- ベストアンサー
大学院への不安
大学院進学を春に控え、その手続きの書類を書いています。以前から漠然とした不安があったのですが、将来が現実味を帯び始めてその不安(あるいは緊張)が急激に高まってしまいました。結婚や転勤などもストレスとなって鬱を引き起こす事があると聞いていますが、自分の場合ももしかするとそういったものかもしれません。 大学前に一浪し、大学では教授の人間性に疑問を感じて(またより高度な研究分野に興味もあり)、結局再度浪人となってから別の大学院に受かりました。(理系で、関係ないかもしれませんが二流程度の国立大学です)。一年前の学卒当時は研究・勉強意欲がかなりありました。 自分は運も、そして頭もあまり良くないと思います。(書いていて悲しくなってきますが、今の精神状態を反映しているかもしれません。)アルバイトをしていた時期もありますが、今は進学先のレベルに近づくようにと勉強や準備の日々です。昔の同期は就職先でキャリアを積んでいる人が多い中、自分はどん底のようで将来も見えず、相談相手もいません。状態が悪化すれば通院しますが、何か気楽になれるアドバイスなどありましたらご回答下さい。自分的には交友関係の希薄さゆえの不安や寂しさ、緊張ではと感じるのですが‥。一度専門から離れてアルバイト生活などすると、専門分野が実生活から遠く離れた虚しい世界のように思えたり、理系の不遇を述べた本を読んでしまったり‥。そんな現状です。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 不満をのべた本を読んで、笑い飛ばせる余裕があるなら読めばいいけれど かえって落ち込んでしまうくらいなら、その本は読まなかったことにして、捨てましょう。(冗談) 新しい環境に身をおくのですから、不安はあって当然です。 人間には防衛本能が備わっていますよね。新たな場所へゆくときに 漠然とした不安を感じるのは、ごく自然で、ある意味必要でもあります。 経済的な事情や、病気などで、進学がかなわない人もいます。 まず、進学できることを、感謝してみませんか。(環境にでも、親にでも、自分にでもいい) それに、院試に無事に受かったのですから、実力はあるんですよ。胸を張りましょうよ。 全員がほとんど同じ大学院に進むような環境ならともかく、 友人・知人のなかで、学部卒後すぐ就職するものがいたり、 あるいは、いろんな人が違う大学院に進学したりすると、誰でも動揺しますよね。 あなたの場合は、学部卒後一年浪人されたわけですから、 おいてゆかれるような気持ちがあって当然だと思います。 修士入学までは、とくに何の問題もなかったのですが 修士に入って、体調を崩ししばらく休んだことがありました。当時 ただでさえ、ついてゆくのに必死だったので 置いてゆかれる感じが物凄くし、焦ってばかりいました。 教官らや先輩、同期の人間らが、入れ替わり立ち代わり見舞いにき みんな言い残してゆきました。勉強はいつでもできるから、と。 そのときは、その言葉を受け止める余裕なんてありませんでしたね。それを聞いても 辛いばかりで。 苦しいとき、焦るとき、つらいとき、不安なときって、前進できないし 何をきいても安心できないものです。でも、その苦しさや焦りや不安は ただの感情にすぎないので、それをうまくやりすごせると、いいですね。 今までの回り道が、本当に些細な出来事であったなあとか、今の苦しさも 懐かしさをもって笑いながら、あんなこともあったなとか、思い出せる日が、いつか必ずきます。 これからの研究はきっと実りあるものになりますよ。 希望をもってゆきましょう。 忙しくするのも一つの方法と思います。私は楽器を弾いたり、趣味の本を読んだり あと手先をつかってする趣味をもったりしています。日に当たって散歩する、運動する、などが効果的な人もいますね。 自分の大学を二流とか、自分を頭よくないとか、私もついいってしまうんですが たまに怒ってくれる人がいてはっとします。そんなこと言わずに誇りを持てと。 前途に希望がもてるといいですね。
その他の回答 (10)
- pate_brisee
- ベストアンサー率51% (473/913)
私はただの下っ端です。普通の主婦が気晴らしに働いている程度ですよ。 どんなことを専門にされているのかわからないので、何ともいえませんが 着眼点のよしあし、タイミングのよしあしに関わらず、目的の見えにくいデータ収集はあるんじゃないでしょうか。 その目的の見えにくさが、おっしゃるように、教師の指導方法や環境に問題がある場合はあるでしょう。 でも、回り道をする学生もいるし、あえて突き放す場合もあります。私もとことん突き放されてきましたよ。 自分で考えなさい、とはよく聞く台詞かもしれません。とある授業で、質問してきた学部生がいたと上司が申しておりました。 この数式の答えを教えてください。上司はこう返事しました。4年も考えたらわかるんじゃないですか。 