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理科離れと便利過ぎる生活との関係
現在生活が便利過ぎて、しかも中の構造がわからないような機器が沢山あることと子供や若い人が理科に関心を持たなくなっているというようなことはないでしょうか。
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くどくて すみません。 そうなんですよね。 「考えること」って コミュニケーションそのものとも考えられると思います。 ・自分 対 他人 ・自分 対 自分 (考えるためには 主体が存在することを前提として書いております。) 文科・理科に関係なく 「考える」機会や習慣が少なくなっていると感じます。 政治についても 民主主義であれば、国民ひとりひとりが政治的に日々考えるのが 前提ですから。 では、大統領選で盛り上がる諸外国は ひとりひとりが考えているか?は わかりません。 「便利になった=理科に関心がなくなる」についての命題が 正ならば、 「(例えば)1000年前の方が 皆 理科に関心があった」 となりかねませんし。 「構造がわからない=理科に関心がなくなる」 これは、「構造をわかろうと関心がわかない」でしょう。(だって 誰かが考えて 作ったんですから。それも 大量生産されているもので特別なものではありません。時間さえ掛ければ、また アドバイスなど周りからのサポートもあれば わかると思います。まぁ 時間が掛かりすぎて 死んでしまうかもしれませんが・・。) (「わからないからあきらめてしまう」こと自体が 関心を持っていないのだと考えます。) 文科・理科に限らず 常に考えること そして 考えることが楽しい、考えたことを人と話すのが楽しい が肯定される文化が必要と考えます。 (文科・理科をわけるのも 変な話で。主体性のデカルトさんは 両方ですもんね~。)
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- overtone
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そうですか?? 日本人(ってなんだ?)でも 主体性を持っている人もいない人もいるし、どこの国でも そうでしょう。 「アメリカ人」って わからないので 教えてください。 インディアン? 200年前に やってきたヨーロッパ人の子孫? 例えば アメリカ国籍のどう見ても アジア系の人は アメリカ人?もしそうなら、日本国籍なら 日本人? ??????????????
お礼
主体性が無ければ疑問を持てないという意味であのように書きました。アメリカ人でもドイツ人でもかまいません。ただ短い文章では誤解が誤解を生むということになってしまうと恐れています。
- overtone
- ベストアンサー率22% (191/833)
No.7 です。 補足説明ありがとうございます。 理科離れは 「イメージ」って とこってことですね! ん~ 私は 40代のオヤジですが、小学校のころに親に「テレビってどうなってんの?」と聞いて 答えられなかったのを覚えています。電話も答えられなかったです。 中学のときは 「宗教って何?」「異常とは何か?」など 質問して 答えられて無かったですね。 私の両親は馬鹿だったのかもしれませんが、他では どうだったでしょうか? その後 私は あしげに 博物館などに通い まさに 理系となりましたが・・・。 (こどもにも バリバリに解説してます。) ところで、世の中 どのくらいの人が 「論理的に」考えているのかなぁって 思うときがあります。 (以前 MBAの講義を受けてて 強くそう感じたのを覚えています。) 壺を買っちゃう人とか まだまだ 居るし・・・。 根拠も確信も無く うなずく人多いし・・・。 でも 何 書いているかわかんなくなっちゃった。 ごめんなさい。 ああ あと 「科学教」的な 発想も限界がありますよね。 納得感が高い が 目標かも・・・。 (理系も文系も)
お礼
恐らく根本的には認識の主体であるはずの個人が主体性を捨ててしまったつもりになっているということなのかもしれないと思います。主体性はアメリカ人だけが持っている?
