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靖国神社参拝はなぜ批判されているのですか?

はじめまして。今度高校で靖国神社参拝についてディベートを行うのですが、私は賛成の立場をとらなくてはならないのです。 なぜそこまで靖国神社参拝が批判されるのかよくわからないし賛成しなければならないのに賛成にいたる根拠(理由)がありません。 ちなみに賛成派反対派は先生に指名されるため、それをかえることはできません。 そこで なぜ靖国神社参拝は批判をされるのか、 賛成派の人はどういった根拠・理由で賛成してるのか おしえてください!! 

みんなの回答

回答No.19

はっきり言うと、あなたが学校で憲法を習うと、憲法には国民の「信教の自由」というものを保障しているからです。 私は声を大きくしていいたいのは、中国・韓国がなんと言おうが、小泉首相には参拝する「権利」が日本国憲法により保障されています。 憲法には「政教分離」という規定もありますが、小泉首相が神道を政治に取り入れていますか? 個人的に日本の総理大臣で、天皇もそうですが、彼らの一人間としての権利を保障するのが民主主義だと思っていますし、法治国家として法律を遵守するのは政治家の義務です。 そもそも、国会神道を国策として宗教の自由を認めなかったから戦争が起きたと中韓は批判するのに、なぜ我が国の宗教の自由を尊重しようとはしないのか理解に苦しみます。

  • yturan
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.18

こんにちは。 私はどちらかといえば反対派なのですが・・・・。 賛成派の意見をあえていうならば哲学的に、遺族への配慮ではないでしょうか。総理が戦死者を弔われるという姿勢を見せたことがよいとし、また他国におもねる必要がないと賛成しているわけですね。 遺族の中には総理の公式参拝を批判されることが自分のみを引き裂かれるような思いだと話される方もいらっしゃります。 けれど、遺族の方の意見も複雑で、総理の意見に賛成の方もいらっしゃれば、A級戦犯と合祀されていることが苦痛だというかたもいらっしゃる。 実は靖国に合祀されているのは日本人だけではなく、当時日本の植民地だった朝鮮のかたで戦死された方も祭られています。 ニュースなどで分かると思いますが、こういった人たちにとって見れば戦犯と合祀されているのは、我慢がならないと思われます。 靖国が批判されるのはこのA級戦犯の合祀問題、そして政教分離でしょう。 政教分離とは憲法20条で定められているもので、国およびその機関がいかなる宗教的活動をすることを禁止したものです。 小泉総理は公式に参拝したことで違憲訴訟をおこされ、合憲と判断されたものはありません。 上記のことを賛成の人はつっこまれるでしょうから、それは小泉総理のコメントを利用するのが一番でしょう。 後、少し話し外れますが、A級戦犯A級戦犯と騒がれていますが、あれは本当はA種B種C種という種別にわけたものであることを知らない方は多いと思います。 これは意見が分かれるとは思いますが、A級戦犯がほんとうに一番悪かったのかそれは全てが事実とは思わないほうがいいと思います。もちろん彼らは責任者として断罪されましたが、当時は上からの指令が届いていなかったといことも多かったと聞いています。 ディベートをなさるそうで。 私も高校時はやりました。 皆さんがおっしゃったように、自分で調べることが大切だと思いますが、いろんな人の意見を利くことも必要だと思いますよ。自分の意見そのままにとるのではなくあくまで参考にしてくださいね。

  • hoihence
  • ベストアンサー率20% (438/2093)
回答No.17

こんにちは。 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1500054 ↑ ここでの私の意見に尽きますね。

  • bigskull
  • ベストアンサー率23% (112/479)
回答No.16

人に聞くのも良いけど、自分で調べるなり、考えるなりした方が考えが良くまとまるのではないですか? 人に聞いた意見をそのまま言っても、結局相手に突っ込まれたら反論が出来なくなるのではないでしょうか? 靖国の件で一番問題視されているのは、通例の戦争犯罪人とは区別されているA級戦犯が合祀されていることです。戦争犯罪の責任の所在をどこに決めるのかということが、日中外交の原理的、根本的な問題なので、中国があんなに神経質になるのです。 しかし靖国には別にA級戦犯の遺骨が収容されているわけでもなく、信教の自由の範囲で行なわれる単なる宗教行為です。法によって強制的に分祀させることは憲法を変えてしまわない限り出来ないし、靖国にも自発的にそうするつもりはさらさら無いという事です。 首相も首相で「過去の歴史の反省に立って参拝している」「個人の思想信条の自由である」という言い分の下(内政の干渉だとか言ってるくせに・・・内政の干渉という言い分と個人の思想信条の自由だという言い分が両立するのはおかしいのでは・・・)、参拝を行なっているわけです。