その途端学部生は、ひいたそうです。答えがすぐに得られるものと思うのは、よくないです。 年度末の予算を使い切らなくてはならない時期ですが、 急にべつの同僚が、一つの費目の使い方を変えたいといってきました。話をきくと、昨夜 ワークステーションのハードディスクがクラッシュして、ワークステーションごと つかいものにならなくなった。昨日まで院生と2人で一所懸命計算して、ここ数ヶ月集めた データを形にしかけたものも、後期の試験の採点も全部パーです。 だいじょうぶ?きくと、彼は笑っていました。その直前に、彼が一緒に研究をしている 院生とも廊下ですれ違いましたが、いつものように穏やかな表情でした。 余裕があるんじゃないんですよ。心の中は必死です。 でも、そんなことで一々めげていたら、ここで、やっていられないです。 基本的に結果が全てです。大学は論文で判断される場所です。努力したかどうかが大事じゃない。 努力は素晴らしいし必要ですが、ある程度の努力は出来て当り前(そうでないと生き残れないし、 そういう人だけがここで生きてゆく。努力を努力と思わないというのかな)と個人的には考えます。 結果がでないことには、どうしようもないです。スポーツ選手だって、芸術家だって、評価されるのは、 勝利した人・人に感動を与えるような結果を残せた人だけで、成績のよくない選手、 人を喜ばせることのできない芸術家の努力が、社会的に認められますか? ただ、自分にむいている・いないを見極めることは大事だし、その点で 困っている学生が必要とするのであれば、教師の指導は重要と考えます。 それから、全ての教師が優れているとは限りません。学生の見る目も必要でしょう。 以前の勤務先の研究室に、とある院生がいて、学部と大学院と、同じ大学の中で 専攻をかえていました。学部論文のときに、本当に自分のしていることが 全くわからずに、戸惑っていて、わけのわからないまま論文をなんとか書いて卒業したのですが マスターに進んで、専攻をかえたら、今度の研究室は、自分のしていることが わかって凄く楽しいと。そういうこともあります。 修士のときの仲間で、違う学部(地方の大学)から来たものが何人かいました。 あうあわない、ここ(それまでの学部でそのまま進学したら)にいたら伸びない、と思った者もおりました。 偉そうなことを書いてすみません。実りのある研究生活になるよう祈りますが、そうなるもならないも、 あなたの積極的で前向きな態度ということが、言いたかったのです。早く体が楽になり、前途に希望がありますように。
お礼
ありがとうございます。快活に行動したいと私も思うのですが、気持ちが沈んでしまって。でも私は研究者向きではなさそうだということが今更ながら分かり、それはそれで良かったです。研究室の方々に迷惑をかけないようにしなくては。時間経過や環境しだいで人の気持ちは変わってしまいますね。それゆえ、この先実験楽しい!という感覚にもなり得るのかもしれませんが、今はそういった楽観はなく苦しいところです。
- takkochan
- ベストアンサー率28% (205/732)
No.7です。回答に対するお礼がちょっと気になったので書き込んでおきます。 >単なるデータ収集の労働力ではなく、真に価値のあるテーマを開拓するためのインセンティブが必要です。私はそれは最終的には指導者の人間性だと思いますので いろいろなテーマがありますから一概には言えませんが、データ収集も研究の一時期必要になります。おいしいところだけとって、さしたる苦労もせずに大発見と言うようなことに出会うことはまずありません。 データの積み重ねから、仮説をたて、検証するのが通常であり、データの収集を嫌がっていたら、その先に進むことはできません。 研究も旗で考えるほど楽なものではないのです。
お礼
再度ありがとうございます。データの収集や整理は研究に欠くことのできない重要な手段ですよね。しかし、それ自体は手段であり、目的ではありません。私が感じたのは、データ収集が半ば目的のようになり、それが最終的にどのような目標に向かうのかを考えないままに日々データをとる学生が多いこと、そしてそれを勤勉と評価し、日々の作業をデータに埋没させる傾向が研究室によってあるのではないかということです。これはある意味で楽ですが、それは真の研究ではないというのが私の考えです。 以前の研究室では修士学生の修論作成の際、自分の研究の最終的な目的が分からずに先生に助言を求めたたところ、自分で考えろと言われ、一体何の目的でここまでやってきたのかと真剣に悩んでしまう学生がいました。学部生として何とも悲しく思ったものですが、当時も今も、その研究には長期的・本質的な意味はなく、インパクトもないものと感じます。私はそのような教育研究者に何の魅力も感じません。私はデータ収集が嫌なのではありません。最終的な目標や明確な目的があって、データ収集を嫌がる学生はいないのでは?