- abo55
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>便利さが生むはずの余裕が、かえって考えることを抑制してしまうというようなこともあるでしょうか。 向き合い方の問題もあるように思いますが、基本的に便利と感じるのは元々の苦労を知ってこそですから便利な環境が初めてならそれが基準となって当たり前になってしまうでしょうからそう考えられるかも知れないですね。 それに昔の道具は人の求める結果を生む補助としての機能が主でしたが、現在は結果そのものを提供する装置になっていて人もそれに合わせて結果を消化していけばいいように見えます。(流れ作業のようですね) 便利な環境が絶対でないということが体感できれば余裕の活用の仕方が理解できるのではないでしょうか。 >無駄の排除というのが両刃の剣なのでしょうか。 無駄と判断するものにもよりますよね。 例えば結果を得るために絶対的に必要な作業を無駄としてしまうと問題が生まれるでしょうね。 解り易いところで料理でしょうね。 料理という結果を得る上で、調理という動作が絶対的に必要なものであるにも関わらずそれを無駄としてしまえば即席料理になります。 結果、調理の苦労や楽しさを知ることなく調理の結果として生まれる料理を食べるという動作を消化するだけで十分になってしまいます。 ですが資本活動においては無駄を排除することは資本の獲得に繋がるので無駄では無いわけです。 目的のおき方一つで問題にも利益にも成り得ますから諸刃でしょうね。 ちなみにこのことを風刺している映画があるんですよ。チャップリンの「モダンタイムズ」。オススメです。
お礼
いろいろなご指摘を読ませていただき大変勉強になりました。ありがとうございました。
- abo55
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>現在に特有の何かと関係しているのではないかということでしょうか。 物や情報が氾濫しているため、考えて行動しなくても答えや結果を手にすることが出来るからそれに慣れてしまった。 つまり“特有の何か”は“便利過ぎる生活”は置き換えるなら“物や情報が氾濫している環境”と捉える事もでき、よって“意識は環境が育むもの”とするなら相互関係が成り立つ。…ように思う、という私見の話ですが。
お礼
便利さが生むはずの余裕が、かえって考えることを抑制してしまうというようなこともあるでしょうか。また無駄の排除というのが両刃の剣なのでしょうか。
- abo55
- ベストアンサー率56% (228/407)
>日常生活において必要がないことはすなわち不要であるということになるのでしょうか。 私は結果としてそうなっているだけで絶対ではないと思います。あくまで感覚の麻痺からきているだけと思いますので。 例えば5歳くらいの子供は「なんで?」という質問が多いですよね。ですから人の基本に実体を探求しようとする働きがそなわっているように思います。 それが一つの環境により麻痺を起しているのなら、旅行など環境に変化をつけて自分で考えて行動するほか無い状況を提供すれば、案外修正が効いたりします。 私は意識は環境が育むものだと思いますので。
お礼
ご意見をどうもありがとうございます。感覚が麻痺するというのは現在に特有の何かと関係しているのではないかということでしょうか。
- abo55
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>整合性のある一つの完結的な論理回路が形成されていない 質問者さんの方がまとめ方が非常に上手なのでそう判断できた材料を。 まず、電子レンジ一つとっても、 「電子レンジ→マイクロ波による分子の振動→温まる」 が本来の仕組みですが 「電子レンジ→温める」 で十分。 理由は“温める動作が完了されればいい”というように目的とする動作が完了されれば良く、同様の物が沢山あるわけですから仕組みといった「実体」は必要以上の情報として処理されやすい環境になってしまっているように見えたからです。 そんな環境の中で情報が「氾濫」しているわけですからひとたび 「学校の英語は意味が無い」や「理系の方が就職しやすい」といった情報を与えられるとそれで完結されてしまい、ゆえに“何故そう思うのか”と実体というか確信をつくと答えられない傾向になってしまう。 また、イスに座っていても様々な情報を入手できるので自ら動作を起すことが無い、というのもあるかもしれません。(この場合は別の問題が多いようですが) ですから“便利性と実体認識の反比例”というのはあるのではないのかな?とほかの考え方もあると思いますが、私はそう思いました<(_ _)>
