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太宰治「津軽」について
こんにちは。 太宰治の「津軽」の文末で「私は虚飾をしなかった」のくだりがあります。 太宰が小泊の「越野たけ」さんに会いに行く場面は特に有名ですが、この中の細かな描写は後年のたけさんの証言ではかなり異なっているそうですね。 私は文末の言葉もあり、長年この本は紀行文・ドキュメントだと思っていて、太宰治の作品では異色でもあり、何度読んでもあきず、気に入っています。 しかし、ふと考えると太宰の行程は事実だとしてもやっぱり基本的には創作なのか?と思うようになりました。 小説だから…と言えばそれまでですが、やはり「津軽」も純然たる小説の範疇と考えるべきなのでしょうか? お考えや見解など、聞かせて下さい。 よろしくお願いします。
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「津軽」いいですよねぇ。好きな作品です。おかげで津軽には二度行ってしまいましたよ^^ 私はテキスト主義なので随筆などと書いてない限り純然たる小説同然に考えて読んでいます。特に当時はリアリティが作者の人生と同質と大衆には捉えられていたこともあって、皆さん苦労されてたみたいですね。そのあたりは平野謙の『芸術と実生活』などを読むといろいろ面白いですね。 太宰の虚構性については、短編の「恥」を読んでみる価値があると思います。楽しく読める小説です。もう既読であれば申しわけありません。 ↓に全文があります
お礼
参考URLを読ませていただきました。 (この作品は知りませんでした) 太宰治独特の自分の行いを卑下する文が終わりの方にありましたね。 「創作」と捉えることについて「証拠」みたいなものを見せていただいた気がしました。 「津軽」に対する見方は変わりそうですが、自分の中で良い作品ということは変わりありません。 ありがとうございました。