- pate_brisee
- ベストアンサー率51% (473/913)
こんにちは。 国の機関に長く在籍し、また勤務しています。 ここ(大学でもあります)でドクターをとり、その後ポスドクで職がなく苦労する人も実際みます。 なのでおっしゃることもわかります。何系かはコメントから判断されておられることと思います。 ポスドクで職がないことを恐れるのであれば、一番には 修士終了後就職なさるほうがよいでしょうね。 今は、体調があまりよくないので 何もかも悲観的にしかとらえられないかもしれませんが 確かに、努力が報われないことはありますし、将来生活のことを考えると 不安を覚えるのはわかりますよ。でも 何とかなる場合もあります、必要以上に気をもんだり、悲観的にならないようこころがけることも必要です。 私自身も裕福な家庭ではありませんでしたし、周囲の仲間たちもそうでした。 みんな奨学金をうけたり、アルバイトをしながら生活を支えていました。 結婚して配偶者に養ってもらっていたものもおりました。 同期や幼馴染は、ほとんど全員博士にすすみました。今30台半ばですが、たいていは なんとか大学に職を得ています。たまたま幸運だったのかもしれませんが、、、 女性では結婚して、専業主婦になったものもおりますが。 修士終了後すぐで就職した仲間もおりますし、今勤務しているところでは 半分くらいが修士終了後就職しています。 企業などで研究職に近い仕事をみつけ それなりに充実した毎日を送っているようにみえるものもいます。 (愚痴もこぼしてくるし、女性ではこちらも、結婚して子どもができると 仕事を離れ家庭に入るものも、やはりおりますが) 私自身、修士で体調をくずした際は、もう将来真っ暗で この先路頭に迷うかと本気で心配していました。でも 今仕事はあるし、健康も取り戻しています。裕福ではありませんが、なんとか生活をしています。 将来に希望がもてるといいですね。 文章を拝見して、率直に、それほど酷く不安定な感じはしませんよ。 自信をもってください。私のほうが余程不安定だし、人間だれしも 気分が滅入ることはありますので、あまり心配なさらないように。
お礼
お礼が遅くなりました。申し訳ありません。実感のこもった温かい言葉を頂きました。当事者の目線で書いて下さり、心に響くものがあります。ご自身もこれまで様々な選択の際に思うところがあったのだろうと思います。 私は未熟者ですが、年齢的にはもう社会で生きなければなりませんし、早く自立したいと考えるようになりました。身近な人間の結婚や出産の話を聞くことも多くなり、私自身も誰かを幸せにできる人間になりたいと強く思っています。同程度の苦労でも(単純な比較はできませんが)分野によって得られる対価が違うのならば、私は卑怯とか逃げ腰と言われても、誰かをより幸せにできる道を選びたいと思います。経済性のみでは計れない部分もあり、それがどんな方向かを判断するのは難しいと思いますが、今のところ修士就職というありきたりな答えに行き着きそうです。 私は全くの素人ですが、本来博士という存在はもっと高く評価され、多くの学生の憧れになるべきものだと思います。第一線で活躍しておられる先生(回答者様のような)を社会はもっと重用すべきと思います。話がそれますが、理系基礎教育の場で弁理士のような経済・産業界と研究成果や特許技術をつなげる人材育成が必要ではないかとも思います。 長くなってしまいましたが、私の願いは好きな人の笑顔を見ること、それだけです。もう家族の苦労は見たくありません。 回答者様は研究機関でご活躍なさっているようで、今までの努力が(全部ではないとお感じになるかもしれませんが)報われ本当に良かったなぁと思います。私のような無力な学生にどうか夢を与えるお仕事をなさって下さい。単なる成果ではなく、人柄や物事への姿勢によって私の場合は感動します。大きな成果の知らせを信じております。ありがとうございました。
- pate_brisee
- ベストアンサー率51% (473/913)
