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「働くコトは楽しい」と伝えてますか?

社会にある、さまざまな「仕事」を具体的に教える機会が なぜ、義務教育の間に設定されてないのでしょうか?  漠然と「将来何になる?」と必ず聞きますが、 子供達には、どんな職種があるとか、知らされてないように感じます。  「ご近所の八百屋さん」とかだけなく、もう少し、 子供を大人扱いしてもいいような気がするのですが・・・?  そして、「働くコトは楽しい」と言うのは伝わっているのでしょうか? 大人になると、「仕事は大変・・・」としか、言わなくなる傾向があり それらを聞いて育つ子供たちは、「大人になりたくない」と 思うのではないでしょうか?  「子供の頃の視線」を忘れていく大人が多いのが問題のような気がします。 みなさんは、どう思われますか?

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回答No.3

>子供達には、どんな職種があるとか、知らされてないように感じます。 この場合の「子供」の範囲が分かりませんが、 就職活動に至るまでの、学生の段階で、 仕事について知る機会は、全く無いですね。 大学4年の就職活動のときになって、 初めて知った職業がなんと多かったことか。 しかも「今更もう無理!」と諦める職業がほとんどでした。 結局、 職業を知らないから、自分で選びようが無くて、 所属する学部に来る募集要項で決めている学生が、 ほとんどだったと思います。(僕もその一人です) ほんの数年でやめてしまう人が結構いるのは、 こういう部分も大きいのではないかと思います。 結婚して家庭に入る以外は、みんな仕事に就くわけです。 学校で勉強するというのは「将来働くため」と言っても間違いではないです。 だったら、やはり、 仕事というものをストレートに教えるべきです。 でも、そこに、ちょっと無理があります。 それは、教える側が「教員という仕事」しかした事がないからです。 そうなると、色々な職業の人に協力をしてもらわなくてはなりません。 そう簡単にできるでしょうか? 企業がそういうために人を派遣するでしょうか? そういった人を受け入れる体制が、学校側にできるでしょうか? 費用はどうするのでしょう、国が負担するのでしょうか? そもそも、どうやって教えればよいのでしょうか? 問題は山積みです。 きっと過去にもこんな論争はあったんだろうと思います。 したほうが良いとは、誰もが思うと思います。 でも、実現は難しく、現在まで来てしまったのではないでしょうか。

blueyellow
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 そうですね、具体的に「教え方」を考えていくと問題山積ですね・・・。 もう少し本当の意味で日本が「豊か」になれば、 企業の考えも変化し、協力体制になるんでないかなぁと思います。 良い意味での「青田買い」ならぬ、「青田作り」の一環って、感じで。  ただ、「職種の知識」だけなら、もう少し、やり様があるのではと思います。 「就職のシーズンだけの資料室」をもっと、日頃から皆が自然に活用できる ような施設や情報に設定し、授業でもする、という感じで・・・。 今のシステムでは「能力の無駄使い」が多いですよね。

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noname#1753
noname#1753
回答No.6

小学生はともかく中学高校生は準社会人であり、自分の小遣いくらいはアルバイトして稼ぐ事が大切だと以前から思ってます。 そうする事で大人達は自然に彼らに敬意を払うようになり、彼らは今より爽やかな学生生活が送れるのではないでしょうか。 働く事は別に楽しくはないと思いませが、働く事でお金以外に得るものはあります。 店員であれば、例え自分の機嫌が悪い時でも客にはサッと笑顔で対応できる習慣が身につけば、それは一生ものの財産でしょう。 ところが得るものがあれば当然失うものがある訳で、学業の成績が上がれば賢くなって将来の幸福に繋がると思っている親が多い限り実現不可能です。 実際今のゆとり教育に反対してる親は多い訳です。 この問題が重要だと思うのは、今の日本社会は転換期を迎えていそうですが、我々大人達は簡単には発想を変化できません。 しかし10代の人は柔軟であり、新しいフェアーな社会を構築できるかも知れません。 教育が変わる事により、10代の人が変わり、彼らの爽やかさに釣られて我々大人達が変わるのが理想形のように思いますが、どうでしょうか。

blueyellow
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 今の日本でも、本当に人を見る目がある(見ようとする)会社なら 「学歴」だけでは使える人材でないコトもある、と知ってるとは思うのですが。 「人をしっかり見るのが面倒」な会社などが、とりあえず、 一つの目安として、「偏差値が高い者」を選んで来たような気がします。 今の日本の教育の内部で「偏差値が高い」人は、「記憶力」と「持久力」は ある人ではあると思うのですが、それが「仕事」に結びつくかどうかは、 職種によって、違うと思います。  次の世代が、「学歴偏重でない社会」を当然と思える所までいけば、 石頭な大人たちも受け入れざるを得なくなるとは思います。

blueyellow
質問者

補足

この場をかりて、ご意見をくださった皆様に再度お礼を申しあげます。  どの意見も優劣つけがたいですし、順位など無いのが当然です。 ですが、一番、私が主張したい所を汲んでくださった方にポイントを発行させてもらおうと思います。  日本が少しずつでも、良い未来に成長していくコトを望み、出来ることから していく努力をしていきたと思います。

