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ロボットは心を持ちうるか?

コンピュータが進化してあらゆることが可能になったとして、人間はコンピュータに心を持たせうるのでしょうか? そのとき人間とロボットの区別はなにでできるんですか? そもそも人間の心って特別なものなんですか? 考えるといろいろとわかりません。一緒に考えてくれませんか?

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  • luune21
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回答No.17

極端に省略して書きますと、 もうすでに機械(ほとんどを無機質で人間が作り出したものとしてとりあえず定義)は心を持っています。 例としては、ウィルスチェックプログラムです。 このプログラムは自己と他者を区別でき、またその中から有害なものを認識し、注意・警告・駆除などを行います。これな免疫システムというだけではなく、既に心です。 私は、イランの"ハタミ大統領"を知覚するつど、オイシそうな気持ちが湧き上がります。分析すると、焼肉のハラミや和民のニヤケタ社長の顔を海馬が紐付けしているからだと気づきました。これを心だとすればウィルスチェックも同じ機構です。 もし、犬が親しい飼い主を見てシッポを振る、といった動作は心ではない。まして、ウィルスチェックは心のはずがない言う人がいるとすれば、それは人間の行動と似ていないのが原因なのでしょう。 その方向にあるのが愛知博の受付ロボット、ブレードランナーや鉄腕和アトムの葛藤ですね。 似せてあげれば、簡単に人は心と感じるに違いありません。 もう、この時代は既に一般人へも到来しています。 市販されている癒し人形(留守にして帰宅すると、人形が「淋しかったよぉ」などと言う)は大変よくできていて、実際、二人暮らしのご老人に話しを聞いたことがあるのですが、大変有機的な心の繋がり感じるとのことでした。 パターン認識や言語による経験蓄積を紐付け情報で引っ張ってきて、ドーパミンやノルアドレナリン、エンドルフィンなどのホルモンの代わりに電気他による信号になっているだけですね。これを心ではない、と否定する理由はないと、私は思っています。 人間は山やカラス(実際は山にはないがカラスにはある)にも心を感じたりする生き物です。 無機質だからと言って、心を区別できたりできる訳がない、と思います。まして有機質(クローンではなく)で機械を作る時代になれば、人間と区別するのはまず不可能でしょう。 愛や友情、美しい夕焼けをみた時の感動は?って? それはそういう名詞として名前をつけて区別しているだけで、脳の働きは同じ原理ですよね。 子供が死んでミイラ化しても、母がいつまでも抱いたり背負ったりし続ける日本サル、動物園でゴリラの遊び場に落ちた人間の幼児を保護し、♂ゴリラを近づけようとしなかった♀ゴリラ、などの映像を見たら、心が人間にしかない特別なものとは、とても思えません。

frano
質問者

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わかりやすい説明ありがとうございます。 ウイルスソフトが心というのには感銘を受けました。

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  • hanpty
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回答No.10

コンピューターに関してはあらゆる事ができるとして考えるのですね。 持たせる事はできると思います。ある意味では。 1)観測者の側の問題だと考えます。コンピューターが実験の対象としてではなく、子供がそうするように人間かどうかを問わずに友達となった時、そこで人が心を感じたら心を持ったといえるのでしょう。 2)人が心の存在を感じた時に、心は存在すると決定する。その時、区別の問題はどうでも良くなっていると考えます。子供にとって「トモダチ」である玩具の材料が気にならないように、その機械=心を持っていると確かに思える存在が人間ではない事が気になるなら、人は目元に刺青でも付けるでしょう。  個人的には、影武者等の目的のために識別可能な人間との境界はどんどん取り除かれていくだろうと思うので、境界線上に多数の例外をもつ区別は無意味だと思います。 3)うん? ここでは「動物の心」とかもあると考えて良いのでしょうか?  あるなら間違いなく特別です。人間は命を取捨選択します。放っておけば絶滅する種族を救おうとする心なんて、人間以外が持っていると聞いた事がありません。  無いならちょっと難しいです。コンピューターの心と区別しようにも、コンピューター独自の心の存在を知りませんから。比較対照が無ければ区別もできない。そう考えると特別で良いと思います。コンピューターが心を持ったとき、それが人間に比べて遜色ないものであったなら素直に認めればいい。少なくとも良く知りもしない物を相手に自分を下に位置づける必要はないと、そう思います。だから、誰よりも下ではないという意味で、特別。  )一度自分に心があると思ったなら、後はそれを育てていくのは本人達でしょう。心がどれだけの機能を持つようになるかは、彼ら次第だと思います。

