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自分と戦うってどういうこと?

なんでも人と比べて幸せを感じるタイプです。そして人からどう思われるかが最大の関心事です。だから向上心と闘争心は人一倍。いままで金銭的な不自由をしたこともなく、勉強も苦ではなかったので大学はいわゆる一流大を出、人から○○大学を出たのにあんな会社しか入れなかったといわれるのが嫌で、就職もがんばりました。友達からは「努力家」「頑張り屋さん」「自分に厳しい」「根性ある」とか言われます。 しかし、ここへきて恋愛でうまくいかない時期が続き、「どうしてわたしは(人と比べて)不幸なんだろう」と考えてしまいます。友達に彼氏ができたりすると、心から喜べない自分がいて、破談をひそかに願ってしまう自分が本当にいやです。 人生関係の本を読むとよく「人と比べるな」と書いてあります。妬んだりすることはよくないと。とるに足るの境地が大切っていうのはなんとなくよくわかります。でも、学校や会社など競争原理が働くところではかならず誰かが勝ち誰かが負けるわけで、自分から向上心を奪ったらどうなるんだろう?と思います。わたしは「世界でひとつだけの花」とかにイマイチ共感できません。向上心がなくなったら、すべてがそのままでいいやってことになっちゃいませんか。  そこで戦うにしても、「他人と戦う」のではなくて、これからは「自分と戦おう」と思いついたのですが、自分と戦うってことがいまいちよくわかりません。 どなたか良いアドバイスお願いします。

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回答No.4

こんにちは。 まだお若く自分の価値基準がはっきりしていないのだと思います。 そう言うときは他人と比べる事でしか自分を確かめられません。自分に見つめるべき内面がなかったのですから。 もちろん達成感も他人からのほめ言葉が重要ですよね。 しかしその内、比べても空しいなあと思うことが増えます。本当になにか勉強したい事があれば 大学のランクや偏差値なにせず誰も知らなくても好きな師匠や先達のもとに入門するでしょうし。 自分を知れば昨日より今日の自分が向上しているかわかるはず。それを厳しく繰り返すことが戦いです。 他人にはその人の価値観があり今のように振り回されていると自分がなくなります。 今、貴方はかなり自分が見えない状態ではないでしょうか? 周囲しか見てこなかったなら当然です。で戸惑う段階に来ている。 これからは自分の内面を鍛えるべく自分に問いかけつつ学ぶ (点数や成績を競うのではなく)ということを試してはいかがでしょうか? 学ぶとは学校の様に与えられた勉強でなく自分と人の心についてです。 恋愛は自分の内面と、しかも弱い部分と対峙しないといけないので、勝負や競争とは相容れません。 自分と戦い相手を思いやる。参考になるでしょうか?

yurikochan
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました。 そうですね、自分の価値基準がはっきりしないのだと思います。もしくは数値でしか測れないというか。人気度、ランキング、偏差値などわかりやすいモノサシしかもっていないというか。だれがなんといおうと私がこれがいいと思う!って言えるものが何もありません。唯一いまの恋愛(もう終わりましたが・・)がそれだったような気がします。まわりから反対されていた人でしたが自分はとてもすきだったので、ズルズルきてしまいましたが結局ダメになり、やはりまわりのひとは正しかった・・・となり、ますます自分の価値基準に自信がもてなくなりました。そうです、自分がかなり見えてません。よく日本人の悪いクセといわれますが「相手をみて、自分の出方を決める」みたいな。相手のポジションを知らないと自分をどうだしていいかわからない。相手を値踏みしてしまう本当にいやです。話がとびますけど、旅にいけば自分は何者でもなくなる、まっさらな自分(肩書きとかなくなる)でいられるのがとてもすきです。 自分の内面を鍛えるっていうのが具体的にどんなことをすればいいのかわかりません。いかに自分がマニュアル化された生活をしてきたかが思い知らされます。 偏差値がいくら高くてもほんとうにこれじゃあ・・って感じです。

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  • o24hi
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回答No.3