No5です。 ほかのかたも書いておられますが、早めに研究室を訪れて 指導教官に相談することも必要です。 大学によって違うでしょうが、私のいる環境では(うちは研究所なので、 学部生はおらず、教官と院生しかいないので、事情は異なりましょうが) もう来年度配属になる院生がいるかどうかはわかるので、 新しく入ってくる院生のために、多少の予算はいつも残しておきます。PCやソフトを買うことができるように。 実際の部屋割りは、4月にならないとうちは無理なんですが (拙研究所は、院生が主体になって部屋割り委員会をつくり、部屋や機材の割り当てなどは自分たちで おこなっています。) みんなで広い部屋を使うような大学だったら、早めに机やPCや必要な環境を用意してもらうことも可能でしょう。 逆にいうと、今のうちに動かないと、PCやソフトを買ってもらうのに 間に合わないかもしれない。3月の予算の〆の前に買わないといけないし 4月にはいると、夏くらいまで、予算は動きませんよね。 早く研究がすすめられるといいですね。
お礼
ありがとうございます。もう不安で不安で仕方なくての質問でした。今まで、曲りなりにも学問一筋でやってきて、突然行き止まりに当たったというか‥。人生に保障なんてありませんが、努力が正当に評価されない社会なんて嫌で。そんな悲しい気持ちで一杯で、ちょっとパニックというか、鬱症状が出ているかもしれません。でも、将来に希望を見出せないのは社会の責任であると同時に、自分の責任でもあるわけで。 理系就職を嘆いてばかりもいられませんね。みんな同じくらい苦労してますし。仕事という形での具体的な社会への貢献をイメージしないまま、ただ勉強、実験をしてきた自分(もしかしたら指導者も)の責任は大きいかと思います。博士取得でポスドク後苦労する人(おそらく努力家ですが従順すぎた)は現在多いのではないでしょうか。世の中お金持ちの子供ばかりではありません。立派な論文を残しても相応の対価が得られないなら生きていけません。理系高学歴者の就職に明るい展望が望めない状態で、どう研究意欲を維持すればいいのかは今後の全体的な政策の課題かと思います。最後に、精神が不安定なせいか事実無根な乱文を書いてしまったかもしれません、すいませんでした。
- takkochan
- ベストアンサー率28% (205/732)
すでに良い回答が出ているので、質問の確認とアドバイスを一言だけ書いておきます。 大学を卒業して、浪人中(所属なし)で他大学への大学院進学が決まっているということでしょうか?その前提で書きます。 No.1の方も書いておられますが、進学先の先生に相談して、早く研究室に行かせてもらった方が良いです。 私も私大の教員ですが、わたしの研究室に来ることが決まっている同様の学生がいれば、すぐ来なさいと言います。 私自身、学生の頃、4年の3月31日まで出身大学にいて、4月1日に進学先に出向いたところ、遅かったですねと言われました。 出身大学の先生に、3月いっぱいはこちらの所属だからこちらにいろ、4月1日からは向こうの所属だから1日に挨拶も含めて行けと言われていましたのでそうしたのですが、行った先では、卒業式が終ったら来ると思っていたようでした。 いずれにしても、現所属がないのなら、行き先に相談して早めにスタートする方が良いです。 >時間のある今勉強しておかなくては などと考えるよりも、さっさと飛び込んだほうが効率的です。4月から進学する内部者は、すでに10ヶ月研究し、さらに3月までに2ヶ月の差をつけるのです。早く飛び込むべきです。
お礼
お礼が遅くなってしまいましたが、現場の教員の先生からのお言葉、大変説得力があり現実的でした。ありがとうございます。競争やスピードはどの世界にもありますし、ましてや専門分野では死活問題にもなりえますので、私に欠けているそのような意識を自覚するべきと、改めて感じました。 >遅かったですねと >さっさと飛び込んだほうが >すでに10ヶ月研究し >2ヶ月の差をつけるのです その通りですね。私は失格者かもしれません。しかし単なるデータ収集の労働力ではなく、真に価値のあるテーマを開拓するためのインセンティブが必要です。私はそれは最終的には指導者の人間性だと思いますので、教職員の先生方には大いに期待するところです。