回答No.5

「仕事」は「職業」だけではないです。家事だって立派な仕事です。 しかし、多くの親は子供に家事をきちんと分担させませんよね。 見ていて危なっかしい、もどかしいなど理由はあるのでしょう。 私も子供を大人扱いすることは非常に重要だと思います。 そしてその一番手っ取り早く実践できることが、家族の一員としてなにか家事を分担することではないかと思います。あくまで私見ですけれど。 ただし、大人は一切口出ししないこと。 母は私が小学校に上がる前からきちんと「お願いします」と用事を頼み、あとはノータッチで好きにやらせてくれました。(そしてたくさん失敗しました) 家事は「家族の義務」だから無償でしたが、自営業の父の仕事を手伝うときには少額でもお金をもらっていました。女の子にはけっこうきつい力仕事だったのですが、楽しかったです。 子供に用事をさせないと言うのは、大事にしているようでその実能力を見くびっている結果になっていると思います。 子供は大人が思っている以上になんでもできます。 母子家庭で育った知人ですが、3歳からお米をといでご飯を炊いていたそうです。 発展途上国では、6歳の子が弟妹をおぶってガムを売って生活費を稼いでいたりします。 話がそれてしまいましたが、学校教育になにかを求めるより、身近な仕事を実際にやらせてみるほうが先ではないでしょうか? 「職業」に対する興味も大事ですが、「労働」を生きてゆく上で当然のこととする価値観も大事なのではないでしょうか? 子供がその能力の限りにちゃんと働いていれば「大人になんかなりたくない」なんて思わないでしょう。大人と同じですから。

blueyellow
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 「労働をいきてゆく上で当然のこととする価値観」は、本当に 幼年期から、家庭で仕込んでいかないと育まれないですよね・・・。  私の母は、結構、自分でやってしまうタイプだったので、 後に私はだいぶ苦労奮戦しております・・・。 確かに私の友人でも、親が共働きとかの方が、自然と家事を 小さいうちから、せざるを得なくて、しっかりしてます。  一度、母に「お母さんが家事をやらせなかったからだ」と言ったコトが あったのですが、母曰く、「そんなのは自分で覚えるモンだ」・・・と。 確かに、技術的なコトはそうでも良いのですが、メンタルな部分は 幼年期の影響が大きいので、「家事は当然するもの」とは なかなか思えず、「めんどくさい」が先に脳裏をよぎります。  konkon0421さんのご両親は「子育て上手」だなぁと、うらやましいです。

  • wakakise
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.4

僕もblueyellowさんのおっしゃることに同感です。が、子供達に対して「将来何になりたい?」という質問が意図するものは決して具体的なヴィジョンではなく、「一人一人が考えること」ではないでしょうか?考えても出てこない子供には考え方のヒント(=特技、趣味、性格を活かすなど)を与えることが大事なのでは? 僕は中学卒業時、漠然と普通高校に行ってしまったことをたまに後悔します。義務教育の段階で、もっといろんな情報があったらなあ・・と。家族の影響も多分にありました。僕の選択肢は (1)二流進学校から→大学(学業成績) (2)スポーツ推薦で農業高校→農業大学(特技と他薦) (3)工業高校(建築)→就職(興味) とあったのですが、親が職業高校に対して偏見を持っていたことと、兄が(1)の進学校にすすんでいたことで、自分で大して深く考えもせず流れたということからです。「森を見させて木を見せず」といった義務教育段階での進路指導しか、忙しい先生方には出来ないでしょうから(ある程度の皮肉をこめつつ)、家庭での親のモノの言い方が非常に大事なのでは?と思います。 人に流され決めさせられたことに対しては不満もでますが、自分で決めたことに対しては不満も苦労も薬だと納得できますよね? 早く僕のような微妙な後悔を愚痴らない大人?(自分の今に自信が持てる人)が増える時代が来るといいですね。質問の意図を間違って解釈していたらごめんなさい。 就職活動中の大学4年生より

blueyellow
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 私も高校は、「なんとなく普通科」でしたが、 いざ、就職の段階になると、「武器が無い」って、感じで恐かったです。 妹は商業科の高校へ行ったので、「特技欄」に書ききれない程、 資格とかあって、「私の方が考え方が子供だったな」とか感じました。  高校も、もっと、幅広い種類の学校があるといいのにと思いますよね・・・。 不景気で就職活動も大変でしょうが、頑張ってください。

