- ベストアンサー
名前のイメージって他の言語でもあるの?
- 名前のイメージについて、他の言語でも同じような感じがあるのか気になります。
- 日本語では名前によって特定のイメージが湧くことがありますが、他の国の言葉ではどうなっているのでしょうか?
- 例えば、ボブやジョージといった名前には他の言語でもイメージがあるのでしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
宗教的な意味合いや、名前の語源、有名なお話に 出てくるといった理由から英語圏の名前にも いろいろイメージがあります。 >宗教的な意味合いや 昔のホームラン王 ハンク・アーロンですが AARONは旧約聖書に出てくる、 神の声を聞いたというモーゼの お兄さんの名前です。 アーロン、モーゼと言えば イスラム教なんかでは重要な 名前だと思いますが、意外に 普通の人にもつけられてます。 日本的なイメージで行くと アーロン、モーゼは 最澄と空海って感じだと 思います。 >名前の語源、 大学の英会話の先生が、ラルフ(Ralf)さんっていう 方だったんですが、その先生が授業中に 「自分の名前の語源は、Wolf(狼)hunter(狩る者) (ウルフハンター → ラルフ)、つまり 狼の狩人という意味だが、みんなの名前の 意味は?って聞いたことがありました。 >有名なお話に 英語圏では子供用のお話として有名な マザーグースの中に、Simple Simon (間抜けなサイモン)というお話がある んです。ですからサイモンという名前には 間抜けというイメージがあると同時に バカと天才は紙一重といったところから、 ずば抜けた才能とか、狂気に満ちた天才といった 意味もあるため、SF小説に出てくる博士の 名前がサイモンだったりします。 日本ではアニメで有名な、アルプスの少女 ハイジですが、ハイジ(Heidi)という名前は 19世紀までは男の子の名前で使われること ほうが多かったようです。(男の子の名前としても 女の子の名としても、両方に使われていたんです) アルプスの少女ハイジの小説のヒットから、 可愛らしい女の子というイメージが定着したので、 今現在では英語の辞書にも女の子の名前と 説明されています。 今手元にないのですが、英語圏の名前の 語源、イメージ辞典というのも売って いるくらですから、他にもいろいろ あると思います。
その他の回答 (4)
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
Gです。 >個人の経験でしかないというご主旨で良いのですね? 私はそう思います。 聞いたことがない名前であればイメージは漢字から来るものしかないでしょうね、日本語の場合は。 しかし、アルファベットで出来た名前はそうは行かないでしょう。 Ijuinという名前がどのくらい伊集院のイメージに結びつくか私には分かりません。 前にも書いたように、Michikoではイメージとして沸いてこないのではないでしょうか。 ニュースの的になったPrince Dianaから来るDianaという名前のイメージがあると思うのはこの経験と言うものの影響があると言うことですね。 >たとえば、日本の場合だとすごく時代を表す名前がありますよね。征一郎とか軍国の時代臭いですよね。今こんな名前の子は滅多にいないでしょう。梅さん、富さん、これはおばあさんくさいです。こういう古い時代を感じさせるイメージもないのでしょうか? 確かに私にもそれは感じることは出来ます。 しかし、これも知っているからではないでしょうか。 >日本の場合は、私個人の経験だけとは言えなくて流行とか時代性があると思うんですけど、英語圏ではあんまり時代性は関係ないですか? 英語の場合、時代による名前の変化を感じさせないからでしょうね。 つまり、日本の場合は家柄、身分相応と言う観念があったからだと思います。 田吾作と聞くとお百姓さんと言うイメージがありますよね。 日本語の場合名前から来るイメージを大事にしたからではないでしょうか。 ですから名前をつけるときに使う漢字の意味合いを考えたり字画なども気にしますね。 名前に親の思いを込めるという観念の日本の場合大きいと思います。 私の知っている限り、35年前にはとてもつけないような(私には)古臭いと感じる名前も今では結構使われているようですね。 >それと身分制もちょっと入ってくると思うのですけど、武士ぽい名前とか公家っぽい名前とか、お坊さんぽい名前というのが、日本の場合はありますよね? そうですね。 大きく影響を受けていたと思います。 >同じようにクラスメイトに、上杉謙信とか家康いう名前の子がいたとして、あまりに弱いとイメージと違うということになってしまうというように、歴史上の人物でイメージがあるというのもあると思うんです。 明智光秀のイメージから明智の苗字の人がいろいろ苦労したと言う時代もありましたね。 >こういうのもあんまりないんでしょうか? 有名なところでは、田中角栄という同姓同名人が、いじめにあうので、裁判で改名を勝ち取ったというのがあるのですけど、こういうのって日本語ならではの発想なんでしょうか? 向こうの人は、同じ名前だからということ変なイメージがついて回り、いじめになるなんて言うのがそもそも分からないのでしょうか? いじめと言うかからかいの的になりがちとはいえると思います。 