大学院というのはやはりごく少数の選ばれた人だけが行ける所だと思いますよ。1流も2流もなく、大学院への進学が決っただけでもすごいことだと思いますけどね。 将来なんて全然現実味を帯びてきていません。「将来も見えず」とお書きになっていますが、あなたの将来はまだまだ先にあるのですから見えなくて当然です。大学院に入ってからもあなたの可能性はどんどん変化し、大きくなるはずです。入った、ということはスタートラインについたというだけのこと。あなたの人生は他人との競争ではないのですから、よーく周りを観察しながら毎日やりたい事をやりましょう。 >専門分野が実生活から遠く離れた 思い違いはいけません。遠く離れているからいけない、ということではありませんよ。大学院は決められた枠の中で何かを受け入れるだけの所ではありません。あなたが枠を作ってその中身を埋めていくこともできる所です。プラス部分を自分で作れる所です。そこに可能性を見出してください。 私も浪人して大学に入り、就職する気も起きないまま大学院に進みました。今考えると、大学院で学んだことよりも学び方自体や物事に対する考え方自体が今に活きているという感じです。何が幸いするかは判りません。ありもしないものに不安を感じるより、あたらしい物事との出会いの期間がこれからの何年かにあると考えて下さい。
お礼
ありがとうございます。 >あたらしい物事との出会いの期間がこれからの何年かにある 確かにそうですね。あたらしい興味や概念が、私を変える可能性がありますね。今までもそうでした。 >大学院で学んだことよりも学び方自体や物事に対する考え 難解な理論や専門知識が実社会に役立たないと思うと、詳細で複雑な勉強をする気が起きなくなってしまったというのもあるんです。(本来実益よりも、その分野そのものが面白かったのですが、一年のブランクや文系社会を見てしまった後で意欲が下がってしまって。)でも内容そのもの以上に、こういう専門分野で頑張っているぞっていう旗を掲げているような、そういう姿を自他に示すっていう事が案外大事かもしれないとも思い始めました。韓国の論文捏造の教授だって、発覚以前は多くの市民の励みとなって、士気とか意欲とか、専門以外にも一般の方への間接的(しかしこっちのほうが重要だったかもしれないほど)な貢献があったように思います。専門分野での努力は、思わぬ展開や波及を見せるかもしれません。あまり、余計な欲を出さずに地道にやっていこうと思います。 なにやら変な内容ですいませんでした、ご回答ありがとうございました。
- yurijp
- ベストアンサー率21% (54/251)
No.2の者です。気づいたことがあったので補足します。 参考までに、私の周りの他大学から進学してきた大学院生は、みなあっという間に周りにとけこみました。周りも私もその人が他大学出身であることを気にせず、むしろ新しい友達ができたことに喜んでいました。そもそも、後から研究室に入ってきた後輩たちは、自分の先輩が他大学の出身かどうかさえ知りません。それぐらいのものでなれてしまえば同じです。私自身、学部から院に進学するときに、同じ大学とはいえ、友達はみな就職し、研究室に女性一人になってしまいました。最初は周りが全員男性ということで、すごく不安でした。でも、入ってしまえば、あっという間に仲間と仲良くなり、今は毎日修士論文や研究内容について意見を戦わせたり、互いの実験を手伝いあったりする日々です。もちろん、入る先の研究室の雰囲気は行ってみないとわかりませんが、みなそれぞれ目的があって来ているはずです。きっとよきライバル&仲間になれると思います。新しい環境でしかも他大学に行くということでより不安になっているのだと思いますが、入ってしまえば取り越し苦労だったと思うことでしょう。ちなみに、大学院に行っていると世間の人には、学生だから遊んでいると勘違いされることが多くなります。実際は、実験が忙しくて夏休みどころか土日休みさえないのですが。そして、就職活動において、中には大学院生を毛嫌いする会社も出てきます。しかし、それは一部です。逆に理解がある人もいますし、大学院生を歓迎してくれる会社もあります. これから先、周りの人から不快な思いをさせられることもあるとは思いますが、落ち込まないようにしてくださいね。(というより、今から落ち込んでるようじゃだめですよ!)選んだ道を卑下する必要はありません。自信をもって、研究に励んでください。偉そうに書きましたが、あくまで一例としての回答です。2年後には、質問者様も今の私みたいにこうやって研究室に夜中まで残って論文を書いてたりするかもしれませんね(笑 これからがんばってくださいね。
お礼
