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歌合せについて
こんばんは。 会期が終わって暫く経ちましたが、 万博で「宮内庁雅楽と歌合せ」を観てきた時の話です。 その時、気になった事がありました。 歌の一つを例を挙げると しのぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思ふと 人のとふまで と、パンフレットには書かれています。 しかし、宮内庁の方が歌を詠んでいる時にドーム前方の大画面には しのふれといろにい てにけりわか恋はも のや思ふと人のと 布万天 と、句ごとで改行はしないのに どの歌も最後の三文字だけ別の行にして、その三文字は全て漢字でかかれておりました。 当時の人はこのようにして書いていたという事なのでしょうが、 これには何か意味や由縁があるのでしょうか? 判らなくても困る事はありませんが、気になりました。 宜しくお願いします。
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- kankasouro
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回答No.1
当時の人(平安時代の人)がそう書いたわけではありませんが、室町中期から江戸初期にかけて歌道の諸式が成立した時期に、和歌を懐紙に書く際の書式が定められ、それが現在では宮内庁の歌会、歌合せに引きつがれています。 題 位階勲等氏名 9字 10字 9字(うまく配分できないときは適宜漢字を使う) 3字(最後の行は必ず万葉仮名) 横長の懐紙に書くときいちばん見栄えがするということらしいのですが(漢字をまぜるのはアクセントをつけるためらしい)、鎌倉期ごろに懐紙に和歌を書く風習ができたときは、もっと自由に書いていたようです。 ちなみに、御歌会始の懐紙もこの書式のようです。
補足
回答ありがとうございます。 当時からこの書式ではなかったのですね。 どうやって調べれば良いのか皆目見当もつかなかったのですが、 歌道というキーワードで本を探れば良いのですね。 興味が湧いてきて、もっと細かい事も知りたくなりました。 ありがとうございました。