前大統領のクリントンが女性問題を起こしたときにクリントンと言う名の友達は結構「卑猥のジョークの的」になりましたよ。 ただそのからかいが子供にとってはいじめととるかとらないかはその子しだいかからかいの程度によると思います。 確かにMaryというとちょっと古く感じる人はいると思います。 私のように若く可愛いMaryを知っていると知る前にはそう(古臭く)感じても今は全くそう感じなくなるようなことも「個人の経験」の影響の大きさが伺えると思います。 豊田という名前とToyotaないしトヨタではかなり違う感じがしますね。 直美とNaomiではかなり違うイメージがします。 もちろん英語の名前のNaomiの発音が違うと言うことでもありますが。 私には直美と「読む」と中学の頃の友達の顔が浮かびます。 また、私の知っているNaomiは非常に宗教的な人なのでこの名前がキリスト教から来ているといわれても違和感がないわけですね。 名前にそれほどこだわらないと言う文化の違いが名前の持つイメージがより個人的経験が影響すると言うことになるのではないでしょうか。
お礼
再回答ありがとうございます。 お考えは分かりました。 ただ・・。 >確かに私にもそれは感じることは出来ます。 しかし、これも知っているからではないでしょうか それはそうなんですけど、つまるところ、共通の知識といるものがあるか?ということだと思うんです。伊集院や美智子はこの際、日本と米国をまぜも仕方ありません。美智子と言ったときに、日本の皇后であることを了解することの出来る人たちに共通したイメージが出来るかどうかが問題になっているのですから、michikoにしても意味がありませんね。しかし,Dianaにはニュースによってイメージができたということでした。これが経験であるにせよ、世代を超えれば、一つのイメージとして定着するということもありえるわけですね。ただ、歴史上特筆される人物になれなければ、ダイアナさんは定着しないような気がします。 そういう一過性のニュースはともかくとして、過去のアメリカ大統領のワシントンやリンカーンとフルネームが同じでも、アメリカ人は何も感じないのか?ということをお聞きしたわけです。これも個人の経験とおっしゃるのでしょうね。それは否定しませんが、世代を超えた共通イメージがあるという傾向があるのでしたら、そのこと自体は否定できないのではないでしょうか? 個人の経験かどうかということと抵触しないはずだと思います。 教育の差の激しい国ですのでワシントンを知らないアメリカ人もいるかもしれませんが、少数でしょう。しかし、これは世代間による共通の認識と捉えるか、それも結局個人の好みにしか過ぎないというのは、とらえ方の相違に過ぎないと思いました。個人的な価値と言うことに集約したいというお考えだと思います。あまり納得はしていないのですが、そう見ることも出来ると思いますし、そうかもしれません。 身分制、職業を連想させるなどは、アメリカとイギリスなど、ヨーロッパ圏はまた少し違うかもしれません。アメリにはないだろうというのは、よく分かることです。また漢字文化圏とは名前に対する思いはかなり違うだろうと言うことは分かります。 再度ありがとうございました。
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
アメリカに36年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 単語からイメージとはその人の経験に直接関係あることを忘れてはいけないと思います。 日本語で犬と言う言葉を聴いたときどんなことをイメージするでしょうか。 まさか猫をイメージしないでしょうが、人によってはプードルかもしれないし秋田犬かもしれませんね。 犬であることは確かですね。 犬のことを言っているときに、うるさくてしょうがない、と言っている人は知らない人が来るとキャンキャンうるさいスピッツとかプードルなんかを「犬の性格のひとつ」と経験から思っている人ですね。 しかし、犬と言うものを考えると秋田犬を思い出す人は???となりますね。 その経験とは実際の経験でもありますしテレビ・雑誌に載っていた写真やCDのカバーからのイメージかもしれませんしただ聞いたことかもしれませんね。 本題の名前ですが、伊集院と言う名前をしらなかった私は伊集院と聞くとまず太った人と言うイメージがあります。 (なぜだか分かりますね) 同じ気品高いと言われそうな綾小路はどうでしょうか。 私には「中高年」専門の漫談家の顔を思い出してしまいます。 英語の名前も同じです。 友達・知り合い・俳優・歌手・スポーツの名前とイメージが自分の経験として作り上げられていくわけです。 なぜ、伊集院と言う名前が気品高いと感じるのでしょうか。 それはつまり、そう経験しているからですね。 Jennifer O'Nealの時代を住んだ人にとってはJenniferのイメージは彼女のイメージになるでしょう。 また、前皇太子妃のMichikoと言う名前にはそれなりのイメージを持った中高年が多いと思います。 しかしその時代を経験していない人にはそのイメージがわかなく同級生の美智子さんのイメージがわくでしょう。 