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生きるのが面倒です。
正直、あまりにも人生がついてなくて生きるのが面倒です。 自分の人生は終わっているように思っており、 いっそ人生のジョーカーである殺人・自殺のカードを切ってしまおうかと思ってしまうほどの自分の中では絶望レベルです。 親はそんな自分に「もっと辛い思いをしても頑張っている人もいるんだから」としか昔から言いません。 そこで思ったんですが、不幸な人の例として例えば不幸な事故・犯罪の被害者となり自分の人生で大切なものを失った人は何の為に生きているんでしょうか?。 先日、殺人事件で娘を失い時効を迎えた遺族の方がドキュメントで取り上げられていました。その方は「あの時に自分の人生は終わってしまいました」と言っていました。 彼女は何の為にこれからの人生を送ればいいのでしょうか?。何のために生きているんでしょうか?。ただ延命のためでしょうか?
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目的や大義が無くても、人というものは生きてゆくものだ。 それは、動物だから。 動物ではなく、人として、目的のある人生を送りたいのに、その目的というものが絶望的に存在しないし、今後も発生することも考えがたい、という場合もある。 だから、1年間に3万人も自殺者がいるんだよ。この国には。 自殺を否定したところで始まらない。 現実がそれを追認しているのだから。 だから「自殺しろ」といっているわけじゃないよ。 わたしだって、既に目的を失っているけど、生きている。 実は、一回自殺を試みて、失敗してしまったのだ。 芥川龍之介の時代なら、薬だけで簡単に死ねたんだろうけど、今の世の中、極めて死ににくい。 こうなると、ある意味「敗者の生き方」だが、生きていること自体が目的なのかもしれないと逆転の発想をしてみることもある。 つまり、「手段」だと思っていたことが、実は「目的」なのじゃないかとね。 強引なのはわかっているが、そう思うことでしか慰められない。 例えは悪いのだけれど、順調に成長して、何の苦労も無く勇者になって、何の苦労も無くひたすらモンスター倒してゴールドにも恵まれて最強の武器をそろえることも容易で、最後の敵の大魔王まであっけなく倒すことが出来るようなRPGって、面白いのだろうか? (そんなもん、クソゲーでしかない。) なれば、現時体験として絶望的な不幸に見舞われてもゲームのリセットボタンを押さずに続行する勇気のあるゲーマーというのは、真のゲーマーではないかとも思えるのだ。 というのは、言い古された理想論だけどね。 現実はそこまで甘くない。 生きていれば、これまで想像も出来なかった何かの喜びを味わうことも出来る。 しかし、生きていれば、地獄の苦しみを継続して受けるだけかもしれない。 その差し引きでマイナスの方が多いと判断したら、人生やめちゃえば楽かもしれない。 ただねぇ・・・それは「かもしれない」という予想範囲に過ぎないのも確か。 どっちにベットするかは、本人次第だ。 リセットボタンは、自分が握っている。 自分が握っているからこそ、敢えて押さないというのも、人生だな。
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- tr4
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哲学のカテで質問されているので、哲学的に答えたいと思います(苦笑) 私は仏教を勉強しておりますが、ご存知かもしれませんが、 ”輪廻転生”という言葉を聞いたことがあると思います。 これは、魂は生き通しで、肉体だけが滅びていき、 霊性向上のために、何度もこの世に生まれ変わるという説ですが、 例えば、”親”は選べませんし、兄弟だってそうです。 環境だって、そうです。よね? これは、すべて、前世で自分が撒いた種から発祥するものであるという 考えです。 原因があって、結果がある。 そして、この世で、選べない境遇で苦悩し、成長していく・・。 つまりこの世は、修行の場とも言えます。 例えば。。奴隷的に生き、明日死刑執行されるかも知れないという 囚われの身になったとき、将来も希望も、奪われたと思いますよね? 私も聖人君子ではないので、「やってられない!」と自暴自棄に なるでしょう。必ず。 でも、その中でも、人は”自由”を勝ち得ることができるんです。 実体験した人が書いた本があるので、是非一読下さい。 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%82%BB%82%EA%82%C5%82%E0%90%6C%90%B6%82%C9 彼は、繰り返し言います。 「人生に問いを求めるのは間違っている。私達は常に、人生から問われている存在なのだ」と。 あと、シルバーバーチという、霊界の最高霊という存在が残した 言葉も、合わせて、読んでみて下さい。 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9978374590 「なんで、生きてるの?」の答えそのものが書かれています。
他人は、他人なんですよ。 なんで自分は生きてるの?って考えたこともない人も存在します。 そういう人から見れば、なんで死のうなんて考えるの?ってことが、全く想像も付かない、不可解なことのように、見えることでしょう。 syabumatuさんは自殺を考えたことがあるそうですが、死んでませんね。 絶望してるのに、なんで、死なないんですか? 本当は、生きていたいって気持ちがあるからじゃないでしょうか。 何のために生きるかは、自分で決めるしかないです。 今、こんなに苦しいのは、自分にとって生きる目的を見つける為の、試練の時だから、と思ってみては。
