ごく簡単に述べます。
封建制社会が展開して行くと、「労働には価値がある」という、価値観、倫理、エートスが生まれます。また、こういう価値観・倫理・エートスの発生がないと、封建制の高次展開はないのです。
普通に、物品・商品に価値があり、それは「量」で計ることができるという考えは、西欧以外の、アジア型生産社会でもありました。小麦100キロは、小麦50キロの二倍の価値があるなどは、当然分かった訳です。
西欧の封建制の展開において、労働に価値があり、労働の「量」で、価値が計れるという考え方が成立します。これは、人間の労働が「価値」だというエートスがないと成立しません。奴隷制社会や、その延長のような社会では、奴隷の労働には価値などない、ということになります。命令する主人がいるので、奴隷の労働で、作物や商品ができるので、主人の命令が価値あるなどという話になります。
労働に価値があり、量で計れ、他方、物品・商品にも価値があり、その価値は量で計れるという考え、エートスが明確に成立した時、初めて、労働の量と、物品等の価値の量を、交換する式が成立するという考えになります。そして、貨幣が、この二つの価値の量を媒介し、抽象的な価値の量を測定できる道具だということになります。
西欧以外の社会でも貨幣はあり、商業はあり、商人や商行為はあったのですが、抽象的な「価値の量」の換算の道具としての「貨幣」はなく、貨幣である金などは、金自身の物品としての価値で、一見貨幣の機能を持っているように見えるので、実は、物々交換の進展したものでしかないのです。
西欧の抽象的な貨幣は、貨幣自身には、価値が本来ないというか、貨幣として使われるものの固有の物品価値とは、別の処に価値が設定されているのです。こういう設定は、労働の量の価値と、物品の量の価値の抽象化で、両者の交換性が考えられ、その媒介として、貨幣の概念が出てきたからです。
貨幣があれば、労働も、物品も手に入れることができるので、貨幣を入手することが重用だ意味あるとなり、西欧のすべての人が、貨幣を求めるようになり、貨幣を中心とした、経済活動を、商人だけでなく、農民も職人も、王侯貴族も行うようになり、その結果、資本主義社会への移行が起こったのです。
封建制から資本主義へ移行した理由は、高度封建制は、「労働の価値を認め、それを量で把握するエートス=倫理気風」を生み出した、または、そのようなエートスの成立で、高度封建制は成立し、このようなエートスを前提として、初めて抽象的な媒介である「貨幣」の交換機能が成立したからです。「貨幣の確立」が、資本主義の確立の端緒なのです。
マックス・ヴェーバーは、上のような、労働には価値があるというエートスを、プロテスタンティズムと呼び、プロテスタンティズムと資本主義の発達には、明らかに関係があると云う研究を行ったのです。
お礼
とても分かりやすい回答ありがとうございましたm(..)m マックス・ウェーバーの説明の書いてある本やホームページを探してみようと思います。