frano
質問者

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ありがとうございます。 投影する心については私も同意権です。 ですが、やはり自分が自分であるという意識 は心の根幹にかかわってくると思うんですが、 それはロボットには持ちうるのですかね?

  • Quant
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回答No.9

あなたは、"C,H,O,その他の元素の塊"ではないのですか。

frano
質問者

お礼

それはそうですが 私にはあまりにも還元論に聞こえてしまいます。 人の心は特別なものではないのでしょうか?

  • kobarero
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回答No.8

現在のコンピュータ技術・ロボット技術は、センサーを通して外界から情報を入手し、その情報を情報処理装置により処理・判断し、アクチュエーターを通して外界に働きかけるという発想でできていると思います。 全て物質に関する情報と制御に関する技術だけで構成されており、心に関する技術は全く考慮の対象外です。従って、現在のコンピュータ技術やロボット技術がどんなに発達しても、ロボットが心を持つことはないと思います。 もちろん「見かけ上」限りなく「心を持っているかのように」見せかけることはできますが、それは、実際に心があるということとは全く別のことです。 では、ロボットが絶対心を持つことがないかと言えば、そうとは言い切れないと思います。それは、将来、今のロボット技術とは全く違った次元の「心」の科学と技術が確立すれば、「心の技術」と「物の技術」の融合により実現の可能性はあると思います。 私は、「心」は、「事」の範疇に属するものと思いますが、そのような「事」を有らしめている原理は、人類にとって、未だ全く解明不能なものとしてそこにあると思います。これを解明するには、もう一度「物」は本当にあるのかという次元での根本見直しが必要だと思います。これだけ、コンピュータによるバーチャルな世界が現出されている今、未だに「物」がそこに「客観的に存在しているのだ」的な固定した認識を持つ必要はなくなって来ているのではないかと思います。

frano
質問者

お礼

ご返答ありがとうございます。 私は個人的には見かけ上の心も心だと思うのです。 どうでしょうか?

noname#15238
noname#15238
回答No.7

出来ません。 ロボットの心と人間の心を、同じ心と考える場合、 人間の心が、どのようなものか、考えねばなりません。 昔々のお伽噺 ナトリュウムイオンの電気信号が、脳の中に充満する生命が 進化の過程で、数を増し、生命連鎖の頂点まで辿り着きました。 だれも、心などもっていませ、しかし、一部の仲間は協力し合い 一部のものとは、敵対しあう中で、偶然の中から 他者の意識と他者の意図の存在に気が付き(錯覚)ます。 同じような身体をした他者に心があるようだ、 きっと自分にも、心はあるのだろう。 ロボットの心は、人間には作れません、ロボットが作ります。 以上、無責任なお伽噺です。 PS#1さま、参考になるページ有難うございます。 メィンではなく、脇の、フラクタル経済学、探していました\(^o^)/。

frano
質問者

お礼

ラディカルで面白い考えですね。感動します。 他者の意図の存在はどこから生起するのですか? 心以外の行動からですか? 他者の意図に気がつくメカニズムこそが心ではないのですか?

