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寿命がわずかしかない母への接し方

肝不全の母は見た目はどこもおかしくないように思われるのに、医師が父に話すには、あと1ヶ月もたないとのことです。母が元気なので信じられません。母は、好きなことをしてよいといわれているようですが、脳症で倒れるかもしれないのに、一人で外出させるのも難しいのではないかと思います。好きなことをしてよいといわれていても、本人もこわくて1人では外出もできず毎日ひとりきりで家で過ごしていて、孤独だとか、寂しいだとか言っています。とてもかわいそうです。会社を休業してでもそばにいてあげたいです。どのように接すればよいのか、このごろわからなくなりました。

みんなの回答

  • yamaeri
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.7

camechan2さんは今お母さんの顔見るととてもお辛い時でしょう。私は昨年の8月に実母を癌で亡くしました。その時、私が後悔した事を少しだけお話したかと思います。  実母は抗がん剤治療を行なえば余命6ヶ月から1年と言われましたが母は6ヶ月で私たちの元を去っていきまいた。私達は母には宣告せず、家族だけの胸に収めておきました。しかしきっと母は気づいていたと思います。しかし自分では少しでも良くなろうと抗がん剤治療をがんばって受けていました。そんな母にはどうしたらよいかと考えたのですが・・・。その時には母にとっての初孫おり(私の息子なのですが)、大変可愛がっていたので毎月、顔を見せにいったり写真を送ったりしていました。母は大変喜んでいたそうです。あと家族みんなで旅行に行ったりとしました。  ただ私は実家から離れており子供がまだ小さかったのもあり母の看病が満足にできなかったことをすごく後悔しています。母の看病はその時にしか出来ないのでどんなことがあっても側についてあげるべきでした。  お母さんも精神的に不安定になったりすることもあるでしょう。camechan2さんにも辛い事も言うかもしれませんが黙って聞いてあげるのもよいのでは・・・  すみません、あまり参考になりませんで。  camechan2さんや家族の皆さんも体調にはお気をつけてください。少しでもながくお母さんと過ごせる事を祈ってます。

回答No.6

2年前に祖母を亡くしました。 祖母は88歳になっても家の一切のことを切り盛りし、毎日きれいにお化粧しいい洋服を着て同居していた孫の私と派手にケンカしたりと元気な人でした。 亡くなる5年前ぐらいから、皮膚ガンやガンのリンパ線への転移、心不全等一年ごとに入院したりしてました。 89歳になり急に身体の不調を訴え、家の近所の病院に入院させ大病院で検査した結果、脳腫瘍と診断され余命いくばくもなく治療もしない自然にまかせるしかないとのことでした。その頃から寝たきりとなり4ヶ月後亡くなりましたが肺ガンも患っていたようでした。 病院は嫌だと夜中物を投げて家に帰らせてと泣いたらしく、病院に呼び出され祖母を見た時どんなことがあっても祖母の望みをかなえてあげようと思いました。 私はおばあちゃん子でしたので、どんなに仕事が遅くなっても毎日会いに行ってましたから平日は我慢してもらって、毎週土日は家に連れて帰り面倒を見ました。 寝たきりで亡くなる半月前はもう話すことさえできない状態、介護などしたこともなく大変でした。母は土日も仕事で弟と二人で病院に行き、寝たきりの祖母を抱きかかえおむつを取り替え、自分でもよくやったと思います。亡くなる一ヶ月前に家族で祖母を車椅子に乗せて公園を散策したり意識はあっても言葉も顔の表情もない祖母と家の桜を見たり・・・最後の2ヶ月は会話もなくつらかったけれど、今でもそのことはいい思い出です。 母は私によく世話してくれたねあんたがいてばあちゃんは幸せだったよと言ってくれましたが、私は今でもこれでよかったのかあの時こうすればよかったと自問自答を繰り返しています。 私ははっきり言って、会社をたくさん休みました。 後悔だけはしたくなかったからです。 いつも通りに接してあげることが一番だと思います。 孤独や寂しさを少しでも取り除いてあげられるようにしてあげて下さい。 そばにいてあげて下さい。 たくさんお話しして下さい。 今しかできないことをして差し上げて下さい。 家族ほど、大事な存在はないです。 あなたの存在がきっとお母様の生きる糧になりますよ。

