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読解力をつけるには
僕は割と本好きで、月に数冊は小説を読むんですが、最近読解力が足りないと思うようになりました。 というのも、有名な作家(例えば太宰治やシェイクスピア)の本を読んでも、どうしてこの作家がこれほど評価されているのか、と言うこともわかりません。いつも表面的な読み方しか出来ていないからだと思います。単純にストーリーを読むだけで、そこからもう1歩踏み込んだ読み方が出来ないんです。 これでは折角読んでるのに勿体無い気がします。もう1歩踏み込んだ読みかたをするにはどう言ったことをすればいいのでしょうか。皆さんの意見を聞かせてください。
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「原稿用紙10枚を書く力」斎藤 孝著という本を読まれてはいかがでしょうか。 「書く事を前提にすると読書力が上がる」「音読すると文章の生命力がわかる」「文体は立ち位置で決まる」など、名著と呼ばれるものはこういったところが優れていると書かれていました。 書くために読んだ本ですが、読書術という点でも参考になりました。
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- uriusei
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食べ物の好き嫌いと類似していると思います。どんなに美味しいお刺身でも嫌いな人は絶対に食べません。 でも、そんなに嫌いだったものが、ある時点で好きになることもあります。私事ですが、私の息子は、小学校1年生の時まで、アサリが食べれませんでした。何故かわかりませんでした。本人も何故かわかりませんでした。それが、2年生の遠足で潮干狩りにいってアサリを捕ってきました。そしてそのアサリでみそ汁を妻が作ったら、美味しそうに食べました。今では、何の抵抗もなく食べています。 何かのきっかけで変わりるものです。文学作品もそうです。 例えば、私は、高校時代から、大江健三郎に心酔してきました。僕の価値観の基盤は大江からのものです。それは今でも変わりません。 しかし、大江が変わってくるとその変わった大江には着いてゆけなくなります。具体的に言うとノーベル賞をもらったことにすごく喜んでしまっていること(大江が20代の頃サルトルに傾倒し、サルトルの言葉を作品の中に頻繁に用いていました。そのサルトルはノーベル賞を拒否しました)や、自分の名前を冠した文学賞を作ることにイエスと言ってしまったこと。生存中に自分の名を冠した賞を作ることは、私には考えられませんでした。歳をとって俗物になったような気がしています。ですから、今、大江を読んでいません。面白くないのです。 てな訳で、好みや、人生経験、時代背景等々様々な要素で、誰もが、面白かったり、面白くなかったり、するのではないでしょうか。だから、シェイクスピアが、面白くなくて良いのです。あなたに好きな芸術家がいれば。好きな人がいないとちょっと寂しいですね。がんばって見つけましょう。美味しい料理を見つけるように。
お礼
ありがとうございます。いろいろな本を読んで好み似合った作家を探していこうと思います。
- aki_2
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私も、質問者さんの場合は、読解力というより、好みに合わなかったということだと思います。 有名な文学作品などを読み込む、というと、時代背景と照らし合わせてみたり、作者が何を伝えたいのかを登場人物の台詞から分析する、というような読み方があるでしょうか。 例えば物語り的な小説でも、社会に何かを訴えていたりします。太宰治も、『斜陽』は、戦後の貴族の没落と新しい時代を生きるための道徳感の変化のようなことを描いている、といった読み方もある、ということです。詳しくは太宰治論のような本を読むとわかると思うのですが…わかりにくくてすみません。 他にも、作品の中から、その時代の文化を知るのも読み込むことになるのではないかと私は思います。 共感して人生哲学のようなものを得るだけが読み込むということではないと思いますし、文化や歴史からの見方をしてみても面白いと思いますよ。 古典なんかは、その当時の人々が何を考えて生きていたのかをしることが出来るものでもあると思います。表現の素晴らしさ、というのももちろんありますが、これは好みに合うものならば自然と楽しめるものだと思いますし。逆に、どんなに素晴らしいと言われていても、好みに合わなければ楽しめないのが普通だと思います; 質問者さんに合うかわかりませんが、参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。やはり好みと言うのは重要なのですかね。いろいろな読み方があるのですね。これからの参考にしたいと思います。