  • Quant
  • ベストアンサー率18% (23/122)
回答No.6

"C,H,O,その他の元素の塊"が心を持っているですが。

frano
質問者

お礼

ここで定義されている心ってなんですか? 元素の塊が心をもっているとはどんな風に証明できたのですか?無知ですみません。

  • yonchura
  • ベストアンサー率33% (51/152)
回答No.5

とんでもなく難しい技術ではあるけど 人間の脳も有機物質で出来た電気回路だから、無機物で同じ物を作るのもある意味可能なのかもと思ってます。 情報量が膨大だから今は出来てないけど、回路の量的問題をクリアすれば、残るのは有機か無機かの違いだけなんで、 気分的には複雑だけど、それは自分らの脳と一緒かなと思っちゃいます。

frano
質問者

お礼

すいません、有機、無機の違いがどれくらいのものなのかを教えていただけませんか?そしてなにが困難なのかを教えていた抱けると助かります。

  • Quant
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回答No.4

C,H,O,その他の元素の塊が心を持っているとされているのですから、ロボットが心を持つことも可能なのではないですか。そのときに人間の心とロボットの心は区別できないし、区別すべきではないと思います。

frano
質問者

お礼

ありがとうございます。 ですが、C、H、Oが心を持っているというのは初耳です 良かったら説明していただけませんでしょうか?

noname#39234
noname#39234
回答No.3

心を、理屈や理性で計りきれないものだと仮定して そう見えるプログラムを組むことは可能です。 たとえば、同胞の故障廃棄処分に泣くプログラムや 自暴自棄になるプログラムも可能でしょう。 それを感情ととらえ、同情することも可能でしょう。 しかし、プログラムとして無視することを 倫理上問題とすることは無いと考えられます。 アトム派生作品で連載中の "PLUTO"は、その辺おもしろいですね。

frano
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり投げかける側つまり投機する心は機械にも存在しうるのでしょうね。 アイボをかわいがっている人がいることからしても既にそういう意味での心は機械に備わっているのかもしれませんね。では自己認識、自我境界、簡単にいってアイデンティティは機械は持ちえますか?

回答No.2

心を認識の主体であると考えると認識の主体は、認識の対象にならないと思います。つまり認識の主体は存在する事は確認されても、その本体(本態?)が何かということは了解不可能なものだと思います。了解不可能ということは人間が作った回路に即して考えると何をやっているのか分からない回路ということになります。これはロボットとしては不完全なものと考えられます。人間は自分が作ったものから心を消し去らないと安心できないのではないでしょうか。仏像だって完成したものには人間が制御できる胎内仏を収めるようです。逆にさかのぼれば人間の心も存在する事は分かりますが、それは何だか分からないからこそ、認識の主体になっているのではないかと考えています。養老孟司さんは。これを人間の脳における自己言及の矛盾と呼んでいるのではないでしょうか。人間は原理的には何でも理解の対象に出来るはずですが、唯一原理的にそれができないのが(自分の)心ということではないでしょうか。それでは他の人の心はわかるかというと、客体化されたもの(教養とか才能とか作品など)を通してその存在はにんちできますが、その心自体は何かというと、やはりわからないということにならないだろうかと思っています。

frano
質問者

お礼

議論がずれていたらすみません、考えたことを書きます。 了解不可能なものは他者の心でも機会の心でも同じですよね。他者に向けられた言ってみれば投機する側の心は機会にも他者にも存在する。そうすると自主、アイデンティティというところが問題になってくる気がするのですが違いますか?

  • 2531kbps
  • ベストアンサー率13% (183/1333)
回答No.1

まずは http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/ が参考になるかな? 私の予想では、ロボットに心のような物を持たせるのは可能だと思います。ようなものというのは、表面的に心があるように反応するロボットです。しかし実際に心があるわけではありません。 人と同じ心をロボットに無理に持たせると、問題が起きるので、「心のような物」でとどめておくのがよいと思います。

frano
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 一つ質問があります。 心のようなものとは何ですか? 表面的に心があるかのように反応することは 立派な人間の心の一部ではありませんか? そう考えると議論が複雑になりますが。