回答No.5

私の母も今年の1月に癌でなくなりましたが、その時に同じような事を考えたものです。私自身がその局面で思った事、今振り返って考えた事ですが、まず私の母も症状がよくなつたり、悪くなったり病気がわかって約1年の闘病生活、看護生活をしまた、当初東京の大病院で長くても約3ヶ月の命と診断され大変に苦悩もしました、そこからの闘病生活が始まり家での生活、通院、入院を繰り返しながら一緒の屋根の下で暮らしもしました。その経験からまず混乱されているとおもいますがあなた方がまずどのような事ができるかを考えること、それは病気に対して最後まであきらめないで治療方法などを病人に変わって考えること(セカンドピニオンやもっといい病院がないか体力のない病人にかわって模索すること) それと病人の家族が今の生活(仕事、日々の生活)を崩さないようにしながら病人とよく話をしてあなた方が可能な範囲でしてあげられることをすることです。 もしもの時に私のために仕事を辞めたり、病人の家族などがこれからの長い人生が不幸になったりと逆に病人がおかしな心配や思いを残すことにならないようにすることがだいじなことです。難しいと思いますが、あまりあなたが常に気にするような態度で接すると逆に不安になったりしますので病人とは極力普通に接し話しを聞いてあげることです(思いが強すぎて病人が不安な時や、体調の悪い時に無理にどこかの連れていくとか、希望もないのに無理に食べた方がよいとか、 あまり押し付けることはしない方がよいとおもいます)

  • kakha123
  • ベストアンサー率26% (7/26)
回答No.4

私(40代 男)の母は十年前に亡くなりました。ガンでしたし、入院したときにはすでに手遅れでしたから、異なる点は大きいですが、余命いくばくもないことを宣告され(本人には話していません)、入院後一ヶ月で亡くなりました。 十年以上故郷を離れていて、いろいろな事情から故郷に戻って四年目。その四年間も一緒に暮らしてはいなかったので、毎日顔をあわせる状態ではありませんでした。 ドクターから、家族だけに病状を説明したいと言われたとき、父親は、ただごとではないとすでに予感がしていたのか、こわくて行けず、私と姉が直接聞きました。 説明の後、姉と「夫婦同士ではないからなのか、子供だと、意外と冷静に聞くことができるものだね」と話した記憶があります。その後の病室通いも、こわかったのでしょう。父は一週間に1回くらいしか行けませんでした。 その病院は、私の勤め先から車で5分とかからないところにあったし、職場にも協力してもらい、入院の間は毎日4時で退勤させてもらって、毎日病室で面会時間終了頃まで過ごしました。 入院してカテーテル等つけっぱなしでしたが、亡くなる前日までは顔色も変わらず、普通に会話していました。 病状等はうすうす感づいていたのだと思います。しかし、私をはじめ家族を悩ませることになるとわかっていたのか、何も尋ねようとしませんでした。 自分で言うのもなんですが、毎日息子が来てくれることそのものが、とてもうれしかったのではないかと思っています。なんせ毎日顔をあわせるなんて15年ぶりくらいでしたから。 何の話をしていたかは、あまり覚えていません。その程度の雑談というか普段の会話程度の中身だったのでしょう。姉もそうだったようです。 打ち合わせたわけでもなく、姉も、一分でも長く病室にいてあげることをこころがけていたようで、面会時間中はだいたい、姉か私のどちらかが病室にいたことになります。 また家が商売をしていたこともあり、本人や父親の知人・友人がとても多く、親戚(親戚にも、亡くなる一週間くらい前までは、余命いくばくもないことは伏せていました)も含め、二日に一回は誰かどうか見舞いに来てくれていて、世間話をしていました。 店で知らないお客さんとでも一時間近くだべっているくらい、割と楽天的な母だったし、話をすることでリラックスできたのだと思います。 長いこと親不孝な息子でしたが、あの一ヶ月間に限って言えば、今から考えて、もっとこうすれば良かったなどと後悔することは何一つありません。 しのごの言わず、会社の全面協力も求めつつ、一分でも一秒でも、長くそばに居てあげられるようにしてください。この一ヶ月間のことで、あなたが後々後悔することがないように。

