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領土

樺太 千島列島 北方領土 ・・・ この3つについて現在頭混乱中です。 中学生でもわかるように結局どこの国の領土なのか できれば歴史的に教えてください。

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  • tachiuo
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回答No.5

江戸時代後期の1798年、近藤重蔵(守重)が択捉島に「大日本恵土呂府」の標柱を建てました。つまり、択捉島までは日本領であるという認識が成立したことになります。なお、それより前、幕府探検隊の一員であった最上徳内が、1786年に得撫島まで行っています。1855年(旧暦では1854年)の日露通交条約(和親条約)で千島は択捉島・得撫島間を国境とし、樺太は両国人雑居地とて国境を定めませんでした。太陽暦でこの条約調印の日である2月7日が「北方領土の日」となっています。その後、1875年の樺太・千島交換条約により、北千島を含む全千島が日本領に、全樺太がロシア領になりました(日本共産党は、これを根拠に、全千島が日本領であると主張してます)。1905年、日露戦争講和条約であるポーツマス条約で、北緯50度以南の樺太が日本領になりました。1945年、ソ連の対日参戦を促したかったアメリカは、ヤルタ会談で、千島をソ連に引き渡すという密約をしました。1951年のサンフランシスコ平和条約2条C項で、日本は千島の領有権を放棄しました。日本政府の立場は、この条約で放棄した千島には、固有の領土である北方四島は含まれないとの立場を取っていますが、ちょっと苦しい解釈でもあります。ソ連との国交回復が実現した1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結により、歯舞諸島・色丹島の返還が約束されましたが、いまだ平和条約は結ばれていません。しかも、下手に二島返還に合意すると、ロシアから「領土問題はこれで全て解決」とされてしまいかねません。今日の日本政府は、北方四島は日本領、南樺太は日本領であるとは主張しないが、ロシア領と認めたわけでもない、という立場に立っています。

その他の回答 (6)

  • code1134
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回答No.7

 樺太は(千島、樺太交換条約以後、ロンドンと粗同緯度の)北緯50度以南が日本領で、千島列島の北海道よりの国後、択捉の2島なのです。  ですから、"地理(学)"的には千島列島を放棄云々と(No5さんが指摘された)サンフランシスコ条約で謳ったのが苦難の始まり、と言えるかも知れない訳です。  もし、日本が国後、択捉も日本領と主張したければ、"ウルップ以北の千島列島"を放棄と明言すれば良かったのです。  そして、国後、択捉の2島と歯舞(諸島)、色丹の2つを合わせた地域を北方領土と日本側が(戻って来ると信じて)主張している構図になっています。  私もNo6さん他と同様で、国後、択捉の2島も含めた返還は絶望的で、(試験の部分点に似ていますが)歯舞、色丹の2つの返還に力点を置いた方が懸命だと解していますが・・・

回答No.6

地理的にいえば、 「樺太」はひとつの島であり、 「千島列島」とは、北海道からカムチャッカ半島の間に連なる小島の「列島」です。 「北方領土」というのは、「日本政府が『ここはうちの領土だぞ』と主張している地域」という、「政治的用語」といえます。 歯舞諸島、色丹島の2島は、地理的には千島列島には含まれません。 本来は「アイヌ民族の土地」なんじゃないかと思いますが、遊牧民族のように土地に線を引いて所有権を主張してなかったから、江戸幕府だの、大日本帝国だの、帝政ロシアだの、ソ連だの、ときの「力関係」で勝手に線引きされているのです。 (まあ、北海道だって大和民族がアイヌ侵略して領土化しているようなもんで、白人がアメリカ大陸ででかい顔してるのと大差ないといえます。) 最終的な「力関係」がサンフランシスコ条約であるなら、千島列島は日本の領土ではありません。(歯舞、色丹の返還なら…というロシア側の考えに道理はあると思います)

  • pius
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回答No.4

#1です。 失礼しました。 4行目 千島半島ではなく千島列島の誤りでした。

noname#41299
noname#41299
回答No.3

択捉島にレアメタル(レニウムだったかな?)がとれるらしい。海産物資源も豊富だとか。ぜひ返還させたいよね。 でも、戻らないでしょうね。買い戻すなら別ですが。50年も経てば実効支配が確立したようなもので、もう無理でさぁ。樺太に関しては列強同士の駒のとりあいだからさぁ。放棄してもいいけど、択捉、国後だけは取り返したいでげすね。

  • 6dou_rinne
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回答No.2

北方領土というのは千島列島の一部で、北海道に隣接する歯舞、色丹、国後、択捉の4島です。 樺太は今のサハリンです。 明治初め樺太と千島列島は日本人とロシア人双方が行き来しておりどちらの領土ともはっきりしていなくて紛争がありましたので樺太全土をロシア領にする代わりに千島列島は日本の領土とする条約が結ばれて、樺太はロシア、千島は日本のものになりました。 その後日露戦争により日本は樺太の南半分をロシアから得て第二次世界大戦が終わる寸前まではその状態でしたが、第二次世界大戦末期にソ連は日本に宣戦して樺太や千島列島を占領してその状態が今でも続いています。 ですから日本は少なくとも千島列島のうちの4つの島は樺太と交換する前から日本領だったので固有の領土だから日本に返せと主張していますが、ロシアのほうは歯舞、色丹は返しても国尻、択捉はロシアのものだから返さないといっているわけです。

  • pius
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回答No.1

先に言うと 択捉島より南の千島列島(北方領土)は日本の領土です。 もともと択捉島とウルップ島の間に国境がありました。 その後『千島・樺太交換条約』(1875)で千島半島全域が日本領に樺太全域がロシア領になりました。 日露大戦後の『ポーツマス条約』(1905)では、南樺太が日本領になりました。 その後、第二次世界大戦中に「カイロ会談」というのがエジプトのカイロで英・米・中の首脳によって開催されました。ここで、「第一次世界大戦以降(1914)に日本が獲得した海外領土を奪還する」と言うことが決められました。 またヤルタ会談(ソ連)では、英・米・ソ連の首脳がソ連の対日参戦とその見返りとして南樺太と千島列島(北方四島を除く)の領有が認められました。しかし秘密条約のためその実効性、信頼性はきわめて薄いものです。 しかし、終戦直前にソ連はこの会談を基に日ソ中立条約を一方的に破棄し対日参戦します。(この条約は破棄宣言後1年間は有効という条件があったので明らかに条約違反です。) ポツダム宣言受諾後(終戦後)、ソ連は北方四島まで支配下においてしまいます。これは対戦終結後の新たな侵略とも考えられます。 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島を破棄します。アメリカの見解では北方四島は日本の領土であるとしています。またソ連はこの条約に調印してないので、領土問題が未解決のままなのです。 去年の欧州議会でも、北方四島は日本の領土であるとしているので、国際的にも日本の主張は認められているといえます。 ただし南樺太に関しては、ヤルタ会談の実効性も薄くおそらくは日本の領土であるといえますが、特に大きく問題にはされていません。北方領土のほうが経済的メリット(漁業)が大きいからです。