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躊躇いもなく「死」を口にする人って・・・。
夏休みに入る前に大学に通っている時にタイトルの事がありました。 学生ホールと言う所で、内容までは覚えていませんが一緒にお昼ご飯を食べているグループの中のある人が何かに対して「本当にキツイね。最終手段として死を選ぶしかないね(笑)」と言った所、自分を除く周りの人の何人かも笑っていたんです。 私はその日、ある用事(大学のある講義の口述試験)があったのもありますが足早にその場を去ろうとしたんです。その時、ある人が「頑張ってね!」と言われたので「うん」と言いその人が最後に「戻って来る?」と言われたので「多分・・・」と言いました。 そして試験が終わってからまだ次の講義まで時間は随分ありましたが戻りませんでした。 それには「躊躇いもなく『死』を口にする人がいてそれに対して笑った人もいた」からです。 自分にとっては「生きている」ことは「奇跡」とも思っているから嫌だったのです。 勿論、夏休みが終わってからもその人たちとはお昼ご飯を食べたくないです。 皆様はこれに対してどう思いますか? その人たちから逃げている自分が悪いのでしょうか? たとえそう言われても自分はそう思っていませんから否定しますけど。 と言うかこう言う質問って削除されるのかな?
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死といいながら笑っていた。 そこまで深刻な話ではなく、普通の話でそういう事が出てきていると仮定してお話しますが、周りにも沢山います。 影響され、私もそうです。 その言葉にはたいした意味はないんです。 本気で鬱っぽくなっていれば別なんですが…。 もしかして、某大型掲示板の影響じゃないでしょうか? 私もたまに見ますが、キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!の掲示板です。 私も初めは、祖父、祖母、父が2,3年のあいだに次々と死んでいって、とても死に対して閉鎖的になりました。 今でも情緒不安定気味です。 ですが、周りが死を気にしていない(高校時代ですから、あまり周りに死がなかったんだと思います)ので、徐々に慣れました。 ショック療法みたいなものでした。 そのお友達は、幼いのではないでしょうか。 >皆様はこれに対してどう思いますか? 人それぞれなので、とくに何も思わず受け入れます。 避けたいなら、所詮うわべだけの付き合いであり、自分の人生には全く関係のない人です。 >その人たちから逃げている自分が悪いのでしょうか? 悪くないと思います。 その人がいなくても生きていけるなら、質問者様の人生には関わりのない人たちなので、それはそれでいいと思います。
- d-drop
- ベストアンサー率22% (214/938)
こんにちは。 価値観が違う人とでも、気にしないで、気になってもある程度は我慢して付き合わなければいけないのが世間です。 でも、人には、寛容か不寛容か、という問題ではなくて、これだけは絶対容れられない、というものがあると思います。 それをないがしろにするような言動、態度は、なんといわれても我慢できない、というようなね。 私も、そこに触れられて、全身が総毛立つような嫌悪感を、抑えきれなかったことがあります。 その時の人(たち)とは、二度と会いたくないですね。 しかもそれが、人の一番尊重すべき、生死を、軽軽に扱うような言動や行動だったとすれば、堂々と否定していいと思います。「他の意見の尊重」とか「言論の自由」以前の問題ですから。 といって、一応、その人の全人格を否定しようとは思わないようにしています。でも、それは、そうしないと、私自身が、この人の世を、歩く自信がなくなってしまいそうになるからだけのことで、その人(たち)と今後も付き合うためでは、毛頭ありません。 その人が心の軟らかい人であれば、何かの体験で、そうした態度を改めることもあるでしょう。でも、人からいわれてそうなるものじゃないような気がします。 「対話の不在」だといって、こうした態度を非難する人もあるでしょう。私もかつてはそうでした。でも最近やっと、「対話」が不毛なことも少なくない、と思うようになりました。どうしようもないことってあるものです。 もちろん逆のこと(こちらが発する言葉が向こうにとって我慢ならないことである場合)もあるでしょうね。努力の余地はあるでしょう。無用な衝突は避けられればそれに越したことはないですから。 