あらためてありがとうございます。背中を押してもらったような、体が軽くなったような気がします。いままで、こんな風に言ってもらえた事あったかなぁ。自分は本来すごく明るくて訳もなく笑ってるような性格だったように思うのですが、いつからか、下校時に片思いの人が恋人と歩くのを後ろから泣きそうになりながら(しかし相手には作り笑顔で)見てしまうような、痛い性格に硬化していたようです。靴底が磨り減るように気持ちのエネルギーが減って、臆病で陰湿でちょっと病的な自分でも嫌な人間になってました。でも、環境しだいでまた復活できるような力が微かに残っているような気がします。無関係な話ですいません。 女性一人で修士に残るときはさぞ不安だったろうなぁと思います。でも忙しくてそんな事気にしてる間もなく実験論文、卒業ですよね。今できることを目一杯やります。今日も頑張れたよね?って感じで、大げさですがいつか死ぬときに100点満点じゃなかったけど、そんなに悪くもなかったね?って言えるようにしなきゃ。
- setamaru
- ベストアンサー率36% (224/611)
出身大学とは別の大学院に合格するということは、優秀な証拠です。「運も、そして頭もあまり良くない」などとは、誰も思わないでしょう。 世にはお金のためとか、2浪したためとか、合格しなかったなど、大学院に行きたくともいけない人も居ます。 大学院進学できることは、それだけでも幸せなことではないでしょうか。修士ならわずか2年間、あっという間にすぎますよ。 学期が始まれば授業などで忙しくなり、そんなことはすぐに忘れますよ。
お礼
本当にありがとうございます。励みになります。忙しくて充実した未来があると思うと、また頑張れそうです。setamaruさんをはじめ皆様、真摯に回答して下さって‥いい方たちばかりで‥。不安定なせいかすぐ涙が出てしまいます。 世の中偽装とか競争で足の引っ張り合いとか、株で数億の利益とか‥私の心を乱す事件や人間が世間にも、身近にも多い気がしてしまって。でも普通に頑張ってる人が多いはずですよね。いずれ社会で精一杯役に立ちたいです‥。ありがとうございました。
- yurijp
- ベストアンサー率21% (54/251)
こんにちは。理系大学院のM2の者です。今、修士論文を書いていて、たまたま休憩中にここをのぞいてあなたの質問を見つけました。 私も同じことを考えた時期がありました。 でも、今は大学院に進み、勉強し経験したことに後悔はしていません。今は2年間のすべてをぶつけるつもりで修士論文を書いています。 世の中には色々な世界がありますよね。 学問の世界に属する人もいれば、会社に属する人もいて、商売をしている人もいるし、その他の変わった職業についてる人もいます。 とにかく色々な人がいます。 どれがよくて、どれがいけないというものではありません。みな、それぞれその世界の中の人でなければ、その世界の本当のよさはわかりません。 大学院もたくさんある世界の中のひとつにすぎません。別にほかの人と何か違うというわけでもないし、何も不安になることはなにもありませんよ。 確かに就職は遅れていますが、いつかは就職するんです。どちらが正しいということはありません。 私だって、なんだかんだいって、今年の春から普通の社会人になります。 大学院に入って、後悔するか満足するか、それは自分の努力次第です。 今は、変に時間があるでしょう? だから、そういうことを考えるんです。 ヒマな証拠ですよ。 大学院に入ってまともに勉強をはじめたら、そんなこと言っていられないくらい勉強しなければいけないことがたくさんあります。 「理系の不遇を述べた本」ですか。そんなこといったら、文系の不遇を述べた本や記事もたくさん見かけます。理系だろうと文系だろうと、良い面もあれば問題のある面もあります。専門は理系でも大学院に入ったら、文系理系関係なく色々なことを吸収していける人間じゃないと通用しなくなります。今は、大学院どうこうよりも興味のあること、好きなこと、世の中のニュースにたくさん触れて視野を広くしておくといいですよ。 最後に・・これは個人的な話なのでまったく参考にならないでしょうから、読み流してください。 大学院は専門的なことを深く勉強できる場所です。大変なことや辛いこともあるけど、楽しいですよ。
お礼