お礼
ご丁寧な補足を教えていただきまして有難うございました。やはり普通の人にとっては円滑な日常生活において必要がないことはすなわち不要であるということになるのでしょうか。
- abo55
- ベストアンサー率56% (228/407)
私見ですが、私は理科に関心を持たないから中の構造がわからないのではないかと思います。 何故関心をもてないかは情報があふれすぎているからだと思います。 高校生の弟と話していても彼らは頭の中の想像だけが先に走ってしまい抽象的な世界観だけで自己完結しているように見えます。彼らは無条件に様々な情報を与えれ、大人ですらどの情報を選べば良いのか混乱する中にあって必要以上の情報は排斥しているように話していて感じます。 自己完結だけの知識なので間の知識がなく結果だけを覚えるだけで原理を知る必要を感じないのかと。 往々にして確信をつく質問に答えることが出来ないのもそんなところではないかなぁ。 理科だけに限った事ではなく物事全体に対してそんな風に思えます。 解り易い風刺がアジの開きが泳いでたり、骨なしの魚が泳いでると思ってたり、米を洗剤で洗ったり。。。
お礼
個人にとって情報が多すぎて整合性のある一つの完結的な論理回路が形成されていないということでしょうか。的確なご指摘をされていると思いました。
- overtone
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補足要求させてください。 「理科離れ」の客観的根拠は?なんでしょうか?? ================ 大学生の話を聞いていると「理系のほうが就職ができやすい」(根拠は不明)そうなんですが・・・。 (だったら 理系学部に行く人も多そうですが・・。)
補足
私の考えている理科離れというのは自分の頭で考えて自分なりに納得できる手段でそれの妥当性を確認するということを普通の人がしなくなっているのではないかということです。月並みな表現ですがいわゆるブラックボックスに対する普遍的妄信とでもいったらよいのかと思います。就職に有利だからという動機で理科系の学校にいこうとするのは、皮肉にも最大の理科離れという現象になると思います。
- apple-man
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>必ずしも物を作るだけではなく結果だけが問題とされるようなかにでしょうか。 結果が評価されるならまだいいんです。 ノーベル賞受賞した田中耕一さんなんて、 受賞したその研究成果で、会社からもらった 特許出願の報奨金が1万円です。 勿論作る喜びというか、お金が 全てではないと思いますが、 ノーベル賞受賞するような内容ですから いろいろな分野で役立ったわけで、 企業は莫大な儲けを手にしているはずです。 ノーベル賞もらうような人がそんな 扱いですから、他はもっと酷いです。 業績が少し落ちると、研究費をカットして 国立大学の大学院でてるような研究職の 人を営業に出したりするわけです。 カタログ渡して、これ売ってこい! って言うわけです。 普段の給料が格段にいいわけではなく、 田中さんの例のように、企業業績に貢献 するような優れた成果を出しても 1万円ですから。サービス残業も 多いことを考えると、大手企業に 勤める高卒のほうが遥かにいい 待遇なわけです。 ロケット打ち上げに失敗し続けたり、 リニアモターカーの開発で遅れを とったりと、工学系に優秀な人材が 集まっていないいい例だと思います。 「理系白書」↓という本を読めれるとだいたい実体が 分かると思います。 実体はもっと酷いと思いますが。
お礼
私は普通の人が結果だけを問題にして,自分なりの理解への道を放棄しているような感じをもっています。ノーベル賞は特別の人に関係したことで,一般の人の理科離れとは直接にはつながらないのではないでしょうか。
>仕組みや構造を知っても使い方が変わるわけではないというようなムード ああ。ありますね。全くよくない考え方ですね。 でも、子供の頃って、そういう感覚ってないと思うんですよ。 大人が教えてくれないから、なんとなく「まぁいいか」なんて↑こういうふうに考えるようになるだけで。
お礼
再度有難うございます。勉強した結果の理解より試験の点を気にするというような悪い意味での成果主義ともつながるかと思います。
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お礼
ご丁寧にご返事を有難うございます。理科離れというより学問離れというほうが良いのかもしれません。