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生きている魚を殺しても罪悪感を感じにくいのはなぜ?
目の前で生きているニワトリやブタを殺して調理されたら、きっと直視できないし、できあがった料理を食べることもためらわれると思います。 でも、生きている魚やカニ、貝などはそう思う人は少ないですよね。それどころか「新鮮でおいしそう!」と思う人が多いと思います。同じ命なのに、なぜ感じ方が違うのでしょうか?
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色々理屈を並べることも出来ると思いますが、 まず単純に我々が日本人だからでしょう。(質問者様もそうですよね?) 古来より魚介類を食べて生活してきたので、長い年月の間に 我々の遺伝子にそういうものが組み込まれたのではないでしょうか。 昔は動物を殺す皮革関係の仕事は卑しいとみなされていましたが、 魚をさばくことは昔からなんら悪いとは思われていません。 我々は活き作りとかも普通に見れますが、外国人から見ればものすごく 残酷なんだそうです。鯨も、昔から食べていた日本人にとっては 普通でも欧米人はすごく批判しますよね。私から見れば牛も鯨も同じだと思うんですけどね。 だから、こういうことが根底にあるのではないでしょうか。
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- wyco
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私は足が生えているかなぁ、と思います。ブタもニワトリも人間と同じように地上で歩いて生活しているので、魚よりは人間に近いと思います。なので情が湧くのでしょうか。
お礼
同じ哺乳類だと思うと確かに情がわきますね。 ありがとうございました。
- hirarno36
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表情ですね。 まぶたなどあり苦痛が表情に出るなら・・・ちょっと嫌かも。まぶたを閉じられるといかにも死体っぽいでしょ。 あと叫び声がしない。 例外:イシモチという魚はグーグーと鳴きます。
お礼
鳴く魚もいるんですね!!鳴かれたらきっと、海に返したくなちゃうと思います。 ありがとうございました。
- imohoku
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それ、私もよく考えます! やっぱり皆さんが言われているように声なんですかね? 後は何となく魚や甲殻類って何となく生き物っぽくないというか もちろん生き物なんですけど、機械チックというか… 虫にもいえることなんですけど顔面がこわばっていて表情が出ないからなのか、 ニワトリやブタとはちょっと別種の生き物のような感じがします。 魚はまだしも、カニや貝みたいなスカスカした感じの硬い生き物は本当に痛覚があるの?何か考えてるの?と思ってしまったり。 意思を持っているように見えないからなんでしょうかね。 うちで飼ってる魚は懐くから何かしら意思を持ってることはわかるんだけどなあ…不思議です。
お礼
同じように考える人がいて嬉しいです!以前友人に話したら「おもしろいこと考えるんだね~」と言われてしまいました。 トリやブタは感情というか、自分の身の危険を感じて逃げたり声を出したりするので、「かわいそう」という感覚が先にくるのかもしれませんね。 ありがとうございました。
- k-josui
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長い文化の違いではないのでしょうか? 日本人はその昔から農耕文化であり、川や海で魚を取って暮らしてきました。 大陸に生きる狩猟民は動物を殺す事に比較的抵抗がないようです。 いや、神に生贄としてささげる事もありますね。 そのような宗教的なこともあるのではないのでしょうか? これらは長い間かかって私たちの遺伝子に組み込まれたものではないのでしょうか。
お礼
なるほど・・・遺伝子ですか。逆に生きた魚を調理することを残酷だと思う人種もいるかもしれないですね。 ありがとうございました。
- dontracy
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1年くらい前に、産卵のため遡上した鮭の群れを見たことがあります。 日ごろ食べている魚とはいえ、命の営みは非常に感動的なものでした。 それ以来、活魚などを調理する前には心の中でひと言「南無阿弥陀仏!」と念じています。^^
お礼
魚にしても野菜にしても、無駄のないようにおいしくいただくことが大切ですね! ありがとうございました。
- kmue70
- ベストアンサー率6% (7/102)
単純な考えですが、地上の動物、鳥類時に応じ、 人間とも目が合い、 何かしら交信してる様な感じでしょう。 水中の魚介類潜ったまま人様との交流、避けてますね・・・
お礼
>何かしら交信してる様な感じでしょう。 しますね。確かに! ありがとうございました。
- showado
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活魚料理など、動いてるのがわかるし、原形をとどめているものは抵抗感あります。貝は、動いてないと「生き物」の感じがピンとこないので、抵抗ないですかね。 本当は、大根だって生きてることに変わりはありません。生きていることがまざまざとわかるかどうかが、感じ方に差を生むのでしょう。 私は田舎育ちの中年なので、子供の頃は、お正月前に親が買ってきたまるごとの鶏の「羽むしり」をやらされました。人間はむごいなあと、子供心に思いました。いやな感じでした。 生きるうえでは、精神的にタフになり、「食べる」ということの勉強にはなったと思います。 われわれは、生きるために動物や植物の命を奪わなければなりません。 なるべくムダに殺生しない生き方ができれば、それが望ましいですね。
お礼
野菜だって生きて、命をいただいているという気持ちを常に忘れずにいたいですね。ありがとうございました。
魚とかは声を出さないからじゃないですか。 ニワトリ,ブタは多分叫びますよね。
お礼
もし魚が鳴いたら・・・釣りをする人も今ほどいないかもしれませんね。 ありがとうございました。
- kaaaiii
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調理する機会が多いからではないでしょうか? ようは慣れですね。 まだ日本に哺乳類を家庭で屠殺する文化が根強く残っていたならば、 ブタなどを殺しても「おいしそう!」と思っているはずです。
お礼
そうですね。釣ってきた魚を調理することはあっても、トリはもう肉になっているものしか目にしないですものね。 ありがとうございました。
- EFA15EL
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まあ確かにおかしいですよね。 自由に泳ぎ回ってる所を捉えられた魚より、殺される為に育てられた牛や豚の方が可哀想だ、と言えなくもありませんし。 答えは単純で、「親近感がどれくらいあるか」に尽きるのではないでしょうか。哺乳類である牛や豚(鳥類も)は可愛がる事も出来るし、それなりに意思疎通もあります(餌やりだけでも反応は得られる)。動物学的にも人間に近い。 一方、魚は観賞魚でもない限り可愛がる機会はありません。何より声を出さないものがほとんどです。見た目も人間とはまるで違います。 その辺が反応差につながるのでしょう。 もちろんベジタリアンの人なんかを筆頭に、どちらに対しても拒否反応を示す人はいますし、魚は良くてもクジラはダメだなんて人も沢山いますので、全ての人がそうというわけではないのは言うまでもないですが。
お礼
ありがとうございました。 ブタなどは、声や見た目が魚に比べれば人間に近いから、ということのですね。 私は、生きたカニやタコをぐらぐら煮えている鍋に突っ込んだり、動いている魚に包丁を入れている映像などをみるとぞっとしてしまうんです。だからといってベジタリアンではないのですが・・・ 勝手な言い分ですが。
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お礼
文化や習慣からそのように思うのですね。とても納得させられるご回答ありがとうございました