日本語を激変させたとも言える一番大きい影響は、物主構文などの翻訳調の流布だと思います。(その前に文語は漢文調だったわけですから、日本語の文語はずっと翻訳調だといえる訳ですが)
文学的には、翻訳調は新感覚派の横光利一『頭ならびに腹』の「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された」に始まるとよく言われています。。
しかし、こういう権威の文を真似ること以外でも、単に学校教育で英文を翻訳する機会が多いため、自然に見についた現象ともいえそうです。
そもそも、主語が明確に意識されること自体、翻訳調です。大日本帝国憲法「大日本国帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」この文あたりが翻訳調の始まりとする説もあるようです。
また、よく使われる「~的」も、もと中国、宋・元の「の」の意味を表す俗語であったものを、明治以降、英語の -tic を有する形容詞の訳語に用いたことに始まります。[infoseekの国語辞典より]
<余談>
現在、私達は最新テクノロジーのほとんどを英語で学んでいます。移り変わりは非常に速く、翻訳なんか全然間に合ってません。この影響で、「翻訳調」どころかそのまま「カタカナ」にしてどんどん単語が増え続けています。(例:ソリューション、アフィリエイトなど)
明治から昭和にかけて「経済」「哲学」など素晴らしい翻訳がなされてきましたが、もう既に翻訳自体、羨ましいことになっています。
ただし、必ずしも悪いことばかりではなく、「ユビキタス」のように英語でもフランス語でもないグローバルスタンダードな語がボーダレス化に良い影響を与えているものもあります。<この文は意識してカタカナ語を使ってみました^^:
お礼
それはすごい参考になりますね。 ありがとうございます。