でも、「どんなことがあっても人間関係を壊してはいけない」と思いこんでいた昔の私は、それで流され、自分の価値を見失い、おかしくなりかけて、向精神薬のお世話になった時期もありました。 あんな辛いことはたくさんです。 どうしても否定せざるを得ないものは、否定していいのだと、いまは思います。そうでないと、精神の安定が保てません。それでなくとも、世の中、精神に挑戦してくることはたくさんあるのに。 いろいろと書き並べてしまいましたが、こうして書いてみると、こんなことは質問者さんはもうわかっておいでかな、という気がして、ちょっと(汗)です。 なんとなくあまり明るくない人間観を提示してしまったかもしれません。でも、確実にいえることは、こう考えるようになって、私自身は、ずっと楽になったし、人付き合いも楽しくなったんです。それどころか、不思議なことですが、まえより寛容になったように思えたりするんですよ。 まあ、このなかの、どこか一部でも、参考になれば嬉しいです。 乱文陳謝。
お礼
ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
- kapisan
- ベストアンサー率14% (1/7)
私は今年始めにきつい病気を経験し、命をネタにされることが人一倍許せなくなっている者の一人です。なので質問者さんのような考えの方を見ると嬉しい思いです。だからこそ言います。 仲間は大切にしてあげてください。 もしも命に関わるような病気になったとき、何か厳しい状況に立たされてしまったとき、仲間の存在は大きな心の支えになります。仲間を簡単に切り捨てできるのは、命の危険から遠いところにいるからです。
お礼
ありがとうございます。
- anne_wolf
- ベストアンサー率25% (26/104)
>自分にとっては「生きている」ことは「奇跡」とも思っているから こう思われているのには、なにかきっかけがあったのでしょうか? それをお友達にお話されてはいかがですか? 死生観は、それまでの生育歴や経験、個人の感性等によって、人それぞれ違うと思います。
お礼
ありがとうございます。 >こう思われているのには、なにかきっかけがあったのでしょうか? ●勿論、そうです。 >それをお友達にお話されてはいかがですか? ●う~ん、お互い友達みたいには思っていないので話したくないです。 自分にとっては大切な事ですから。
ちょっと趣旨が違うかと思いますが、自分も同じような質問を違うカテゴリーでしました。 参考になれば幸いです。 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1064373 そういう人というのは、私は思うに ・命の尊さが分からない(メディア等のせいで感覚が狂った) ・身近な人の死に直面した事がない ・人の痛みが分からない この3個のいづれかになると思います。 「死」というネタで笑い出したら、冷たい目で見るか、距離を置くか。 席を立つか…不愉快である事を行動に示したらいかがでしょうか? 「なんで?」と友人が聞いてきたら「死を笑うもんじゃないよ人の命をなんだと思ってるの!!?」と一発渇を入れてやるといいでしょう。 余談ですが― つい最近まであたり構わず「死ね」とかいってた一人です。 今年春、親友が遠い南米の地で心臓の病気でなくなりました。 あまりにも突然で…会社にいたので…会社のトイレで何時になったのか分からないくらい泣いてました。 自分が医者なら、なんか出来ただろうに…なんでなんで…って何度も何度も悔やみました。 一人暮らしをはじめたら、お金を貯めて彼のお墓に行くつもりです。 お酒とギターを持って。(好きだった曲を演奏するために) 人の死に直面すると、命の重さが分かるな…と痛感しました。
お礼
ありがとうございます
- adaypajimy
- ベストアンサー率20% (201/964)
死って言うのは、万人がいつかくるという点で共通するものなので、ネタにつかいやすいと思います。…ので、私もNo3さんのように、または、brown_gateau2005さんの前で「死」をネタに使う人のように、けっこう気軽に口にしていると思います。 たしかに最初の方がいうように死に本来持つべきイメージを(間接的にあるのかもしれませんが)抱かせているわけではありませんし、あるいみ誰でも分かりやすい共通認識だから、このことについて深く考えなくでいいのではないでしょうか。 新聞の三面記事が毎日の楽しみな人もいますし、自分からかけはなれた人の死は、多大な情報の中のどうでもいい事柄でしか、事実なりえないわけです。事実、人は今も尚たえず死んでいますし、一ヶ月前の殺人事件のことを性格に1つ1つ覚えている人はいないでしょう。 