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親の言葉

 子供は大学2年、高校2年、中学2年です。 他人に迷惑をかけず生きなさい と えらそうなことを 言っています親です。この時世TVや新聞で人殺し窃盗 など殺伐としたことが報道されています。  このようなニュースをみながら 子供に「人を殺すのなら殺されよ 悪いことをするのなら人として生きている 値打ちがない 死んでもいい」 と言ってしまいます。  この発言は 短絡的で言いすぎでしょうか。

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  • songbook
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回答No.3

言葉だけを受け止めますと、確かに短絡的なものを感じます。 でも大事なことは、お子さんたちがその言葉をどのように受け取ったかということでしょう。 「人を痛めつけることが平気な人にはなるな、悪いことをするような人になるな」ということが心のずいまでしみ込んでいればよいのでしょう。 言って悪いとまでは言いませんが、この言葉を繰り返しお子さんたちに投げかけていると、ややもすれば「死」というものに対しての意識が希薄になってしまうかもしれません。 私の若い頃、心に残っている言葉に、「おまえなあ、人に迷惑かけずに生きるなんて活力のないこと言ってちゃいけないよ。それは、人の邪魔にならないように生きようとしているのと同じじゃないか。」「それは、人を避けたり、遠慮して生きていくことにもなりかねない。」 「人とは触れ合いなさい。思い切って世話にもなってもみなさい。でもね、絶対に忘れてはいけないのは、ありがたいと思ったり、恩を感じたり、恩返しをしていこうとする感謝の気持ちを持つことなんだよ。」 屁理屈のような言い方ですが、人間だから、人に迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。でも、「あいつは迷惑な人間だ」と後ろ指を指されるような人物にだけはなりたくないですね。同じく、悪いこと、過ちもあるかもしれません。でもそれを平気でやりのけるようになっては、「悪人」です。私も、そういう人物には許しがたいものを感じますが、そういう人物に、私は、「死」などという甘ったるい言葉は使いません。 「おまえの人権を認めない」「人として扱われるだけの事をしてから、人権を訴えるがいい」…ちょっときつすぎるかな? こいつに人権がなかったら、さぞやスカッとするだろうになあ、と、思わず思ってしまうほどの大悪人、近頃増えていますよね。

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noname#2813
noname#2813
回答No.6

世の中には色々な考えの人がいますから、どれが正しいと言うことはないように思います。 親が子供に自分の主義、生き方を教えるのは普通だと思うし、何もいわないで社会の悪い思想に影響されるよりはいった方が良いんじゃないでしょうか? 本心でそう思っているのなら、また行動でそれを示せるなら子供もついてくるとおもいますが、大人社会の常識だからという程度では子供のなぜ?に答えられないような気がします。 たぶん、押し付けであって本音がこもっていないようだったら、子供は受け入れないような気がします。

  • hiromuy
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回答No.5

言いたいことは分かりますが、子供の躾の言葉としては、例えが大げさであまり良くないと思います。子供の方も言いたいことがあまりピンとこないのではないでしょうか。 個人的なお勧めですが、海援隊の「贈る言葉」の歌詞中には、子供の躾に使えそうなフレーズがたくさんあります。 ここでは紹介は割愛しますが、良かったら参考にしてみて下さい。

noname#2538
noname#2538
回答No.4

小学6年生と4年生を持つ親です。 もし私が同じことを自分の両親から言われたら、非常に悲しくなると思います。「死んでもいい」という言葉は、自分が愛する人間からは、どんな状況にせよ絶対に聞きたくない言葉です。極端な話、「では私は本当に愛されているのだろうか…?」と考えてしまうかもしれません。 また、親の立場から考えますと、自分の子ども達にはどう考えてもjamuさんのおっしゃっているのと同じ言葉は言えません。また、「人として生きている 値打ちがない 死んでもいい」という理論は、「人の命の大切さ」を教える際には矛盾点となってしまうような気もするのですが…。 未熟者が勝手なことを言ってすみません。でも、これが正直な私の気持ちです。

  • ki61
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回答No.2

私の観点からは、いささか短絡的であると思います。 「人を殺すのなら殺されよ」とおっしゃっておられますが、 私は「殺されるくらいなら殺す」といつも言っています。 自分がなんら悪いことをしていないのに、 突然殺されるなんて理不尽な事をされるくらいなら相手を殺します。 また戦争その他なんらかの理由で、 近しい人や親族が命の危険にさらされたら、 その害を与えようとしている人を殺します。 「話せばわかる」なんて言葉は実際ほとんど通用しません。 ですから私の考えでは、集団的自衛権を実質的放棄するような行為、 たとえば自衛隊不要論のようなものは絶対同意できません。 >悪いことをするのなら人として生きている  値打ちがない 死んでもいい というのは、 >悪いことをするのなら人として値打ちがない ということでしたら概ね同意しますが、 死んでもいい、とまでは同意しかねます。

  • oo1
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回答No.1

子供達には命の大切さを教えてきたつもりです。これは人の命も自分の命も大切であるということですね。即ち、殺すのも、殺されるのもイケナイ訳です。 更には、極限状況の中で生きるためなら、盗み程度の悪事なら緊急避難として、許されてよいとすら思っています。 従って、質問者の「人を殺すのなら殺されよ 悪いことをするのなら人として生きている 値打ちがない 死んでもいい」とするご意見には、異議あり。「この発言は 短絡的で言いすぎ」と思います。

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