  • shera0331
  • ベストアンサー率19% (23/121)
回答No.3

まず、「お母さんにどう接してあげたら自分は後悔しないか?」ではないでしょうか? 仕事はあとから見つけることもできますし、休業だって可能なことです。 私は、既婚者で旦那の実家のほうで暮らしています。 私の実家とは車で30分くらい離れていますが。 それでも、たま~に実家に戻り、おばあちゃんやおじいちゃんの話し相手になってあげたりしていました。 ですが、今年の4月、おじいちゃんを事故で亡くしました。即死でした。 もっと何かできたんじゃないか。。。 もっとそばにいることができたんじゃないか。。。 親孝行ならぬ、祖父孝行をもっとできたんじゃないか。。。 そう考えながら自分を責めてばかりいました。 事故だと、あまりにもいきなりな事で。。。 でも亡くなってしまったら何もしてあげれません。。。 質問者様の中では、会社を休業してでもそばにいてあげたいと答えがでているようですよね? だったらそうしたほうがよろしいかと思います。 後悔しない為にも。。。 まだ、あと1ヶ月もあるんだ!って思ったらいいと思います。事故で即死だと余命なんてナシなんですから。 最後の最後くらい、そばにいてあげてください。 そして、無理はしない程度にお出かけしたり、旅行したらいいと思いますよ。 自分で後悔しないだろう道を選んでくださいね。

  • chiychiy
  • ベストアンサー率60% (18543/30901)
回答No.2

こんにちは 私にはcamechan2さんのお気持ちははかりかねますが 少しでもお力になればと思って書かせて戴きます。 まだ1ヶ月あります。 私が一番大切だと思うのは、camechan2さんが明るく普段通りに接して 上げることが大切だと思うのです。 お辛いとは思いますが、皆で暗くなると余計辛くなってしまいます。 公園の散歩でもいいと思いますが、近場の空気のいいところへ 旅行に出ては如何ですか? まだ暑い時期ですが、寒い時期より動きやすいと思います。 空気のいいところで療養というのもいいと思います。 失礼ですが、職はまた探せます。 でも、人の命は一つだけです。 誰もが明日をも判らないような世の中ですが、余命があるのなら 好きなこと望んでいることをできるだけしてあげてくださいね。 私は去年大切な友人を病気で無くしました。 最初の手術のときに治ると信じていたのに・・・・ダメでした。 本当はダメだったんです。でも、誰もそのことを告げず きっと身体が動けるうちに色々やりたかった事があったと思うと 涙がこぼれてきます・・・・。 予断でしたが、お母様を大切になさってくださいね。 月並みな回答ですが、少しでもお役に立てればと思います。 笑顔が一番の特効薬ですよ。

  • nazokun
  • ベストアンサー率12% (14/109)
回答No.1

お辛いこととご推察いたします。 私は現在老親(母親)と二人暮らしをしております。 私も日中は働きに出ておりますので、母親はその間一人っきりで留守番です。 寂しさを吐露して泣いてしまうこともあります。 私の母の場合は幸いにも命にかかわる状況ではありませんが、精神的に弱く現在通院を続けています。 「休んででも一緒にいて差し上げる。」ことが出来ればよいのかもしれませんが、現実的には難しいですよね。 回答にもアドバイスにもなっていませんが、この先、出来る限り顔を合わす機会をおつくりになって、笑顔で接してあげるのがよろしいのではないかと思います。

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