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教養は何故必要なのでしょうか?
教養は何故必要なのでしょうか? 私は殆ど本を読みません。映画も余り観ません。新聞も読んでいません。 過去、受験競争などといったものにも全く縁がありませんでした。 なので最終学歴も田舎の短大卒と低いです。 一般的な歴史的知識、地名、人名、時事的な事柄…いわゆる教養というのでしょうか、 そういったものがザックリ欠けていると自分で思います。 多くの事に興味がありません(これを世間では無気力というのでしょうか。) 最近良く聞くのが、「ホリエモンがどうした…建築士がどうした…」 私はそういった事を聞いても「だから…?」と思ってしまうのです。 自分が興味のある極々狭い世界以外の、あらゆる事柄に興味がないのです。 たまに映画を観たり本を読んだりすれば、ある程度は楽しいですが、 興味のある世界に没頭している時間の方が、余程高揚も出来れば落胆もします。 一方、新聞やニュースから時事問題を蓄積しても、面白くありません。 常識知らずと疎まれる事や、軽視されること、また世間に対して大きな劣等感を感じる事もあります でも楽しくない事に対しては気力が全く沸いてくれないのです。 それに、欠けている知識も、必要なときwebで調べれば簡単に分かることが多いです。 [教養]は何故必要なのか、教養を深める作業のどういった面に興奮を覚えればいいのか、 この点を理解されている方がいらっしゃれば教えて頂けないでしょうか。 私の文章を読まれての、感想やコメント程度のみでも頂ければ参考になります。 宜しくお願いします。
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こんにちは。 わたしは、他人に教えてやれることがひとつでもあるんでしたら、教養がある、と言えるんじゃないかと思ってます。 教養とは、知識という肉を調理し、口に運ぶ、フライパンや皿、ナイフ、フォークのようなものではないですか? 知識を使える、むすべる、伝えられる、それ以前に理解できること。これらは教養あってのことです。 教養が深いことで、ひとつのものごとにより多くの価値や感動を見出すことができますから、教養を深めることはムダではありません。 懐疑的に思うかもしれませんが、今あなたの持ち合わせない教養が、あなたが楽しいと思う対象を広げてくれることになるかもしれませんね。
- overtone
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40代のオヤジです。 自分のこども達(中3、小6)と 学ぶとは何かについて 教育関係ド素人では ございますが 考えてまいりました。 いわゆる 学習や教養などは 「過去に人が考えたことを学ぶこと」 と 捉えています。 教科書なんかは、それが 体系だって 記述されている。 例えば 数学。デカルトなどが 過去に考えたことを学んでいる。 社会常識や 社会習慣なども 「過去」のものを 人伝えに聞いたりして 自分の頭で理解してゆくわけです。 そして それは 「これから 自分の身の回りに起こる事象」(未来) に対応するために 学んで行くのだと考えます。 (いわゆる 研究も 学校での授業も 新聞も 人と話すことも みな 同じようなこと(過去を学ぶ)ってことです。) (身の回りでこれから 起こることは 自分自身でしか対処してゆけないですから。) (過去を学び 未来に対処してゆく 死ぬまでこれの繰り返しだと思いますが・・。) ========== 私自身は、人と話したり 本を読んだりなどして、自分の価値観が変わるのに興奮を覚えるようです。 苦痛の場合もありますが、今までの自分の考え方が拡張したり 変化(パラダイムシフト 古いっ!)するのが ワクワクします。 結婚して 20年近く経ちますが 家内とは 価値観が異なり かなり いやな思いもしていますが、これこそ 価値観を大きく変える力であり 結婚生活を続けられる源と考えるようになりました。 (もちろん こども達も 結構 影響を私に与えておりますが・・。)
文を読んでの感想です。 「教養」と「知識」を混同しているようですね。 教養と知識の量はあまり関係ないでしょう。 教養のある人とは単に物知りということではなく、その人の品位を知識によって高めることの出来た人、という風に私は思います。 超一流大学を出ていても、また、ワイドショー的な話題に詳しくても教養があるとは言い難い人も多いことでしょう。 (雑学大好きの私はまさにこの部類です) 教養も常識もご自身が不要と思われるならそれで良いのではないですか? >常識知らずと疎まれる事や、軽視されること、また世間に対して大きな劣等感を感じる事もあります ご自身のなかで一番問題なのはこの部分でしょう。 大体、世間の出来事に興味が無いのに世間の評価を気にするところに大きな矛盾を感じます。 「自分が興味のある極々狭い世界」を深く掘り下げることに没頭するのもひとつの生きかたとして立派なことだと私は思います。
- kappath
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僕は、公文の先生をしています。 さらに、大学院で研究をしている大学院生でもあります。 その立場でのお話ですので、必ずしもあなたに当てはまるとは限りません。 まず、公文の先生という立場で言うと、 生徒に尊敬をしてもらわなければなりません。 最も手ごろで簡単な方法が、「何でも知っていること」 一般常識から、科学の話から、歴史の話まで。 どんな話をしても、ついてきてくれる人というのはそれだけ親しんでもらえるし、 尊敬してもらえるので言うことを聞いてもらうのが簡単です。 さらには、子供たちの親との関係もあります。 こっちが何も知らないと、親も不安になります。 「子供をちゃんとした人に預けている」と思っていただく為にも、 教養は持っておく必要があります。 続いて、研究者としての立場で言うと、 何も知らないと研究が出来ないので、何でも知識を手に入れておいたほうがいいです。 いつどんな時にどんな知識が必要になるのかわかりませんから。 >それに、欠けている知識も、必要なときwebで調べれば簡単に分かることが多いです。 とありますが、その時間を短縮したいとおもったことはないですか?? 例えば、人と話をしている時に出たことは、 検索して見つけることは出来ないですよね。 リアルタイムに話が出来ないと、相手もつまらないとおもってしまうでしょうから。 ここまでが、「教養」の必要性についてです。 さて、教養を深めるための作業についてですが、 興味がないのなら、別にいいとおもいますよ。 興味がないのなら、周りが共用の必要な話をしていても入っていくことはないでしょうし。 興味があることだけを深く知っていることも大切だとおもいますし。 人間、知識欲ってものがあると信じております。 その知識欲が、人によって大きいか小さいか。 それは、他の欲と同じで個人差があるもの。 だから、自分が知識欲がないからといって劣等感を感じる必要はないとおもいますよ。 ただ、何でも知れば知るほど面白いものなので、 話が上手な人にいろいろと教えてもらうのが一番簡単で何でも知ることの出来る方法でしょうね。