  • kenchin
  • ベストアンサー率56% (398/700)
回答No.2

ターゲットは小学校のお子さんですかね? □ 実際、仕事は大変です。(^^;) でも、大変ッて意味は「身体・精神が辛い」であって 「喜びが無い、感謝されない」とは違うというか、例え ば、お父さんが(お母さんでも良いのですが)御給料を 持って帰るからみんなが暮らせる、お母さんが(お父さ んでもいいのですが)美味しいご飯を作ってくれるから みんなが嬉しいってのを家族で話すことが大切なんじゃ ないかな?っと思います。 実際、家事や家業を手伝って苦労と喜び(誉められると か)を知るとか、そういう「大変さを補って余りある喜 びを実体験する」ってのがないと、小さい内は、こいつ はわかりにくい事柄なのかもしれません。 □ また、職種については子供の生活範囲とも関係するで しょうね~。 私も子供の頃は(かれこれ30年程も 前ですが)身近なものを理想の職業としていました。 その後、段々と生活範囲が広がって、色々な職業を 見る内に、その理想が変化していったように思います。 ですから、親となったら、子供を大人扱いするって いうか、大人になるための家庭教育として、子供に 色々な経験をさせて、知識だけでなく経験も広げてやる ことが必要なんでしょうね~。 蛇足ですが....。 私は親から「食事の時はお百姓さんに感謝して、いただ きます、ごちそう様でしたを必ず言う」「米という時は 八十八という字から出来ていて、これはお百姓さんが 八十八回も手間を掛けて作っているんだから、一粒も 残したら駄目」っと教えられてきました。 ですから、子供の頃から(今でもそうですが)最も 偉い職業はお百姓さん(や、漁業等)の方っていう 観点が抜けませんし、自分の理想職も農業...。 (体力と根性がないので帰農はしていませんが....) これほどに、親の教育って効果的なんですよね~。

blueyellow
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 「働くコトの楽しさ」はやっぱり、経験させないと 解らないモノですよね。それには、やっぱり「家庭」が理想的ですよね。  「職種」については、色々な職種がある地域に住む人なら 自然とある程度の知識も入り込むと思うのですが、そうでない地域の人は 全くわからないコトが多いと思うんです。(私の田舎も過疎地っぽい所です) そんなわけで、平等に知識が分配される「義務教育」でしてくれないかなぁ~ と、思うワケなんです。

  • rakki
  • ベストアンサー率47% (662/1392)
回答No.1

確かにこれまでの学校教育には指摘された点が抜けていたと思います。 来年度から劇的な教育方針の転換をはかるために、教育現場では対応に苦慮しています。 仕事をするということはすなわち生きていくための糧を得るということです。 これが新しい教育に求められる「生きる力」です。 私の地域の学校や社会福祉協議会も、必死になって子どもに生きる力を学ばせる機会を用意しようとしていますが、教える大人に生きる力が備わっていないためにともに学ばなければなりません。 しかし、すべての大人が生きる術を失っているわけではありません。 私は自分の子ども達に生きる力を授けるために、地域の素材、身の回りの素材を生かして生活する術を探求してきました。 ど田舎にこもって自給自足をしているわけではありません。 個人の生活の知恵をいかにして現代風にアレンジするかが課題です。 現状では、仕事はお金儲けの手段と受け止められていますが、私はその考え方は間違っていると思っています。 お金は物々交換や労働力の交換の肩代わりでしかなく、本来なくても困らないものであったはずです。 貨幣経済が当たり前になると、人が生きるということの本質を見失ってしまいます。 貨幣経済を否定したところから生活を根源的に見直すと、真に求められる生きる力が見えてきます。 否定することと拒絶することは違います。 現状を見直すために否定して、現状を受け入れ、現状から改革してゆけばよいと思っています。 子どものために準備してきた生きる術が、これから地域の子ども達の役に立つ時がやってきました。 お金のために周りの大人が忘れていたものを、子どもを通して一緒に学ぶ時がきたと思っています。 大人を教育するためには、まず子どもをしっかりと教育しなければなりません。 そのためには先生を教育しなければなりません。 周りの大人も先生も持ち得ない生きる力を子どもに授けることで、子どもを取り巻くすべての人を再教育する機会が訪れたと、喜んでいます。 できることから始めましょう、できる人から始めましょう。 このサイトのように一人一人の知恵はちっぽけでも、困った人のためにみんなが知恵を出し合えば、優秀な頭脳を凌駕するほどの情報量となります。 子どもの視線に戻って、地域の大人が一緒に学び、一緒に教える環境を作っていく必要があると思います。

blueyellow
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 そうですね、今の新卒あたりの先生(それ以外にも)は 完全に「現代っ子」の洗礼を受けてますよね。 「生きる力」を意識するコトなく生きてしまえる現代。 そこを認識して、人工的に設定する必要があるんですね・・・。 ぜひ、rakkiさんの能力を活用して、一人でも多くの人を 導いて行ってください。

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