幸運な人というのは人生が終わっても忘れないで居てくれる、自分のことを思い続けてくれる人を得られた人だとお思います。肉体の保存は自分だけが可能にしますが、精神の保存は想い続けてくれる人の存在があってこそなのですから。 >彼女(母)は何の為にこれからの人生を送ればいいのでしょうか?。 それこそ娘をこの世にずっと残したいが為に、自分の胸を痛めても、何の為にならなくても、輝く命の宿っている自分を堕落させないで頑張ったのでしょうね。 生きるのが面倒=死にたくても死ねない状態?なのですかね。 生きたくても生きにくい状態の人の為に、死ぬ気で地雷撤去とか、途上国の学校建設の現場作業手伝いや寄付をするとか、 自分とは逆の境涯でありながらも痛みのある人を救うことになれる資質がありそうです。 幸せを欲しがる人には出来ないことなのです。幸せを誰かに譲る人が本当にこの殺伐とした世の中(苦笑)に必要な人なのですよ。 カウンセリングや自助団体どで今の辛い気持ちを半分は背負ってもらい少しでも自信を取り戻してください。 一番つまらない一日というのは笑わなかった日のことを言います。 すごお~く、下らないことで笑えると、これが充実した一日になるんですよ。 ハムスターを飼って見るとか…癒されるし笑えます。 さて、脚立をきゃたづけないと。
- nacchan
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こんにちは。 うーん、こんな風に思うことってありますね。 実際自分もなぜ生きているのか、 何のためにこの心臓は動いているのか、 何十年生きていてもやっぱりわからないです。 楽しいと思うことをしていても、その先に何があるんだろう?と考えると、むなしくなったりします。 でも、結局ずっと自分の存在意義を探しながら生きていくんじゃないかなと思うのです。 生まれた瞬間から、人は死に向かって進んでいるとも言えます。その死の瞬間に、自分の生きてきた意味がわかるんじゃないでしょうか。 そのために今日を積み重ねているんだと思います。 ブロックの一つ一つは取るに足らないように、 今日という24時間が無意味に思える日もあります。 目の前には何も見えなくても、出来上がったら何かの形になっていた、というように、振り返れば何かしらあるかもしれません。 それを棚卸してみれば、また繰り返しやってみたいことがあるかもしれませんよ。 その何かを見つけるまでは、カードを切るのは待ってみてもいいんじゃないでしょうか。 また、このサイトにこのように書き込みされるということは、絶望の中から何かを見出そうとしていらっしゃるのではないかとお見受けします。 人は皆、無意識に虚しさや生きがいを探しているのではと思いますよ。 私も虚しい日もありますが、生きがいを感じる日もあります。そんな日が明日来るかもしれませんよ。
- kyoromatu
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>何のために生きているんでしょうか?。 いくら考えたところで、それに対する正解はないでしょう。 つまり他人はどこまでいっても他人であり、自分はどこまでいっても自分です。 だから言わずもがな本人のみぞ知るの次元のことです。妥当解として一言で思えることを言えば、人はそれぞれその人次第ということです。 島倉千代子の、人生色々~♪男も色々~♪というところでしょうか。 人生真剣に考えることは良いことですが、深刻に陥ってはいけません。絶望は、愚か者の結論なりとも申します。 だから何があろうと命を大切に生きる人たちは愚か者になりません。 質問の要領を得ませんので、回答もピンとこないかもしれませんが、とにかくあなたの場合もう少し、心に余裕をつくりお気楽に生きることですね。 何がどうなったところで大勢に影響はありません。心頭滅却すれば火もまた涼しです。
- takaccan
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そうですね。その気持ち判るような気がします。 人間、オギャと生また時からいつかは必ず死を迎えるのですから。 死ばかりはどんな人生が成功しても、幸せでも、どん底人生でも、不幸せでもすべての人に平等に割り振られます。 私はオギャと生まれたときから、人は死への準備をしていると思うんですね。死ぬときに幸だった、楽しかった、残すことはないと・・・云えるような人生を準備していくことだと思うのです。 ですから金に執着するのも、最愛の人を失うのも、これすべて人生の1コマなんです。絶望するのも、これみんな生きている証拠です。 いま、をジッと我慢しないで待っていると(生活できる程度)時間とともに気持ちも変わります。 とにかく生、死などこの広い地球、宇宙でのほんのわずかな1コマなんです。 気にしないで生きましょう。やる気が出るまで時間が解決してくれます。
生きる理由が見つからないから死ぬ。生きる理由を見出そうとしないのならそれでいいと思います。 別に1人いなくなったからと言って地球上の生態系が変わる訳でもありませんし。 その程度の人間が人類の役に立つ偉業を成すとも思えませんし。 ただ「どうでもいいから他人を殺す」という考えは止めましょうね。 巻き込まれた人間は非常に迷惑だし、苦労するのはあなたの家族ですから。 人は何が為に生きているかなどその人の価値観・思想の問題で、他人が決め付けるものでもありません。 「あの時に自分の人生は終わってしまいました」と自戒し、その辛さを伝えていくために生きているのかも知れませんし、新たな幸せを探しているのかも知れません。 生き物は何が為に生きるのか、それは優秀な遺伝子を後世に残す為に生きているだけです。 人間がモルモットで研究するように、宇宙を創造した誰かが人間で研究しているのかもね。
- KNIGHT11
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例えばですが、ご両親がご健在のようですので 「両親を悲しませないため」これだけでも理由としては十分ではないですか? 親はあなたが死ねば当然悲しむでしょう。 あなたはまだ十分には親孝行できていないのではないですか? 「自殺」なんてものは究極の親不孝だと思いますよ。 「自らの為」これも一つの行き方ですが、「人の為」という行き方もあります。
- minofenv
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生きる理由がなくても、積極的な死ぬ理由もありません。 一般に自殺は禁忌とされているので、生きる理由がない、といった消極的な理由では、自殺に対する拒否感情を超えられないのでしょう。 また、自殺は(多分)とても痛かったりつらかったりしそうで、普通怖いです。そして公の場では簡便な自殺の方法など教えてくれませんので、やり方もよくわかりまん。 それと、生きる理由など、なんでも良いと思います。今日食べたラーメンがおいしかった、また食べたい。こんなものでも十分でしょう。