- HANANOKEIJ
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こんばんは、nimo_nimoさん。だれかに恋をしたら、教養なんかふっとんでしまいます。それでいいんじゃないでしょうか。惚れるといってもいいです。あこがれる本物の大人がいなくなったのでしょうね。そんな男を一人ご紹介します。前田慶次郎です。ジャンプコミック「花の慶次・雲の彼方に」を読んだら、教養の意味がわかると思います。人柄、そのひとのまわりにただようあたたかさ、におい。
- OsieteG00
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>新しい事を知るのが楽しい理由 ですが、ひとそれぞれだとは思いますが結局は自己満足ですよね。「こんな事を自分は知っている(忘れる事は抜きにして)」「これを理解できる自分はすごい」「自分が成長できた」「新しい自分が発見できた」ことを考えているかと。他人にいうと自慢になりますけど、他人に言わなくても自分で思っていれば同じです。人によってはそれを知識欲の解消という人もいます。 苦しむなら、それは必要としていないからでしょうね。必要とするなら、自然と苦しまなくなるものです。このような知識そのものは、人間が生きていくうえでは本質的には必要のない事が多いですので実感がわかないかもしれません。他にやる事があるならなおさらですね。
- lookfor
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常識があれば、人から疎まれずにすみます。 それに知識があれば、職に就けます 専門知識が深ければ、より楽しいと思います。 それに、教養があれば、尊敬されると思います。 全て、人生を楽しくしてくれるものだと思いますが、 詰め込むものではないと思います。
- smthy
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ニュースや新聞などで一般教養を身につけるという事は、他人との話題作りや会話が弾む要因になると思っています。 目上の人と会話をする際に共通の話題がない時に使えたり、人からニュースの話題を振られて「知らない」と言ってしまっては会話が途切れてしまうので、そのために教養はある程度必要なのではないかと思っています。 ニュースを見て「だから?」といってしまうのではなく、「私だったらこうしたのにな」とか、「こうするべきだったと思う」と自分の意見を持つ事によって、ふと意見を求められた時に発言出来るようになるのではないでしょうか。 でも、みなさんも言われている通り、人それぞれですから。
お礼
ありがとうございます。 新聞やニュースで報じられる知識や教養、学校で学ぶような雑多な内容それ自体には意味がなく、社会との関わりを保つ為の材料という認識でしょうか。 参考になりました。
- OsieteG00
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別に良いんじゃないでしょうか。必要と思わなければ必要はないかと。人それぞれですからね。というか、他人のことなのでどうでも良いです。 私の場合は知ることそのものが欲望です。手段の目的化という感じですね。新しい事を知るという事が喜びになっています。一つの事を色々な側面から見て、それぞれの違いを知ることも楽しいですね。そのための予備知識としての蓄積でもあります。 >興味のある世界 これが向いている世界がそれぞれ違うということですから、比較する事自体がナンセンス。広く浅くか、深く狭くかの違い。 >常識知らずと疎まれる事や、軽視されること、また世間に対して大きな劣等感を感じる事もあります 前記の事と矛盾していませんか?まあ、矛盾を抱えて生きるのも人間ですが。これをバネにしても良いかと思いますが、無理して勉強する必要もないかと。
お礼
ありがとうございます。 宜しければ、新しい事を知るのが楽しい理由を教えて頂けないでしょうか? >>「~をバネに」というのは少し難しいです。 道のり自体に楽しみがないと続かないからです。
- w31s
- ベストアンサー率21% (18/84)
教養は、社会における人間関係の潤滑油的なものだと思います(私個人は「礼儀」と同義で見ておりますが)。 その上で、人間関係を円滑に進める必要がなければ「一般的な~」なども不要でいいのではないかと思います。実際、職人気質な人にはこういった人、多かったです。しかし、彼らは、彼らの人生の中で必要な情報は確保しており、そういう意味では「無知」などとは感じませんでした。 とはいえ、一般社会で生きるために必要な話題もあると思います。話の輪の中に入っていくためには、共通の話題がないと難しい場合もあります。教養や一般常識の必要性は、まさにそこにあるのではないでしょうか。 また、個人的には「教養を深めること」に対して興奮など覚えません。その知識を得た結果、人間関係がうまくいくんじゃないかなという楽観的願望に対して興奮してます。
お礼
ありがとうございます。 一般的な知識的蓄積がないと、話題を共有するのは難しいですよね。確かにそこに不自由を感じることも多いです。 ただ、人間関係の為だけに興味のない知識を集め続けてゆくだけのしたたかさは、私にはとてもとても。 教養を深める過程そのものが楽しくなれればいいのですが。
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お礼
ありがとうございます。 [知]の吸収自体は楽しみを覚えるものではないのでしょうか。だとしたら、それは無理やり詰め込むものになってしまうと思うのですが。