回答No.15

No.14について。 「岩手靖国違憲訴訟」の原告は住民、被告は岩手県議会と岩手県知事ら。 そこで、『民事訴訟法』 第114条「確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。」。 第115条「確定判決は、次に掲げる者に対してその効力を有する(1)当事者」 この訴訟では、参拝をした首相は訴訟の当事者ではありませんので判決の効力は及びません。 その上、判決は原告敗訴ですので、「違憲もしくはその疑いが濃い」の判示は「主文に包含するもの」でもありません。 よって「違憲もしくはその疑いが濃い」の判示は法的に何の意味も持ちません。 >被告側の抗告が棄却され判決が確定している 確かに判決は確定しています。但し「原告敗訴」で。 それに事実関係が間違っています。 確かに被告は上告しました。しかし仙台高裁は、「判決主文で全面勝訴している以上、上告する理由は全く見当たらず、上告は明らかに不適法」として却下。 これに対して被告らは高裁の決定を不服として特別抗告しましたが、「抗告の理由がない」として抗告の却下を決定。 「却下」と「棄却」は全く違います。

回答No.14

 ANo.11について。  誤解があるようなので訂正しておきますが、靖国訴訟の場合、原告勝訴の事例はひとつもありません。これは、現在の裁判制度では「この問題は憲法に反しているかもしれない」という疑いだけでは訴訟することができず、原告に直接的な不利益が生じなければ裁判所が取上げないために、靖国参拝に反対する人々が「首相が参拝したために心理的苦痛を受けたので賠償せよ」という一種の「いいがかり」で裁判を起こしているためです。  むろん「首相が参拝したために心理的苦痛を受けたので賠償せよ」というのはあまりにも無理があるために、この件について原告が勝訴したことはありません。ただし、その判決のなかで、裁判官が「現在の法制度では抽象的な(被告に利害関係のない)憲法問題を裁判で問うことができない。ゆえに原告はこのような裁判を行った。そこで、そのような原告の信頼にこたえるかたちで、裁判所として、首相の参拝に対して違憲かどうかの判断をこの判決において付帯して述べる」という場合があるのです。判決の内容としては「原告の敗訴。しかしこのままの状態で今後も首相が参拝をするならば違憲もしくはその疑いが濃い」というものが確定している、というのがもっとも正確です。  原告の勝訴、敗訴と違憲かどうかの問題は、この場合はあまり関係ありません(これは法学上の常識です)。また、首相の公式参拝を合憲とする付帯意見を述べた(確定した)判決は過去に一例もありません。  下記は、仙台高裁の判決文です。一例までに。       天皇、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為      の様態からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべき      であり、しかも、公的資格においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影      響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、公式参拝における国と      宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原      則に照らし、相当とされる限度を超えるものと断定せざるをえない。       (1991年1月10日。仙台高裁判決。被告側の抗告が棄却され判決が確定している)

  • ysk26
  • ベストアンサー率36% (135/367)
回答No.13

国語の授業ですか? だとしたら、ここではなく国語カテゴリーでの質問のほうがいいと思いますよ。(そもそもこの質問自体が規約に抵触するかもしれませんが) No.12さんのアドバイスがもっとも妥当だと思いますが、ディベートの目的は、生徒に政治論議をさせることではなく、「討議」させることです。ある意味ゲームの一種なんです。そのネタがたまたま靖国参拝というだけで。(それにしても、私も国語教育に若干携わる者としては、このテーマ設定は適切とは思えませんね) ここで質問されても、ご覧のように、回答者が熱くなって自説を展開し、ここでディベート…ではなく議論を始めてしまっていますから、あまり参考にはならないでしょうね。