ありがとうございます。少し嬉しさと優しさをもらったようで涙が出てきました。数字や記号の多い専門の教科書や論文を一人読んでいると、寂しさや虚しさや将来への不安があふれてきてどうしようもなくなって‥。でも隣で一緒に議論してくれる人がいたり、あるいはそんな数字や記号の裏に多くの人間が関わっていることを実感できるのなら、私の心持も変わるような気がします。私のある意味辛い学部時代だって、データを取りながら隣で話したり笑ったりしてくれる友達がいて、こんな世界も悪くないなぁと思った事を思い出しました。私の場合、就職や進学で今までの世界に戻れないような寂しさや恐れがありますが、当然新しい世界でもいい出会いがあり、今までもあった訳で‥。ご回答また読ませてもらいます。ありがとうございました。
- chidori_ko
- ベストアンサー率48% (328/683)
学部の入学時における偏差値による一流二流と、 大学院の研究レベルによる一流二流とは別物であり、 そもそも一流二流とはなんぞやという話もあるわけで あまり気にしなければよいのでは。 不安を振り切って専門にのめりこめるかどうかが、この道でのキャリアの積み方のひとつの重要な要素ですから、はじめられることははじめてしまっては。 理系の分野で他大学からの入学ということですが、4月を待たずとも研究は計画も含めはじめられると思うのですけど、まだ大学にはいかないのですか?正式には身分は4月まで待たないといけないですけど、指導教員さえ認めてくれれば、研究室に入り浸って自分なりの研究環境を把握したり作りあげたりしておく時期が今だと思うのですが。4月からはフルスピードで修士仕事ができるように。今、できること(やってもよいこと)に手をつけていないから、余計なことにも考えが回っているような気がします。 研究をする上で、研究室の機材の使い方や、図書館での資料の使い方など、その大学なりの各種資源をどれだけ使いこなせるかということがあります。入ってから知るのではちと遅いので、入ってからはいずれも道具として使えるように、今のうちにあらかた知っておくために時間を使うというのはどうでしょう。一般市民として手続きをすれば図書館にも入れると思いますし。 この道を選んでいる限りは、少なくともいい内容の修士論文を作りあげることであり、可能であればそれを学会で発表したり雑誌に投稿したりして世の中に問うていくことであり、それらを目標とした研究があなたなりのキャリアの積み重ね方になります。キャリアの積み重ねのための具体的な準備として今のうちに行動できること・すべきことをされれば、気持ちも落ち着くのではないでしょうか。 なお、理系の不遇を述べた本とか院生余りの現象についての記述とかは、それ自体事実は含まれているでしょうが、一部にはライバルの院生を蹴落としてしまえという意図で書かれているものもあります。そういうのにだまされないようにしては。
お礼
さっそくのご回答ありがとうございます。大変参考になります。いわゆる五月病ですとか、マリッジブルーといった不安の、ややうつ病的なプレッシャーを感じての質問でしたが、具体的な行動指針を示して頂き、もしかすると明日には気も晴れ決心がついているかもしれません。確かに同僚ですとか、環境といった周りの状況が大きく影響するように思います。今の私の煮え切らない優柔不断さには自分自身あきれるところです。しかし、いかんともしがたい不安は何なのでしょう‥。一時的で改善可能な不安だと期待しつつ、再度ご回答を読み、今後の行動を検討したいと思います。入学後の多忙さは学部時代の経験から推測できるので、それゆえ時間のある今勉強しておかなくてはという思いもありますが、進学先の図書館の利用という方法もあるのですね。部外者というような意識もありますが、これからは大胆に自分の道を開拓するような勇気が重要かもしれません。ありがとうございます。
お礼
たいへん励みになるご回答ありがとうございました。焦りや不安は、感じても仕方のないものですし、精神的にも負荷が大きく仕事の効率も悪くなるので、できれば消し去りたい感情です。でも、おっしゃる通り状況によっては泥沼のようにはまってしまい、自分ではどうしようもなくなりますね。個人差もあるでしょうし、人によっては何も感じずにあっけらかんとしている事もあるでしょうが‥。できるはずのことも手につかなくなって、どうしようっていう状況‥。 でもpate_briseeさんや、多くの方のご回答を読んでいるうちに、やっぱり本当に苦しい状況に助言してくれる人もいるんだなぁ、世の中悪いことばかりじゃなさそうだなと思うことができました。少し落ち着いてきたようで、やれることを一つずつやっていこうと思っています。とても意味のあるご回答を頂いています。ありがとうございました。