不自然ではないかもしれません。でも、きれいな日本語ではない感じを受けます。
握り飯、おにぎり、おむすびの3つで考えた場合、
当然ですが、前の2つに「むすぶ」をつけても違和感はあまり感じません(少しあります)。「むすぶ」という動詞には、握り飯を作るという意味があるからですね。ということは文法構造としては正しいわけです。
しかし、「にぎり飯をにぎる」「おにぎりをにぎる」となると、「おむすびをむすぶ」と同様、抵抗感が少し増します。
理由は名詞(「握り飯」「おにぎり」「おむすび」)の中に動詞が混じっており、その動詞を重ねて動作を説明するからだと思います。
「被害を被る」や「質問を問う」と同じ抵抗がありますね。
ただし、「おむすび」と「被害」では事情が違います。
「被害」にはそもそも「害を被る」という意味があるのですが、「おむすび」には握り飯を作るという意味はありません。動詞に御をつけて握り飯を丁寧にしただけ言い方(女性語ですかね)だからです。また、よく言われる「男の痴漢」や「きれいな美人」のような二重の形容でもありませんね。
※意見
しかし、
文法ではあり得ても、脳内では、イメージがダブるため、使用するには、私は抵抗があります。相手の脳内はスッキリしていてもらいたいものです。(^^;
※余談
ただし「瓜売りあるく瓜売りの声」のような軽妙さもあって、また別の味わいも感じます。
お礼
luune21様貴重なご意見を有難うございます。 具体的で分かりやすく、大変参考になりました。私もこの言い回しを実際に使用するには少なからず抵抗があります。しかし、この用法を日常生活で使用する人が今の日本でいるのかどうか(それも一般的に)を知りたかったのです。