死という言葉から逃避することによる行為によって、人間関係から遠ざからなくてもいいのかなーと、私は思います。少なくとも、このインターネット社会では何故か"嫌いな奴とは関わるな"という意見が多数ですが、それは確かに理がありますが、同じ考えの人間で群れる事を目的とするのは、人間関係から臆病に退いているともいえます。 不謹慎で悪い事を言っていると感じるかもしれませんが、気軽に口にするのも問題があるのかもしれませんが…死という言葉から逃げていて自分の死と他人の死から決別できるわけではありませんし、一種の共感する材料であると考えられませんか。蒙昧にしても特に綺麗でも意味のある事でもないです。 …ま、別に考えなくてもいいですけど、個人的にいいたいことは、気にしすぎるなってことです。
お礼
ありがとうございます。 確かに冗談の部分もあるかもしれませんが、ネタになると嫌ですね。 >死という言葉から逃避することによる行為によって、人間関係から遠ざからなくてもいいのかなーと、私は思います。少なくとも、このインターネット社会では何故か"嫌いな奴とは関わるな"という意見が多数ですが、それは確かに理がありますが、同じ考えの人間で群れる事を目的とするのは、人間関係から臆病に退いているともいえます。 ●う~ん、確かに同じ考えの人ばかりと付き合うのもどうかなと思いますが、だからと言って「死」と言う言葉を口にする人になるときつ過ぎです。
- 4422
- ベストアンサー率19% (12/63)
わかりますね。その感覚たぶん、俺も気付かないうちにそう言う事を言っていると思います。俺達は、そう言う事に関して、軽く考えてるところが原因ですよね。俺も反省しないといけないと思います。 別に、悪くはないと思いますが、本当の友達なら、不快に思ったことをちゃんと友達に話してから、友達の縁をきるなり、すればいいと思います。一人でも多く、軽はずみにそういう言葉を使わない人が増えた方がいいと思うので。 適切な判断をされることを心から願っています
お礼
ありがとうございます。 そうなのですか? でも反省なさらないといけないとお思いですからいい人なのでしょうね。 本当の友達かどうかを尋ねられると違うと答えてしまいます。ただ仕方なくいると言う感じですね。 一人でいる方が多いですから尚更です。 それにある日お昼ご飯を一緒に食べようとそのグループに加わろうとしたのですがある人があまりいい顔をしていませんでした。 お互いいてもいなくても変わらない感じですね。
- tatauri3
- ベストアンサー率55% (5/9)
その人たちも本気で死ぬしかないなんて思ってなくて冗談の一種だったと思いますが…。 それでも許せない、冗談にしてはいけないことをした、とお思いなら、友達は選べます。気の合うお友達を探したらいいんじゃないでしょうか。 逃げる逃げないではないと思います。 いい仲間と楽しいキャンパスライフをおくってくださいね!
お礼
ありがとうございます。 >許せない、冗談にしてはいけないことをした、とお思いなら、友達は選べます。気の合うお友達を探したらいいんじゃないでしょうか。 ●探したいのは山々なのですが、今大学三年なので難しいです。 友達作りも苦手ですし。 一人になるしかないと思います。
- note-bookn
- ベストアンサー率0% (0/2)
私も、「死」を簡単に口にする人は好きではありません。ただ、そういうことを言う人が多いというのも事実だと思います。 私が思うに、そのような人たちが使う「死」という言葉は、本当の「死」を意味する言葉として使われてないと思うのです。単に、他の、物事を批判するような言葉と同様に使われている気がします。 だから、あまり「人が生きてるのは奇跡なのに、そんな言葉口にしないで」などとあまり思いすぎると、こっちが疲れてしまいます。 世の中には、いろんな人がいるんです。「死」という言葉を使うのは許せても、他に何かでは許せない、という人も絶対にいます。 ちなみに、これも立派な質問だと思います。消去なんてされませんよ。
お礼
ありがとうございます。 確かに多いでしょうね、これ以上言うとさらに削除されてしまうかもしれないので言いませんが。 >私が思うに、そのような人たちが使う「死」という言葉は、本当の「死」を意味する言葉として使われてないと思うのです。単に、他の、物事を批判するような言葉と同様に使われている気がします。 ●言われてみればそうかもしれませんね。 流石に本当の意味で、しかも笑っては言わないでしょうね。 >これも立派な質問だと思います。消去なんてされませんよ。 ●そうだと嬉しいですが。。。 少し不安に思います。
お礼
ありがとうございます