的な体験でした。  発音して「たいっかん」、聞いて「たいっかん」でも、認識の上ではそれは「たいいくかん」であって「たいっかん」ではない。それが多くのネイティブ日本語スピーカーの認識だと思います。  で、「建築協会」も同類だと思いました。  余談ですが、私は「を」の発音は「wo」だと思っております。「標準語」の細かい説明に「を」は「お」と発音する、と書いてあったのには非常に違和感を覚えました。

noname#41949
質問者

お礼

>(最後の段落) 私もそう思います。でもかなり多くの日本人が「を」の発音は「お」であると思っているようです。特に関東では顕著です。方言差もあるのかもしれませんね。 >(たいいっかん) 私は逆の衝撃を持ちました。パソコンの前で仕事をしていて、疲れたときがありました。すると、単語は忘れましたが無意識に「たいいっかん」と入力していたのです!最初、どうして変換されないのかなー、と真面目に不思議に思っていました。そしてやっと、そもそも「たいいっかん」なる綴りは存在しないことに気づきました。 これ、本当の話です。でも、「たいいっかん」や「けんちっきょうかい」のほうがずっとエレガントな綴り、発音じゃないでしょうか?あなたがもし歌手か作詞家だとして、どちらを歌詞の言葉として選びますか? みなさん、意見の相違はあれとても有意義な議論を展開してくださったので感謝しています!この質問をしたのは無駄ではなかったと信じます。

回答No.12

No.10 です。 嘘を書いていました。 ポートもコードも最後は( u でなくて) o ですね。 ですから、子音で終わると u が補われると決まったわけでもないようです。 それでも、k で終わると、u が補われる気がします。

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