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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大学院生活が不安)

大学院生活が不安

このQ&Aのポイント
  • 大学院生活が始まる-不安な気持ちをどう乗り越えるか
  • 大学院での研究と将来のキャリアへの不安
  • 同じような経験をした人たちのアドバイス

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

私のように、理系の院卒で、文系の会社に勤めるのなら、ご心配のようなことが起きます。 ただ、理系の就職、とくに専攻分野での就職を希望しているのなら、その2年は2年以上の効果を就職後に発揮するはずですよ。 もし、ご質問者さんの心配が正しいのなら、大卒で就職した人たちは、高卒より4年も遅れ、中卒よりも7年も遅れて社会にでるわけで、ご質問者さん以上の「不安」を持たないとダメになります。 院卒でしか新卒採用では就けないケースもありますし、昇進が早いケースもあります。また、採用時から初任給が高く設定されているケースもあります。 女性の場合、就職よりも、パートナーを見つける方が難しいかも。就職後、出会いの場は意外とありません。男性は自分より学歴が高い女性へのアプローチは少し消極的な面がありますし、同期どうしのつながりでも年齢は気になります。 私の就職先でも理系院卒の女性が何人かいますが、就職後に結婚した相手は、大学時代からの付き合いの人ばかりでした。 これからの2年間、勉強、就活とともに、あまり時間が取れないと思いますが、私生活も大事にされることをオススメします。(自分の反省もこめてですが)

noname#178256
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 理系就職ならば2年“以上”の効果を発揮することもあるのですね。前向きになれるお言葉ありがとうございます。 2年後どのような職に就いているか分かりませんが 今は好きだと思える研究を一生懸命行なって 夢に向かっていきたいと思います! 出会いが少なかったり、やはり年齢や学歴が障害になりますよね。学生のうちにそういった面も意識しておきたいと思います。 女性としてもとても参考になるご回答ありがとうございました(^^)

その他の回答 (2)

  • yuklamho
  • ベストアンサー率26% (305/1156)
回答No.3

「周りの友人たちがもう立派に社会人になるのだと思うと自分は何をやっているのだろうと不安な気持ちに襲われ、院進学は間違っていたのだろうかと思ってしまいます。」 高校卒業して大学に入った時に、高卒で就職した人に対してそんなにはそんなには劣等感を抱かないでしょ?それと同じでいいと思います。一方で、研究テーマを発展させたくって院に行くというのは悪いとは思いませんが、女性が開発職に行くのに院までいく必要があるのかな?あなたの言うように、2歳年をとってしまうから反って不利だろうなとは思います。私が修士に入ったのは20年くらい前なので事情がだいぶ変わっているかもしれませんが、その時同期で開発職志望の女性は応募した企業に電話で“Aはいくつあるの?年寄りは要らないんだよねー”と言われたとか。 「2年後まで(就活までは1年もありませんが)開発職に就くことへの思いが続くのか」 それはどうして開発職を希望されているのかもよく分らないし何とも言えません、あなた次第です。因みにその“思い”が続く続かないって意味があるのでしょうか?続かなくてもどこかに就職されるか進学されるのでしょ? 「研究や研究室生活をちゃんとやっていけるのか」 これもあなた次第です。 「もちろんこれらのことを考慮した上で自分が選択した道ですが不安で仕方ありません。」 どう乗り越えるも何も開発職志望だろうが研究室は研究するところなので与えられたテーマ(仕事)をしっかりこなして業績を残していくしかないと思います。そのことにいかに集中できるかにかかっていると思います。今更大学院に進学したのは失敗だったかどうかとか、他の事をいろいろ考えても意味がないと思います。

noname#178256
質問者

お礼

たしかに女性で院卒となると 「どうせすぐ結婚するんじゃないの」などと 面接で言われることもあるそうです。 けれど、現在、学部卒で開発や研究職につくのは難しいです。 学部卒だからというよりも、就活で院卒の方と戦うため 比べられるとなかなか勝てないのが現状です。 もちろん私自身の実力不足も大いにあります。 本当に考えても仕方ないですね。 もう戻れないことですし、後押しが欲しかったのだと思います。 いまやりたいと思える、現在の研究に向き合って頑張りたいと思います! ありがとうございました!

  • ast0718
  • ベストアンサー率41% (35/85)
回答No.1

大学院だから遅れているということは絶対ないと思いますよ。 私はもし大学卒業して院に進学せずにそのまま就職していたらそれのほうがよほどロスになったと思います。 2年の時間がたつのは確かですが私は5年分のものを見つけることができました。 大学院の風土にもよると思いますが、 大学院での研究はそこまで難しいということはありませんでした。 (サボっていたからか?) しっかりやる研究室なら自信も技術もつくでしょうし、 自分で決める研究室ならやればできるしやらなければ進まないだけで 自分で自分をコントロールすることを試されます。 私自身もう少し頑張ってスキルを習得しておけばよかったと思いますが それはそれで後でも十分取り返しがつくことです。 そういうことも大学院生活を通じてなんとなくわかることです。 さらに重要なのは自分の成果を誰かに伝達しなければなりません。 特に教授とのやりとりは会社の上司に対するそれとたいして変わりはないでしょう。 要は研究と言えど基本的な部分は何も変わらないということです。 研究者に専門知識は必要ですが教授と呼ばれる面々をみれば彼らは伝達能力にたけています。 たくさんのことを勉強しなければならないのは確かですが、それに気負いすぎる必要はありません。 全てを知る必要はないのです。ただ全てを知るぞ!という気概は多少は必要ですが。 研究と言えど作法があって手続きがある。魔術をやるわけではありません。 教授や仲間とのやり取りを通じて問題に誠実に取り組めばよいだけです。 さらなる成果を求めるならば、相当本気でやらないといけませんが。 私にとって大学は窮屈でしたが大学院は自由でした。 そうでない大学院もあるかもしれませんが、 研究を通じて自分を表現するということに向き合えばかなり自信がつくのではないでしょうか。 そういう機会が大学院にはあると思います、学会発表とかね。 学会に行けばわかりますが、完成された発表ばかりではないです。 私はそうでしたが、理系だから発表が苦手だとかそういうことで自分の可能性を狭めないでください。 発表と表現というものはどこに行っても不可欠であると大学院で悟りました。 そして理系こそ本来発表上手なのです、 なぜなのか。私はこの概念をあなたに授けます。→オッカムの剃刀(wikipediaを見てね。) オッカムの剃刀は容赦なく不要なものを取り払います。 オッカムは神学者ですが、この概念は科学哲学として応用されます。 アインシュタインやニュートンも使っている最高の武器です。 表現が下手な人間は捨てるということがへたくそです。 いろんなことを知ろうとし、知っているがために何を表現していいのかわからないのです。 だから不安になる。 そういう人間に本当に必要なことは、文を書き、校正し、再構成することです。 オッカムの剃刀を振り回し不要な言葉、そして知識を圧縮する作業が必ず必要なのです。 だから学者は論文を書くのです。 学会発表、修士論文、そして研究会での発表を通じてそうした力が磨かれていきます。 そうすれば周りが社会人になったからなんだというのだ? という気でことに挑めるでしょう。頑張ってください。

noname#178256
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 5年分のものを見つけたとはどういうことなのでしょうか。 詳細は分かりませんが、それほど有意義な時間だったのですね。 理系だと乏しい傾向にある表現力、本当に大事だと思います。 積極的に学会にでて磨きたいと考えています。 とても励まされました。 気負いしすぎな部分は確かにあります。 誠実に一つ一つに向き合いたいと思います。 ありがとうございました!

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