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幼児の前で鶏を殺して食べるという食育
年長児の娘の担任の先生が「命の大切さ」を伝えるために ひよこを飼って、鶏にして、子供の目の前で 殺して食べる食育を行いたいと言いました。 「食べる」ということは「命をいただく」と言うことを 伝えるのが目的だそうです。 これまでにも、生きた魚を目の前でさばいて食べるという ことは行いました。 子ども達は「残しては魚に申し訳ないと」綺麗に 全部食べたそうです。 私は以前に金森先生の著書「いのちの教科書」を 読んだことがあり、その本の中で 鶏を食べるという授業が紹介されていて それはとても感動的な内容でした。 ただ、その本は小学校の話であり、 年長児には刺激が強すぎるのでは、、、と 心配もあります。 クラスのお母さん達は「鳥肉が食べられなくならないか、、、」 「残酷なシーンを見て耐えられるだろうか、、」 など反対意見を持つ人もいます。 みなさんは、この件に関してどのように思いますか? 私は食材に宿る命を意識する良い機会だと 思って、基本的には賛成の立場にいます。 でも、娘がショックを受けすぎないか 心配でもあります、、。 賛成、反対、色々な意見を聞かせてください。
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私は反対です! 確かに私たちは動植物の命を頂いて生きています。それは私たち人間が生きるため行っている事だと私は思います。 子供の時飼っていた鶏がいなくなり、母に聞いたら「逃げた」と言いましたが台所にあった新聞紙に鶏の首が包んであったのを見つけた時すべてを悟りました。 その後しばらくは肉が食べれませんでした。最近は食べれますが・・・ 肉食動物は草食動物の命を奪って生きます。これは自然の流れですが肉食動物は満腹の時には狩りはしません。これは自然界のルールです。 子供たちの前で鶏を殺せば、その鶏は死ななくてもいいのに子供たちのために死ぬ事になります。それこそ命を尊ぶという事から外れる事になると私は思います。 命の大切さを教えたいという事ですが、それは子供自身に親が教える事だと思います。一緒に歩いて「ほら花が咲いているでしょ。この花は種から一生懸命大きくなったのよ。だから踏んだりしないでそっとしておこうね」と言えば子供たちは自分の感性でわかります。 小さい子供を持つ親さんたちはぜひ自分自身を振り返って頂いて、自分が「嫌だな」と思う事は子供さんにも同じ思いをさせないで欲しいです。
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どういう感動なのか、まだよくわからない、もどかしさがあるのですが、それでも補足していただいて、だいぶ見えてきました。その本では、親もさいしょは大反対。しかし、案ずるより生むがやすし。試みてよかった、という結果ですね。後遺症を引きずるような子はひとりもいなかったのですね? いま、あなたは判断つかないくらいに混乱しているとか。反対意見の多さから? そこがわたしには理解できないのです。最初はみんな大反対となるのは、本に書いてあることから、わかっていることですから。反対意見の多さは、判断材料にはならない。とうぜん予想されたことがおきているだけのことですから。 本を読んだときは感動したけど、じっさいわが子が体験するとなると、不安になる、という心の揺れは理解できます。でも、そうした揺れは、自問したり、当事者のあいだで真剣に話しあうことによって解決をはかるべきことだとおもいます。それを、ここの回答を参考にしようとするのは筋違いなのでは。 それはそれとして、どさくさまぎれに、わたしの参考意見を。 「勇気ある先生の協力者になったら?」
お礼
お返事ありがとうございました。 本を読む限りでは 全てがプラスの結果で終わった印象がありました。 でも、もしかしたら傷ついた子もいたかもしれません、、。 真似をして全て同じようにうまくいくとは 限りませんよね。 もう一度みんなでじっくり話し合ってみます。
- tomoya_love_chii
- ベストアンサー率21% (32/146)
