花が美しいのは、花の意思ではなく、心の原理だと思います。心の原理が、心のスクリーンに花を美しく映し出しているのだと思います。
この世界のあらゆる現象の「具体的なありよう」は、全て「心」によって決めれています。例えば、赤い花が赤いのは、花が赤いのではなく、「心」の働きが花に「赤さ」を与えているのです。花は、ただ、特定の波長の光を反射しているに過ぎません。その特定の波長が「赤く」見えるか、「青く」見えるか、あるいは、「灰色」に見えるかは、花の側の問題ではなく、それを見る「心」の側が決めていることです。同様に、花の良い香りも、花自身が良い香りを発散しているのではなく、花から発散される特定の分子を「心」が「良い香り」として受け止めているのです。
ここで、最も不思議なことは、ある波長の光が、「赤く」見えるか、「青く」見えるかを決定しているのは、物質的原理ではないということです。言い換えると、科学的因果関係で決まっているのではないということです。何の理由もなく「偶然」そのように決まっているということです。それを「心の原理」と言っても良いと思います。
同様に、花や景色を美しいと感じるのは、花や景色が美しいのではなく、花や景色が心のスクリーンに美しく映るように、心の原理が働いているからです。では、何故、花や景色は心のスクリーンに美しく映るように、心の原理が働くのでしょうか?これに対しては、2通りの答えがあるように思います。
一つは、もし、花や景色が心のスクリーンに美しく映るように心の原理ができていなかったとしたら、例えば、花を見るとムカつき、花の臭いを嗅ぐと、吐き気を催すように心の原理ができていたとすると、そのような心の原理を持った人類種は、人生を悲観して、生存意欲をなくし、早々に滅亡してしまったと考えられます。従って、結果的に、花や景色を美しいと感じる心の原理を持った人類種のみが今日生き残ったという考えです。
もう一つの考えは、人類が生まれてきた段階で、初めから、花や景色を美しく感じるような心の原理を持っていたという考えです。
私は、後者の考えを取ります。理由は、自然は最もエレガントな解を最初から選んでいるように私には思えるからです。
お礼
詳しく説明いただきありがとうございます。 花は、ただそこに咲いているだけで綺麗でいるつもりは、ないんですよね。それって言い換えればほんとに素晴らしい事なのかもしれません。 人間の感性の問題なんだと、わかりました。 ありがとうございました!