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伊勢物語 「京に思ふ人なきにしもあらず」の解釈
「東下り」の段で隅田川を渡る場面で「京に思ふ人なきにしもあらず」という表現があります。訳してみれば「都に恋しく思う人がいないと言うわけではない」と言うことですよね。しかし、副助詞「しも」は打消を伴うと「部分否定」になります。この場合、「恋人の存在」が部分否定されているのだと考えられると思うのですが、どういう気持ちなのかわかりにくいのです。後に続く和歌では「我が思ふ人はありやなしやと」と安否を気遣っているのに。「男」の心理を説明してくださる方、いらっしゃいませんか。
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質問者さんがお書きになっているように「なきにしもあらず」は「ないわけではない」と訳されますよね。ここは「恋人の存在」を否定しているのではなく、「恋人がいない」ことを否定しているのではありませんか。 ちょっと前の「から衣」の歌と同じ意だと思いますよ。 物侘しいので恋しい人を思い出してしまう。恋しい人を思い出してしまうのでまた物侘しい。何かの事情で女と離れて寂しい男がよく陥る無限ループですね。えてして「それではこっちでも『恋しい人』を早く作らねば」となりがちなので注意が必要です(苦笑)
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- simapon
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「東下り」ですが、伊勢物語の章段の流れとして、二条の后に失恋→失意の業平、東下りとなってます。しかも彼の場合、彼女が帝に入内してしまったので、おそらく一生逢うことは不可能。他のお供の人々は、それぞれ恋人や妻を京都に残してきていたのでしょう。当時、主人の使用人と通っている女性の使用人同士が付き合う、というのはよくあったようなので、お供の人にも彼女がいたのでしょう、たぶん。当時の東国というのはとても辺鄙な田舎であったので、東下りというのは、かなり悲しい、やけっぱちな気分であったのではないかと思われます。なのでこの部分、もう会えない彼女を思っての和歌と考えてよいと思います。
お礼
もう会うことがかなわない恋人のことを偲んで、そして気遣う優しさ。今のストーカー行為をする人々に聞かせてやりたいですね。 回答、有り難うございました。
- 安房 与太郎(@bilda)
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文法的整合性か、現代の男性心理、いずれを答えるべきでしょうか。 日本文学は、察する文化なので、文法分析にはそぐわないようです。 そこで、みずからの記憶に照らした戯歌や、最近のニュースから……。 かつて、わたしが思いを寄せた人が居たのは当然だ。 いまや、過去(すみだ川)に流して、その名を明かさない。 その人の、いまの事情(身分や立場)を察するならば……。 ↓ ♪ 東風吹かば 想ひおこせよ たそかれに ありやあらで 酒とバラの日 ↓ ── 心を動かされる男性につきましては、そのようなことがあったか もしれないし、なかったかもしれないとしか今は申し上げられません。 ── 紀宮 清子 19920418(23)誕生日会見 ← 20051115(36)結婚 ↑
お礼
「文法分析」はそぐわない。確かにそうなんですけどねぇ。ついついやっちゃいます、好きなもんで。「いたような、いなかったような」というところが妥当なんですよねぇ、やっぱり。面白い(お気に障ったらごめんなさい)解答をありがとうございました。
お礼
恋人がいないことを否定しているんですね。そうですよねぇ、ちょっと考え違いをしていました。有り難うございました。