幼稚園児の母です。 そういう幼稚園があるんですか。。。。かなりの衝撃です。 命の大切さを、とのことですが 動き回る物にしか命ってないのでしょうか? 私たちが口にするものの半分は植物ですし。 それだって命を頂いているわけですよね。 それを育てるのにどれだけ手間がかかっているかを 知ることで、食べ物を大事にしようって私は学びました。 うちも父が狩猟をしているので、父が仕留めた いのししやら、鹿を庭でさばいている姿は 幼稚園くらいでも見ていましたが、動いているところを殺す場面を見せられたりはしませんでした。 狩猟の場合、自分もいつやられるか分からない状況で 行う物なので、仕留める側も命がけです。 命を無駄にしないという理論より 食うか食われるか、どれだけ大変な思いをし、どれだけ手に入れるのが難しい物なのかを知っていたり、味がおいしい事が先にたって 大切に食べられる部分は残さず食べ、毛皮などまで 利用できる部分すべて利用するという考え方なんだと思います。 私はこちらの考えの方が自然に感じます。 命を学ぶ為に行うしては 精神論の部分が強いと感じました。 果たしてこの精神論は幼稚園児に通用するのでしょうか? 個人的には、食物のおいしい食べ方を学んだり、食べ物を自力で得ることの難しさを農業を通じて学んだりすることの方が子供に伝わりやすい気がしました。 焼き鳥屋さんで働いたことのある方に聞いたのですが 鶏の首を少し切って血を抜いてしめる時には かなりの量の血が噴出し、その状態で必死になって暴れ うっかり手を離せば、首のない鶏が走り回るそうです。 生きてるわけですから全身全霊を込めて暴れる鶏を 必死になって殺す人を見ることって 命の大切さを学ぶ機会なのでしょうか? 子供ですからそれを見た後の精神的ショックもさることながら 生き物の殺し方を学ぶわけですし、鶏と同じ方法で人間も死んでしまうわけですから そういう知識を得る前に、 武術を学ぶ時に、人を倒す方法を学ぶと同時にその精神論を学ぶように 命に対する精神論を身に着けなければいけないのではないでしょうか。 そう考えると幼稚園児にはちょっと無理ですよね。 学習するというより、体験するだけで精一杯だと思いますから。 殺すことは結論であって、そこにたどり着くまでの過程をよく学び理解しなければ いたずらに命を奪うだけの行為になりかねないなと思いました。
お礼
お返事ありがとうございました。 私も幼児には残酷なような気がします 他に命の大切さを学ぶ方法が無いか、 みんなで話し合ってみます。
- Celica-you
- ベストアンサー率26% (6/23)
絶対に、反対。 自分は沖縄在住ですが、沖縄には山羊を食べる風習があり、 しかも現在では結構高級品とされています。 近年では食べる人が少なくなってはいますが。 自分が幼稚園か小学校低学年の頃に、父親の実家の近所の人が 山羊を潰すからみんなで食べようって事になったらしく、 それを自分も見に連れて行かれました。 結果はご想像の通りです。 今でも山羊の鳴き声とクビに鎌を当てる光景が忘れられません。 もちろん今でも食べられませんよ。 絶対にやめましょう。まだ早すぎます。
お礼
お返事ありがとうございました。 実際見たことのある方の意見は とても参考になります。 やはりかなりショックなことですよね、、。 実際体験した人の声を クラスの人たちの前で伝えたいと思います。
- katyan
- ベストアンサー率9% (201/2029)
すごい先生だ、幼稚園では早すぎ もしこれによってこの先肉類を食べれなくなった場合 誰が責任を持つのでしょうか? 活かすために飼う、そして成長を喜び、子孫を増やし そして死んでいく。だからみんなかわいがりましょう みんな、仲良くなりましょう。大事に大切に世話をしてあげましょう。 このようなことを飼う事をトウシテ学んだと思いますが・・・・ たぶん鶏を絞めるのは中学生でも早すぎでしょう 考え方がおかしいです。 本当に絞めることできるの?さばく事できるのでしょうかね? こんな幼稚園の先生辞めてもらってもいいかもね もし食べることを考えるなら、もやしでも人参でもキャベツでも菜園を作って子供たちに世話してもらい そして収穫すればすむ事じゃないかな?