- genmai59
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特定の作家を面白いと思うのかどうかは読解力ではなく、個人の好みの問題です。これは、その人の生まれつきの性格やそれまでの経験に負うところが多いでしょう。男女間のこまやかな心の変化が素晴らしいという人もいれば、そんなちまちまとした話はつまらないという人もいる。大規模災害の中で知恵を振り絞って生き延びていく話が素晴らしいという人もいれば、そんな非現実的な話はつまらないという人もいる。読解力がないので、物語の背景がわからないわけではありません。 ただ、多くの本を読んだり、人生経験を積んでいけば、自分ではつまらないと思う本でも、「なるほど。こういう感覚を持つ人もいるのだなあ」ということは、わかってきます。そうすれば、以前読んでつまらないと思った本でも、深みを感じることはあるでしょう。 ということで、質問者さんに必要なのは、読解力を磨くことではなく、できるだけいろいろな本を読んだり、いろいろな人と付き合って人生経験を積んでいくことではないでしょうか。 また、発表当時は斬新だった物語でも、似たようなテーマで、さらに深みのある小説が続々と発表されてくると、あとから発表されたものを読んでから最初のものを読めば、もの足りなく感じることはあります。本質はとらえているのだけれど、少し表現が荒削りとか、ストーリー展開が単純すぎるとか、考え方が現代人にあわないとか。そういう古典は、現代小説と少し視点を変えて読む必要はあると思います。 それから、小説の評価には、ストーリー展開、登場人物の魅力、文章表現の豊かさなど、さまざまな視点があります。古典が評価されているのは、必ずしもストーリー展開に隠された意味があるわけではなく、ごく単純なストーリーが、文章表現で評価されていることもあるわけです。「なぜこんな単純で退屈な話が評価されているのだろう」と思ったら、文章表現などにも注目してみてください。ごく簡単な文章なのに、情景が目に浮かぶようだったり、読み上げると、いきいきとしたリズム感あふれる美しい音の流れが聞こえてきたり。 そういう違いは、いままで気にしていない人が自分で発見するのは簡単ではないので、文章作法の本や小説の批評本をたくさん読んでいくと、わかりやすいと思います。
お礼
ありがとうございます。確かに好き嫌いで本の読み方も変わってくることがありますよね。でもつまらない本が評価されている本だったり、ってありますよね(自分だけかもしれませんが)。素晴らしい本っていうのは誰が読んでも素晴らしいものだっていうきもするんですけど、これは違うのでしょうか。 色々な考え方ができるように人生経験をつむって言うのは、たしかにその通りですね。批評本なんかも読んでみようと思いました。
シェイクスピアって戯曲ですよね? 私は自分で言うのも何ですが読解は得意なほうだと思っていますが、戯曲形式はどうにも頭に入りません(^^; チェーホフの『桜の園』などもダメでした。 ドストエフスキーの長編小説などなら読めるし面白いとも思うし、何だかわからんが確かにすごいし傑作だと思うんですけどね。 太宰治も好きです。 いかに世の中で評価の高い作品であっても、個人的好みは入ってくると思いますが・・・。 ストーリーを理解できるのであれば、読解力はあるのでは? 理解を深めたいのであれば、作品や作者について解説したり論じたりしている本を読んでみるのはどうでしょうか。 有名な作家ならいろいろと研究されてますので。 昔の作品だと、時代背景などもあるでしょう。
お礼
ありがとうございます。ストーリーはどんな本を読んでも割と楽しめるのですが、例えば巻末の解説などを読むと、作者はこの本を通じてこういうことがいいたかったんだ、と言うことによく気づかされます。もう1歩踏み込んで読むというのは、こういったものをいかに汲み取れるか、ということなんじゃないかと感じるんです。 でも解説している人は、作家や評論家なんですよね。素人ではやはりそこまでは深く読めないということもあるんですかね。
お礼
ありがとうございます。書くことも好きなのでぜひ読んで参考にしたいと思います。