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潜在意識について・・・

ユダヤ人大富豪の教えを読みました。 以前から疑問に思ってたことがその本を読んで新たになりました。 その本の中で著者が彼女がずっとほしいと思ってるのにできないというとユダヤ人大富豪が 本当は望んでいないからといいます。 本心では彼女をつくると面倒くさいとか いろいろと思っているからできないと言うのですが どうしてもそれについて疑問なのです。 彼女が欲しいというのは その人の本当の望みなのに そんな自分でも気づいていないような 心の奥底が本当にその人の人生に影響してるでしょうか? そんなこと言ってたらどんな望みにも 心の奥底では思うことがあると思うので 達成しなくなるのでは・・・ 私の質問の意味がわかったでしょうか? 説明が下手ですみません。

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  • 1961aug
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回答No.5

おもしろい質問ありがとうございます。 営業とか仕事に言い替えると、「売りたいと思っているのに売れないのは、“本当に売りたい”とは思っていないからだ」ということですね。 私は、「売りたい」「彼女がほしい」という欲求は欲求として間違いなく在ると思います。 ただし、「だれにどうやって売ればいいか」「彼女はどうやって作ればいいか」など方法がイメージできていなかったり、実は「努力せずにラクして売りたい。でも無理だろな」「すごいセクシーだけど自分だけに尽くしてくれる彼女がほしい。でも無理だろな」っと思っていて、それを自覚できていないとかありそうです。 「本当に望む」=「強く望む」ということ以外に、「本当に望んでいるのは何か?」を自問自答ししっかり自覚して、目的が明確になってからその達成手段を考える・・・というのが一般的のように思います。 と考えると、受験生が志望大学を決め、参考書や予備校を選んで受験勉強するのと同じになりますが、そんなもんじゃないですか。

yurayura7
質問者

補足

あ~なるほど。望んでそしてその方法を考え 努力するまでが1セットというわけですね。 たしかにお金持ちになりたいとは 思っても具体的なところまでは 考えてはいない。。。 ふ~むやっぱり望みがかなうっていうのは 難しいのかなあ。

その他の回答 (4)

noname#18860
noname#18860
回答No.4

私も読みました。ゲラー氏の洞察力は圧巻でした。 人の意識はよく、氷山の一角に例えられます。 私達が使っていると言われている意識は、ほんの数%~10%未満とも 言われ、実はその下にある潜在意識は普段は意識され、 使われることがないとされています。 ですが、私達を動かしているのはまぎれもなくこの潜在意識です。 ですので、 >>心の奥底が本当にその人の人生に影響してるでしょうか? は、YESということができると思います。 例えば。。人にいいことをするとしますね。。 電車で席を譲るとか。 そのときに、いろんなことを瞬間的に思っているんですよね。 「いいことをした」「見られるのが恥ずかしい」もしくは 「もっと注目して欲しい」「自分って何ていいやつ。」etc。。 しかし、譲った相手が素っ気無く挨拶もしなかったら、 その心の中はまた、いろんな思いが出てくるんです。 「畜生!挨拶くらいしろよ!」「こんなやつに譲るんじゃなかった」 「おい!席返せよ!」と。。 たったひとつの場面をとってもこれだけの心の動きがあります。 そしてその「思いの発祥処」っていうのはその個人の 潜在意識に因ると思います・ つまり、ゲラー氏も言っていたように 「日常的に自分が考えていることを絶えずチェックしなさい」と いうことは、とても大切なことだと思います。 私達は自分がどんな人間かを知らないで生きているんです。 日頃無意識的にどういうことを考え、それに基づき行動しているか? をチェックするということが自分の「闇」の部分(=潜在意識)を 知る最短距離だと思います。