お礼
お返事ありがとうございました。 幼児には早すぎるかもしれないですね。 先生自体は素晴らしい先生で 今の子が体験できないスローライフな生活を 過ごさせるように色々工夫してくれています。 今回の事も、独断で強行するのではなく 「こうしたいのですが、みなさんはどう思いますか?」と こちらの意見もきちんと聞いてくれます。 きっとみんなが反対すれば、やめてくれると思います。 O-157事件以来、市がうるさくて 畑で自分達が育てた野菜を食べることすら 公立の園では禁止されてるんです。 先生達は、途中で子供に隠れてスーパーで買ってきた 野菜と取り替えて子どもに食べさせなくては ならないと聞きました。 スイカ割りのスイカも熱湯消毒しなくては いけないんですよ、馬鹿馬鹿しいですよね。 幸いうちは、私立なので、畑の野菜も自由に食べられるのですが、、、。 鶏の件はもう少し、クラスで話し合ってみます。
「いのちの教科書」に感動して、あなたは基本的に賛成の立場。 担任の先生も、おそらくおなじ本に感動したからこそ、この企画を思いついたのでしょう。 とすると、反対の立場の回答者も、本の内容を知れば、感動して、賛成の立場に変わるかもしれません。 内容を知っていると、知らないとでは意見が反対になるような問題では、みんながまずおなじ土俵に上がることがたいせつで、そのためには、その本にはどういうことが書かれているのかを明らかにすべきだとおもいます。そのうえで、みんなの意見をもとめるのが妥当だとおもうのですが。
補足
お返事ありがとうございました。 今現在、賛成か反対か、頭の中が 混乱してどちらが正しいのか判断できないでいます。 「いのちの教科書」では、鶏の首を落とす役目を なんと子どもがやっていました。 20羽ほど用意して大人がほとんど殺し、 1人の男の子だけが、一度だけ行ったのですが、、、。 その様子を後でその子自身が作文に書いていましたが 先生が伝えたかったことが、きちんとその子の心に届いたと思える 素晴らしい感動的な文章でした。 鶏を殺す当日は子ども達も複雑で 休みたい子もいたようです。 親達も最初は猛反対で、先生が1人1人説得して 最終的に全員に納得してもらったのですが、 反対していた親が、後で「感動した、他の学校でもするべきだ」という感想をよせていたのが印象的でした。 安易に行うことはできない重い問題だと思います。 子ども達にこれを行なう意味をきちんと 伝えないと、ただの残酷なショーになってしまいますから、、。
ひよこから飼って鶏にするのはよいのですが、わざわざつぶすところまでやる必要があるのでしょうか。 魚に関しては、それは育てたモノではないでしょ。おそらくどこからか釣ってきて、それを食べるという行為をしたのであり、 実際に生まれて育つところまでは見てないと思いますが。 何が何でも、育ててつぶすところまで見せるというのが、食育かと言えば疑問ですが。 それとも、食人鬼を育てるつもりなのでしょうか?
