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毅然たる誠実さについてです。

毅然たる誠実さを、養っていくには、どういう心の持ちようが、必要ですか?異性に対してや他人に対してです。具体的に教えて下さい。

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  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.1

基準と公平性でしょうか。 基準というのは全ての物事をはかる為の、ということです。例外なく全てをはかれるものでなくてはなりません。例外を認める事は結局一貫性の無さであり、広量大度にみえて、実のところいいかげん、ということになります。ただし、例外的な物事に対する奥深い洞察と、排撃的でない事が前提です。ちゃんと踏まえた上で寛容であるのと、無基準・無節操は似て非なるものですから。 次に公平性です。自分にとって不利だからそこの部分は変える、というのでは誠実とは言えません。他人に対して毅然とふるまうことはそんなに難しい事ではないが、自分に対しては色々言い訳をするのが人間というものですが、それでは説得力もないし単に自分勝手なだけです。批判とは真理を明らかにする事であって他に対する攻撃、つまり非難・誹謗とは似て非なるものであることをまず第一に心に留めましょう。 それが結局は毅然たる誠実さの根源でもあり、またその出発点でもあると思うのです。

zzennshinnjp
質問者

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その他の回答 (3)

  • 1941
  • ベストアンサー率14% (4/28)
回答No.4

 あなたはなぜ「毅然として誠実に行動すること」を目指しているのでしょうか。  その「目的」を教えてほしいと思います。  自分の心に深く聞いてみて下さい。  あなたが 真剣に「誠実に行動したい。」と思うならこんな質問はしないでしょう。

zzennshinnjp
質問者

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回答有難うございました。参考になりました。

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.3

zzennshinnjpさん、こんにちは。 昭憲皇太后の御歌に  むらぎもの心にとひてはぢざらば  よの人言はいかにありとも というのがあります。 自分の考えや行動や生き方に対して、 たとえ、世の多くの人がなんと言おうと、 自分の心の中の「神(または良心)」に聴いてみて恥じなければ、 それをやり通せばよい、 ということだと思います。 具体的ではないかも知れませんが、 僕はこの御歌を座右の銘としています。

zzennshinnjp
質問者

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回答ありがとうございました。参考になりました。

  • patofu
  • ベストアンサー率23% (137/591)
回答No.2

「毅然たる誠実さ」なんて日本語、ありえません。 毅然も、誠実も、両者とも非常に似た意味です。 「初めての初対面ですね」なんていっているようなもの。吉本新喜劇のギャグですよww 難しい言葉を知ったら使いたがるのは無理からぬことですが、意味も分からないのに乱用するなんて・・・ 意図するところは分かりますが、これを毅然と指摘することは、私の誠実さだということでご勘弁を、なんてね。 毅然たる態度も、誠実な人柄も、結局は自らの心に拠るものです。 決して人に聞くものではない。と思います。 自分で経験して、手に入れたものでなければ、 揺らぐことのない信念の根拠にも、自分の良心の糧にもならないでしょう。

zzennshinnjp
質問者

お礼

回答ありがとうございました。参考になりました。

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