早速のお返事、ありがとうございました。
ご要望がありましたので、補足を(笑)。
「禅」自体は、日本で言う平安時代初期~平安時代中期に中国で生まれた発想であるといわれています。
俗に「禅宗」と呼ばれる宗派は、菩提達磨というインド僧(「だるま」のモチーフになった人物ですね)を始祖としていますが、最近になって歴史学的に(宗教的にではなく(笑))菩提達磨の実在性を疑う意見が提起され始めました。実際にはおそらく達磨から直接法を授かったとされる「慧可(えか)」という中国僧およびその一派が現在風の座禅のシステムを作り上げたといわれています。
この一派、俗に「山林学派」と呼ばれます。
中国の歴史が唐から宋に変わろうとする激動期に、仏教弾圧が行われました。寺院が焼かれ、大半の僧侶が還俗させられ、中国仏教は崩壊寸前まで行ったといわれています。
その折に、弾圧を逃れ深い山奥に行った一派があります。
当然これらの僧侶たちも普段は経典を使った研鑽に励んでいたのでしょうが、そういう「資料」はこの弾圧で全て失ってしまったといわれています。
そうやってすべてを失った僧侶たちがたどり着いた答えが「教義」ではなく「実践」だった、ということなのでしょう。
中国・山林学派の仏教者たちがたどりついた「実践」は、静かに坐しながら自分の心の奥にある「真理」にたどり着くという、釈迦自身が導き出したスタイルでした。
釈迦自身は、「苦行が流行」だった釈迦当時のインド社会(仏教以前)の中で、ただ一人苦行を否定し、逆に怠惰も否定する「中道」の道にたどり着き、静かに坐して瞑想することで悟りに到達した…というのはご存知かもしれません。
「山林学派」は、それを踏襲したのです。
ただ、山林学派の禅も、時代を追うにつれて進化していきます。
「進化」という言葉を使いましたが、もっと突っ込んだ言い方をすれば「濃厚に中国的なものを吸収していった」ということです。
仏教に限らず、インド思想全体に共通して言えることなのですが、本来それらの思想は非常に抽象的なものだったといわれています。つまり、「漫然と自分の深層心理を探る」という方法ではなく「言葉」を使って、あるいはその言葉によって一度既成概念を破壊することで、真理に近づこうという手法を用いるようになります。
これが、臨済宗系の禅で言うところの「公案」と呼ばれるものです。私たちには「禅問答」という言葉のほうがピンと来るかもしれません。
中国は「言葉」を文化における中核とみなしていた背景があります。唐の時代には(私たちが古文の授業でさんざん悪戦苦闘するような(笑))詩の名作を作り上げるだけの文化があったわけですから、その「言葉」を瞑想に有効に取り入れようとしたのは当然の成り行きといえるでしょう。
更に時代が下り、その「言葉による内面への到達」という方法を(半ば言葉遊び的になりすぎてしまったことに反発して)ひっくり返したものが、曹洞宗系の禅、「只管打座(しかんだざ)」です。こちらは、逆に徹底的に空白になっていくことを目指した禅。徹底的に頭を空っぽにして、空白にすることで見えてくる「真理」にたどり着こうとする手法です。
どちらにも共通して言えることは「俗に【真理】と呼ばれるものは、実は自分の心の中にあるのだ」という考え方です。「座禅」では、それらを導き出すことをひとつの目的にします。
まさに「他に頼るものの何もなくなった」山林学派の僧たちが生み出すに相応しい考え方だと思います。
広く「瞑想」という場合、どちらかというと「眠っている深層心理を揺さぶり、それを覚醒させる」的な側面が重要視されますが、「座禅」が生み出した瞑想方法では、それとはまったく逆のプロセスを取る、ともいえるかもしれません。
以上、長文な上に走り書きなので、若干まとまりにかけます(^^ゞが、ご参考まで。
お礼
ふおお!!感動 凄い、何点でもさしあげたい気持ちです(笑) 本当にありがとうございます! 時代の背景もよくわかって とてもよかったです。 それにしても、深い世界が待っていそうですね(笑) 夏の時間でも利用して、座禅に挑戦してみようかと思います 俗に【真理】と呼ばれるものは、実は自分の心の中にあるのだ」という考え方<これが、座禅などの根柢を成していたのですね 感謝の気持ちでいっぱいです