臓器を移植手術した人の人格や食べ物の嗜好がガラっと変わってしまった とか、一卵性双生児の性格は他の兄弟に比べてずっと似ている とか 同じ人を好きになる とか 結構遺伝と嗜好は関連しているんじゃないかと言われています。
因果の枠組みから脱出する手っ取り早い方法は、催眠で、催眠をかければ嗜好を変化させることができるが、残念ながらそう長くはかかり続けないので、結局 催眠が徐々に解けてくれば、元の嗜好に戻ると思います。
ということで、因果律から人間は逃れられないと思う。
蛇足ですが、、、
嗜好は個性でもあり、その個性が変わってしまう典型的な例が多重人格。
しかし、この多重人格も結局因果がらみで、多重人格のメカニズムを知れば、前世の人格が出てきたとか、宇宙人に乗っ取られたとか、悪い霊がその人にとりついたとか そういうものじゃあなく、人間の防御本能によってなっているとわかる。
結局 因果。
因果から抜け出すには、本来の脳を壊すしかない。
例えが悪いが、脳溢血で倒れた人が、その前までは穏やかで気配りがきく優しい人だったのに、倒れた後は凶暴で人と悪口を言う嫌われ者になってしまった というのは、今まで統合していた機関が破壊されダメージを受けたので機能しなくなって、生き残っている脳細胞で世の中を見て、生き残っている細胞で、他人とコミュニケーションをとっているから。
じゃないかと。
そこで、凶悪な殺人者を殺さず、その脳の凶暴になる部分を切除してしまえばいい ってなったのが60年代頃まであったロボトミー手術らしい。(今では行われていない)
結局 そういう個性を受け入れる社会に変化するか、排除する社会にするかってことだと思います。
躁うつ病だって一つの個性で、薬によって人為的に本来の脳の活動を押さえているので、改造しているわけで。
これは本人が辛い のはそうだが、家族や周りがその状態に我慢ならんとなって、改造を望んでいる部分も大きいと思う。
人は仲良くしたいという嗜好がこの社会にあり、その枠に収まらない人は排除してきた社会がこの人間社会の嗜好で、今もその嗜好を世代間で継承していると思う。
そう考えると、自分もそうかなぁ その枠組みの中で生きているってことなんだなぁ・・・と思える。
しかし、理解したいという欲求もあるから、趣味=人間観察 になっているんじゃないかと。
この行為も因果律だとすると、、、なんなんでしょうね。
自由意志って。