  • hakobulu
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回答No.3

◇ 潜在意識というのか無意識というのかわかりませんが、自分の行動の原因はそこに記憶されている過去の体験や経験などに基づいて現われると思います。 ・病的なほど節約を美徳として育てられた為に、お金の掛かる女性を避けるようになる。 あるいは、財産の相続者を作るのが惜しいほど結婚を厭う。 ・性的な倒錯傾向があって、異性より同性に興味を持っている。 例えば、こういった性向の持ち主でありながら、「ケチ」とか「同性愛者」と自らを認めたくない人が、「彼女が欲しい」と思ったとしても何の不思議もありません。 「普通でありたい」という彼の「社会的欲求」の現われ、あるいは普通ではないと思われることを恐れる故の擬態として、この欲求は形成されているからです。 しかし、これはあくまで擬態にすぎず、無意識下に埋もれているとはいえ、本来の欲求のほうが根源的欲求であることに違いはありません。 ◇ 無意識は何とかこの根源的欲求を満足させるべく、あの手この手で擬態の欲求を妨害しようとします。 言ってみれば、問答無用の屁理屈がまかり通る仁義無き戦いといったところでしょうか。 とはいえ、これはあくまで本来的欲求を満たすための無意識のけなげな努力なわけですから、無意識自身にとっては大いに仁義ある戦いなわけです。 ◇ 最初に述べたように、無意識は体験や経験によって形作られると思います。 ですから、いい体験・いい経験をするように「意識する」ことが非常に重要であるような気がします。 これを「適切な体験」という言葉で表現してみたいと思いますが、この適切な体験の蓄積によって「正常な無意識」が準備されるのではないか、ということです。 ただ、誤解を恐れずに言ってみれば、「適切な体験」によって、「ケチでない人間」や「同性愛者でない人間」が形成されるという意味ではありません。 「ケチ」も「同性愛者」も何ら問題の生じる要素を含んではいませんから。 「適切でない場合」というのは、それらを隠そうとする精神の作用です。 そのような精神作用がもたらされるような経験(体験は避けられませんが)は、意識して避けなければならないということです。 「金のかかるような女はいらん」という大富豪がいてもいいし、「女などいらん、男が好き」と広言までしなくても自信を持てる同性愛者がいても、それはそれでいいのではないかと思うのです。 自らを偽ってまで(しかも偽っていること自体を知らずに)、いかにも「それらしいこと」を自分の望みだと勘違いするのは寂しいかもしれません。 ◇ 恋愛の場合が最も典型的かもしれません。 本当に求めるものを相手に見出した「つもりになる」のと、すでに「見出している」のとでは大きな違いがあります。 一時の勘違いに支えられてどちらも同じように見えるため、それと知らず後に自らの心を持て余す人は大勢いるでしょう。 本当に愛する人に理屈はおそらく無いように思います。 何か言ってしまえば、その時点で愛は欺瞞にまみれることになるでしょう。 多分「言わなければならなかった」ということ自体が、すでに無意識に対する弁解になっているからだと思われます。 「特に理由はない(無意識の欲求なので)。けれど(意識的に)どうしても離れられない。」というのが愛の理想型ではないでしょうか。 ちょっと脱線したみたいですね。すみません。 ◇ 素人の見解ですが、私は以上のように考えるので、yurayura7さんのおっしゃる「(意識している)本当の望み」と「(潜在意識に沈んでいる)心の奥底の目指すもの」が同じであれば、本当の意味での「達成」は得られると思います。 とはいえ、心の奥の自分に気付かず、求めなくても良いものを必死で求め、自分で自分を追い込んでしまう人々の何と多いことか、と「富豪」とは一生縁遠い田舎人がどこかで時折嘆息しているようでもあります。

回答No.2

影響すると思いますよ。 「頭で理解している自分の気持ち」と、「本当の気持ち」が違うと能力が発揮できない、上手くいかない、という事があると思います。 例えば、 趣味でテニスを始めた。ずっとやりたいと思っていた事で、仲間と楽しめ、時間やお金も問題ない。しかし半年後、テニスはまったくやらないでお茶とお喋りの為に集まるようになってしまった。 こういう場合、本当の望みはテニスをする事ではなく、話をする仲間がほしかったんだと思います。 恋愛の例だと、 Aさんに交際を迫るB君。Aさんが好きなのか、彼女が欲しいのか、によって進展が違うと思います。 もし彼女が欲しいだけなら、突如、超美人CさんがB君に迫ったら、そっちに行ってしまうでしょう。 しかしAさんが好きならば、Cさんにはお断りするはずです。(Aさんに振られるリスクがあるのに) 自分の心の奥底で思ってる事を考えてみる事も、大切かもしれませんね。

  • maho-maho
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回答No.1

気づいていないけど、実は行動に顕著に現れているんだと思います。 思うだけで望みかなうわけではなくて、常に彼女が欲しいと思っていることで、人に話しそこから紹介してもらえたり、好きな人の行動をみて今ならうまく話しかけられるかもというチャンスを敏感につかめたりした結果彼女ができます。 ところがどこかにマイナスイメージがあると、人に紹介してもらうのはどうかなと思ったり、ぼーっとしてて話しかけられるチャンスを逃したりすることになります。それは本当に欲しいと思っているとはいえないと思います。 思いが少ないといざというときに行動に移せなかったり、チャンスに気づかなかったりするということではないでしょうか。