 こんばんは。  ご質問文を読んでいまして、意志の強さを感じ、わが身を振り返り、自分の怠慢な生活や仕事振りを考えるとお答えを書くのもおこがましいんですが……  私自身も「他人」は気にする方でした。「でした」と言うのは、最近はそういうことから「卒業した」と言う事です。  私の場合は「他人と戦う」のではなく「他人の目が気になる」ので頑張るというものでした。結果は同じでも動機が不純ですねー(苦笑)。  で、本題なんですが、「自分と戦う」ということは、私なりの解釈では、一段上の目標を設けてそれに向かって努力する、それが達成できたら一段上げる、と言う事を繰り返して、自分の能力を上げる事だと思います。それがしいては、向上心になり、自分を磨く事になると思います。  ただ、やはり周りの事も見る必要はあると思います。「自分との戦い」に専心すると、周りが見えなくなり、ストイックな人に見えて、恋愛的なことから遠ざかる恐れもありますから。  結局は、仕事が出来て、周りに気遣いができる人が一番いいわけですが、それが中々難しいわけで……戦いをたまにはやめて、休憩もしてください。  それでは良い縁がありますようお祈りしますm(__)m

yurikochan
質問者

お礼

お祈り頂きましてありがとうございました。なんだかとっても嬉しかったです。 たまには戦いをやめて休憩するっていう一文に癒されました。社会人になるといままで自己満足だった頑張りが当然の奉仕のように受け取られてちょっと疲れていたんだと思います。

回答No.2

フランスの諺に Compraison ne'pas raison 比較は理由にならないということです。 自分と他人比較してもしょうがないということです。 ただ、自分にだけ閉じこもってししまいますと、 どうしても、自分の好きな方だけにいってしまいます。 教養、知識、栄養、生活、全てです。 自分が考えてここは直したいというのが「自分と戦う」ということです。 どこも直したくなかったら、自分と戦わなくて結構ですよ。

yurikochan
質問者

お礼

ご返答ありがとうございました!! ここは直したいかぁ・・・確かに一杯あります。 でも、その直したいと思う基準さえ 誰かと比較して決めちゃいそうで・・。 わたしおかしいんですかね?

  • yu-taro
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回答No.1

  こんばんは。  質問文を拝見してかなりの努力家だと思いました、勉強や仕事に対しても努力して成果をだして評価それる。それは立派なことで、努力した結果が出たのですばらしいことです。    人生は、努力しても結果が思うように出ないこともあります。  特に恋愛などは、努力の方法にもよりますが、自分を高めてより良く相手に見せるという努力が時として裏目に出ます。  それは、自分は努力しているのに何で相手は分かってくれないのだろうという葛藤が起きるときがあるからです。  それは、自分の努力は間違いではないのですが、相手があることをつい忘れて自分が頑張ったからという気持ちを相手に求めてしまうからです。  恋愛は、相手を思いやることから始まります。自分が相手を好きになっても、相手がそれにこたえてくれるかは分かりません。  相手からしてみれば、その人は自分にどんなことをしてくれるのか、どれくらい思っているのかが分からないからです。  自分のための恋愛ではなく、相手を喜ばせ、楽しませることができてこその恋愛です。  相手の喜ぶ顔を見て自分が納得するということが相手を思いやるとこだと思います。  努力しても思うようにならないのが恋愛ですが、この辺りはいかがでしょうか。

yurikochan
質問者

お礼

すぐお返事下さったのに、お礼を申し上げるのが遅くなって大変失礼しました。ごめんなさい。 そうなんですよ。なんでこんなに私が頑張っているのに相手はわかってくれないんだろうって思うんですよ。なんで?どうして?って問い詰めたくなるんです。頑張ってもどうにもならないことがあるってことを身をもって知りました。ひとつ大人になった感じがします。 ただ、まだまだ無償の?愛っていうのが実践できそうにありません。どうしても「こうしてほしい」っていうのがでてきそうで。相手に何かしてあげるっていうのはよくわかるのですが、そればっかりだとむなしくなりそうで涙。精神的に未熟なのかな。