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夏目漱石の【こころ】について。。。
今、こころお内容で討論しています。 「静は策略家である」とういう題にたいして賛成意見と反対意見を教えてください。。
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「策略家」反対意見が出ているようですので、肯定意見を一つ。 漱石の作品に登場する女性には、「無意識の罪を犯す存在としての女」というテーゼがしばしば投影されています。 「三四郎」などは「アンコンシアス・ヒポクリシー(無意識の偽善)」という言葉でそれを明確なテーマにした小説です。 こういった事を考える時、漱石が「策略家」としての静の側面に無意識的であったとは僕には思えません。 むしろ、静の「策略家」としての無邪気さが、この小説に欠かせない部分をなしていると思われます。 作品全体に流れるテーマであり、晩年の先生を苦しめているのが「罪」の意識であるのは、間違いないと思います。 しかし、その「罪」とは、一人先生のみが負うべきものだったのでしょうか? 客観的に見れば、Kを殺した原因を作ったのは、先生と、奥さん(静)の「二人」である事は明かです。 しかし、奥さんにはおそらく「罪」の意識はなく、その為に先生の苦しみも理解できません。 ----- 「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう」 「あの人は駄目(だめ)ですよ。そういう事が嫌いなんですから」 「つまり下(くだ)らない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」 「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」 「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」 「丈夫ですとも。何にも持病はありません」 「それでなぜ活動ができないんでしょう」 「それが解(わか)らないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」 ------- 恋愛の駆け引きは、取り立てて珍しいものではありません。 「策略を意図したかどうか」と言えば、静は、常識的な恋愛の駆け引きの範囲内で、半ば意図的に、半ば無意識に行ったに過ぎません。本来はそこに何も罪はないはずです。 しかし、その「意図せぬ策略」が、潔癖なKを苦しめ、結果的に死に至らしめた。 その時、「意図せぬ策略家」としての「静」の罪が浮かび上がって来ます。 しかも、その罪を意識しているのは、当の静本人ではなく、先生のみなのです。 できるならば、愛する妻に自分の罪を告白してしまいたい。 しかし、告白は、「自分の罪」の暴露であると同時に、「静の罪」の糾弾にもなってしまう。 どうすればいいのか。 奥さんの事を考えれば、言わないがいいに決まっている。しかし、先生の自我(エゴ)は、はっきりと「罪」を糾弾する。 そんなジレンマが、小説の前半に描かれた穏やかな場面に時折顔をだすのです。 ------ 「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅(うるさ)いもののように考えていた。 「一人貰(もら)ってやろうか」と先生がいった。 「貰(もらい)ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。 「子供はいつまで経(た)ったってできっこないよ」と先生がいった。 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。 ------ 苦しみに満ちた穏やかな日々・・・ それは、先生の死という形で終わりを向かえます。 「こころ」という小説を、単に「先生の罪」だけでなく、「奥さんの罪」にも焦点を当てて読むことで、言い換えれば、「意図せぬ策略家」としての「静」に意識して読むとき、先生の苦しみの深さがより理解できると思いますがいかがでしょうか。 ------- 私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描(えが)き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨(みじめ)なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。 ------- ※引用はすべて青空文庫です。 ※「作者の意図」を明確に断定する事は、現代の批評の世界ではやや消極的に捉えられています。(全く否定されていた時代もありました。)
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- hakobulu
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「静は先生に、Kとの仲を嫉妬させるように仕向けてプロポーズの言葉を引き出したのか」 ということですね。 結果としてはその通りですが、「意図的だったかどうか」ということなのでしょう。 Kと2人きりで部屋にいたり、2人きりで出かけたりしたことに、先生に対する意図があったかどうか? 一般的にこのような条件下では「あり得ること」ということはできるでしょう。 しかし、静の場合は無かったと言えると思います。 もしあったとすれば、Kの死に対する罪悪感は先生のみならず、静のものともなりうるからです。 「こころ」の持つ意味は違ってきますし、漱石はそこまで意図していないし表現もしていないでしょう。 先生の嫉妬を見抜いて笑うお嬢さん(静)の心情は、策略が成功したことへの凱歌ではなく、先生の狭量さを可笑しく思ったのでしょう。 また、それが自分に対する好意の現われだと感じることはあったかもしれませんが、あくまで先生の反応に対する自然な結果であって、彼女が意図した結果ではないように思います。
お礼
お返事ありがとうございました。。無事に終わらせることができました。。(^^♪ 今回のディベートはみんなでワイワイ話しあるものではないので全然面白くなかったです。。。 本当にアリガトウございました。。
お礼
お返事ありがとうございました。。無事に終わらせることができました。。(^^♪ 今回のディベートはみんなでワイワイ話しあるものではないので全然面白くなかったです。。。 2度も投稿していただき、とてもうれしかったです!! 本当にアリガトウございました。。