  • nikuq_goo
  • ベストアンサー率46% (335/715)
回答No.12

公明党かなんかの広告が家に届きました。 靖国神社の中にはアジア侵略戦争を肯定化した博物館があるのだとか・・・。 真偽は判りませんがそれが本当なら私は反対派になります。 肯定するなら・・・ んまぁ日本の風習です。ディベート材料は自分で探すからこそのものなのでここの規約に準じ細かいことは書きません。日本では神社に神を祭り、お祭りをしますね?何故?とお思いの事を調べて自分の意見とするのが良いかと思われます。 真偽を調べて、先生の意図に従って、戦争肯定派を名乗るのも良しです。御質問者の生の意見を求めてるのではなく事前調査力・討議力を見るための課題ですから。 事前に調べた内容が正しいと思っても間違っていると思ってもそれを全て曝け出し演じきるのが良いかと思います。

回答No.11

No.8です。 No.10さんが「以前中曽根康弘首相が参拝した際には、首相の靖国神社公的参拝は違憲もしくは違憲の疑いが濃いという裁判所判決がいくつか確定しており」と書いていますが、これは誤りです。 正確には「判決は原告敗訴で確定」です。 この種の誤魔化しが結構多いので惑わされてはいけません。 判決文の「傍論」部において「違憲もしくは違憲の疑いが濃い」と裁判官が意見表明したにすぎず法的には何の意味もありません。 なお、「私的、公的」の区別ですが、参拝者本人が「私的」と言えば「私的」、「公的」と言えば「公的」になるわけではありません。 この点について福岡地裁判決の判決文においては、 (1)参拝に公用車を使用 (2)秘書官を随行 (3)「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳 (4)「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付けた献花をした (5)参拝後、官房長官が首相談話を発表 (6)「内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝した」旨述べた をもって内閣総理大臣の職務の執行としました。 つまり(1)~(6)の内どれかが欠ければ、「内閣総理大臣の職務の執行」とはならなかったということです。 (追伸)この裁判でも判決は原告敗訴でした。

回答No.10

 だれも言ってないようなので書き加えますが、最大の問題は、「首相の公式参拝は政教分離を定めた憲法に違反する」という点です。  首相個人にも、内心の自由(太平洋戦争は聖戦だったと思う自由)、信仰の自由(靖国神社に参拝する自由)が憲法上保障されています。しかし、現行憲法では、 第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】 1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 という規定があり、首相が公人として(内閣総理大臣の資格で。小泉潤一郎個人の資格で、ではなく)参拝することは「3」に反する行為であると考えられています。(理由としては、首相が参拝することで、靖国神社の宗教である神道を国民にPRする結果になって、国家が国民にこの宗教を信じなさいとおしつけることになるおそれがあるからです。)  実際に、以前中曽根康弘首相が参拝した際には、首相の靖国神社公的参拝は違憲もしくは違憲の疑いが濃いという裁判所判決がいくつか確定しており、中曽根首相がそれ以降の公式参拝を取りやめたのは、この点を考慮してのことです。  そこで、ポイントになるのは、公的参拝か私的参拝かという点になるわけです。公的参拝ならばあきらかに憲法二十条の第3項に違反している(違反している、違反している疑いが濃いと裁判所は判断している)。総理大臣は憲法の規定を守る義務がありますから、これは明白なルール違反です。靖国神社にだれが祭ってあるかはまったく関係ない。もちろん外国の意見がどうであるということも関係ありません。法律(憲法)でしてはいけないときめられていることをしている、つまり駐車違反や殺人と同様です。  しかし私的参拝なら、たとえばクリスチャンの首相が日曜日に教会にいって個人として祈り、心の平安を得るのと同じ行為とみなされ、同じく憲法二十条の第1項に「何人に対しても」保障されると規定された「信教の自由」を全うする権利を行使しているにすぎないということになります。  ところが小泉首相は「私的、公的ということにはこだわらない」といちばん大事なところをごまかしている。あやふやにしている。はっきり「私的参拝です」といわない。それゆえに違憲行為を行っている疑いがあり、これが問題になるわけです。

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