お礼
お返事ありがとうございました。 やはり幼児には残酷すぎるかもしれないですね。 近いうち、クラスでこの件に関して 議論する予定ですので こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。
- nackey_y
- ベストアンサー率28% (97/337)
#3の者ですがこの問題についてずっと考えてました。 >「命の大切さ」を伝えるために こんなことを行うっていうのは変でしょう。 「命の大切さ」を教えたいんだったら、ひよこから天寿を全う(あるいは病死)するまで育てて、亡骸を葬るまで面倒を見るのが本当でしょう。 (昨今の学校では子どもがかわいそうだからと言って、飼育動物の死骸を秘密のうちに処理したりするらしいですが、これは絶対に間違いだと思います。) >食材に宿る命を意識する良い機会 何もここまで極端なことをしなくても、他の方法で十分意識させられると思いますよ。 どういう幼稚園でのお話かは書かれていないのでよく分からないのですが、よほどしっかりした宗教や哲学的なバックグラウンドを持たない限り、精神的なトラウマとなって生涯鶏肉が食べられない子ができる可能性が大きいので、止めた方がよいと思います。 #3では肯定的な書き方をしましたが、これは外国出身の人たちと話したときに、解体したばかりの鶏肉を刺身で食べたらどんなにおいしいかという話に、うまく順応できずに悔しい思いをしたことがあったからです。 よく考えたらそんな機会は一生訪れるとも思えませんし、解体したての鶏を食べることに慣れる必要がないことに気づいたので、肯定しないことにしました。
お礼
お返事ありがとうございました 私も賛成、反対どちらにつこうか 迷っているのですが、 万が一子どもの心に大きな傷が残ったら、、、と 思うと やはりやめた方が良いのかも、、、と 思いはじめました。 実行するかどうかがはっきりしたら、この場でお知らせさせていただきます。 もし実行する場合、秋頃になると思います。
- ruby1204
- ベストアンサー率32% (15/46)
この質問を見て、20年近く前にあった出来事を思い出しました。 当時、飲食店でアルバイトをしておりましたが、鶏肉料理の仕込みで、たまたま鳥の頭の部分を厨房のまな板の上に乗せてありました。 いつも一部分を食べているとはいえ、胸がつぶれるほど驚き、ショックでしばらく鶏肉を食べられなくなりました(泣)。 調理過程を知っている大学生でさえ、そういうことが起こります・・・。かなり昔のことなのに、鮮明に記憶に残っています。 ちびっこちゃんたちにはどんな影響が起こるのか、想像に難くはないのではないですか? それに、保育園のクラスわけって、 「ひよこぐみ」とかあるじゃないですか・・・。 そのひよこが・・・残酷すぎる・・・。
お礼
お返事ありがとうございました。 実際見たことのある方の意見は とても参考になります。 やっぱりかなりショッキングなんですよね、、。 子どもはたえられないかもしれませんね。 近いうち、クラスでこの件に関して 議論する予定ですので こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。
- kettouti
- ベストアンサー率46% (274/589)
もう40年位前になりますが、我が家でも鶏を飼っていて、卵を産まなくなると、鶏の肉を食べるために祖父が殺していました。 ただ、5、6歳頃の私の前では殺すような事はしませんでした。多分、魚と違って鶏は鳴きますし、すごく残酷な状況であり、教育とはかなり違い、子供に見せるものではないと考えていたのだと思います。 ですから、殺して、羽を取って、血を抜く為に紐に縛って吊るしてある状態の鶏だったら見た記憶があります。このような状態の鶏を見るだけでも可愛そうだなと感じた記憶があります。 それで思うのですが、命の大切さという事を、生き物を殺す事によってしか教育出来ないのでしょうか? 幼児時代の教育としては、たとえば小動物を飼う、飼育する等によって教育する事は出来ないのでしょうか? 毎日、幼児が順番に餌をあたえるようにしたり、動物小屋の掃除をしたり、ふれあう機会を作ったりしてやる。生き物ですので、いづれは寿命が来て死んでしまう。生きている間に可愛がってやったり、遊んでやったり、生き物を大切にするという教育を通じて命の大切さを学ばせる、そのような感情を育んでやるという事の方が良いと思うのですが? そもそも鶏を殺す目的は、人間が生きていく為に必要なタンパク質を摂取する為ではないのでしょうか? 現代のように、豚肉・牛肉・魚等が不自由なく購入出来る状況ではなく、今よりも経済水準が低く食べ物もあまりないような時代の生活の知恵といった事ではないのでしょうか? 最初は鶏が産んだ卵によってタンパク質の摂取が出来た。卵の成分としては、必須アミノ酸がバランス良く含まれており、栄養素が高い食品ですから。しかし、卵を産まなくなった場合、自分達が生きていく上で必要なタンパク質を摂取するには、その鶏を殺して食べる必要があったという事だと思います。 生き物を殺す事は、あくまでも、自分達(人間)が生きていく上でどうしても必要な状況になった時、あるいは、そのような状況になり逃れる事が出来ないと予測される時に、やむをえず起こす行動だと考えます。
お礼
お返事ありがとうございました。 そうですね、他の方法で 命の大切さを伝えられないか みんなで考えてみようと思います。 近いうち、クラスでこの件に関して 議論する予定ですので こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
フランスで好きな女性を殺して切り刻み、冷蔵庫の入れて少しずつ食べていた日本人が捕まりました。 食する=愛する だったと本人は言っていました。 彼の生い立ちを辿ると、なまはげの風習がある土地で育ち、小さい頃大人がなまはげに扮して「悪い子はおらんか 食ってしまうぞ」というものにものすごい恐怖を感じたそうです。 それが原因で異常思考して殺して食べたのではないかという説もありました。 実際 こんな放送がテレビでありました。 お父さんが都会の生活に疲れ果て、妻と3人の子どもを連れて山奥で自給自足を始めました。 やがて妻は耐えられず、一人でその土地を出ていきました。 お父さんは子どもたちにも畑仕事をさせ、生きるということはこれほど過酷さを伴うというものを実体験に学ばせたつもりでした。 (実際はお父さんは都会生活が耐えられず、家族を道連れにしたんだと思うし、寂しいから子供達だけでは逃げられない土地に閉じ込めたと思えました。 女の子が一人いました。 彼女はひよこを我が子のように育てていました。 すぐに鶏になりましたが、その少女はとてもその鶏を愛しました。 ある日 お父さんは食べるからその鶏を殺せと少女に言いました。 少女は泣きもせず、ただ黙って我が子を見つめていました。 少女には選択肢がありません。 逃げれません。 お父さんに言いつけに背くことは死を意味します。 ナタで我が子の首をはねました。 どっと涙があふれ「こんなのもう嫌だ!」と叫びカメラの前から消えました。 このお父さんは少女に生きることは地獄であると教えたかったのだと思います。 生きるためならなんでもしろ 例え愛するものすら殺せ さもないと自分が死にしかないと バトルロイアルの世界を叩き込もうとしたのだと思います。 わたしは 「必要ない あんた一人が山奥でひっそりと暮らせ! 娘に手をかけるな 触るな 娘を毒牙にかけたら承知しないぞ」と思いました。 3人の兄弟のうちの一番上は逃げました。 残りの二人は自活する方法がなく、お父さんに従っていきることしかできませんでした。 虐待以外の何者でもないと思いました。 だから、ひよこを育てて殺されるのは虐待だと思います。 命の大切さは他でなんぼでも学べます。 バトルロアイヤル教育など強制しなくても、子供達は生きていくなかで学び取ります。
お礼
お返事ありがとうございました。 そうですね、あえて残酷な経験をさせなくても よいですよね。 近いうち、クラスでこの件に関して 議論する予定ですので こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。
お礼
お返事ありがとうございました。 その後、先生と親が話し合って 「飼っている鶏はショックが大きいから避けよう」ということになり 別に鶏を準備して、実際に実行する事となりました。 (反対の家庭は欠席していましたが、ほぼ全家庭出席でした。) 素人では無理だと言う事で、専門の方を呼び、 場所も園内は避け、キャンプ場のような 山奥で行いました。 専門の方が、とても上手に進行していただき 結果として、参加者だれもトラウマになりませんでした。 私たち親も「命」について深く考えさせられました。 その後、魚や肉を調理する時に、「命をいただいているんだ」という 気持ちが強くなったと思います。 このような試みを子どもに行うのが 良いのか悪いのか、正直私には分かりません、、。 ただ、担任の先生が伝えたかった 「食べた命の分、精一杯生きる」というメッセージは 子ども達に伝わったと思います。