また、美智子さんと路子さんと言う二人の友達がいればまた違って来ますね。 また、ムサシと聞いたら格闘技のムサシを思い浮かべる若い人が多いでしょうし、宮本武蔵なんで知らない人も多いでしょう。 なぜ、戦艦にムサシと言う名前が使われたか理解が出来ない若い人も当然いるわけですね。 ですから、英語でもAnne, Ann, Annie, Annaなどその人個人の経験からイメージが違ってくるわけです。 赤毛のアンを思う浮かべる人もいるでしょうしアンナフランクの日記のアンナを思い浮かべる人もいるでしょう。 親戚のアンナおばさんを性格や個性や外観を思い浮かべる人もいるでしょう。 宗教的なJohn, Mark, Peter等にしろ経験を作り出す育ちによっても宗教的なイメージが全く沸かない人も多いわけですね。 と言うことで、人それぞれにイメージが名前から直接来る事は非常に少ないと思います。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
ありがとうございます。 個人の経験でしかないというご主旨で良いのですね? それにしてもよく日本の芸能界をご存じですね。 英語圏はよく分からないのですが、お言葉に甘えてちょっとお聞きして良いでしょうか? たとえば、日本の場合だとすごく時代を表す名前がありますよね。征一郎とか軍国の時代臭いですよね。今こんな名前の子は滅多にいないでしょう。梅さん、富さん、これはおばあさんくさいです。こういう古い時代を感じさせるイメージもないのでしょうか? 日本の場合は、私個人の経験だけとは言えなくて流行とか時代性があると思うんですけど、英語圏ではあんまり時代性は関係ないですか? それと身分制もちょっと入ってくると思うのですけど、武士ぽい名前とか公家っぽい名前とか、お坊さんぽい名前というのが、日本の場合はありますよね? たとえば、ヒロシさんより、広麻呂(ヒロマロ)とか言われると、それっぽいですね。これは公家ですね。農民にはこんなのいませんから。お坊さんは、音読みでしか読めないような名前が多いですね。加勢大周(たいしゅう)などは寺の子に多そうです。真之輔というと、今でこそシスターボーイになってしまいましたが、戦前までは農家の息子には少ないと思います。 あとはそれと似ますが、軍人のようないかめつい名前とか、重厚さを出したいのか、漢字のやたら難しい名前もあります。時代錯誤な感じもありますけど、古さや新しさ、軽さや重さが、漢字や音である程度いじれる場合もあると思うんですが、こういうのも無いのでしょうか? さっきの征一も軍国時代と重なりますね。 同じようにクラスメイトに、上杉謙信とか家康いう名前の子がいたとして、あまりに弱いとイメージと違うということになってしまうというように、歴史上の人物でイメージがあるというのもあると思うんです。 こういうのもあんまりないんでしょうか? 有名なところでは、田中角栄という同姓同名人が、いじめにあうので、裁判で改名を勝ち取ったというのがあるのですけど、こういうのって日本語ならではの発想なんでしょうか? 向こうの人は、同じ名前だからということ変なイメージがついて回り、いじめになるなんて言うのがそもそも分からないのでしょうか?
補足
ちょっと下のお礼の質問を補足しますと、つまり、世代間共通で、同じようなイメージが構成される認識や経験がないか、ということなんです。 軍国時代ぽいとか、徳川家康とか、梅さん富さん、麻呂とかはそういうのの例として出したんです。一つ一つはちょっとおかしいのもあるとしても、全体としてどうでしょ?
余談ですが、アンのスペルは原題にもあるようにanneですね。 欧米の名前は母語によって発音が変わる例は多いのですが アンヌやアンネとも発音されるスペルですね。 同源にアンナ[anna]もありますが 遡れば、st mariaの母st anneに行き着くようです。 赤毛のアンの件のエピソードは知りませんが (と思ったら著作権保護の国際協定の都合で 既にウェブ上に日本語版赤毛のアンが公開されている) 日本向けの"良い名前"的表現が 原文でどうなっているのかは少し興味がある。 天草ではst anneなんか知らんとが普通ばってん ベタなキリスト教圏だとどうなんでしょうね。 st mariaに比べればマイナーなはずですし。 アンナやナオミに限らず、ユーフラテスから宗教伝播とともに 広まっていった名前であれば 聖書の人物と比較されることも珍しくは無いとは思います。 たとえば某ロボットアニメに登場するジブリールをして 天使の名にそぐわない人物像と嘲笑ったりとか。 これは、フィクションにおけるガブリエルさん達の 一般的な容姿や人物像例から、逸脱している点でも趣しろい。 また、その名前が由来する自然物のイメージが そのまま名前のイメージの場合もあるでしょう。 ハンドルだと、単に趣味が知れることも多く 自分で名乗った分、他者がつけた実名よりも イメージが湧きやすいのは確かですね。 あっているかどうかは別問題として。 まぁ、仏教由来風のハンドルを、仏教由来では 無い都合で名乗るろくでなしもいますし :-)
お礼
ありがとうございます。綴りが違いましたね、失礼しました。マリラとどっちがどうだとやり合うんですよ。あとはマシューが、お友達のダイアナのことを「なんだか儂には偉く不信心者みたいな名前じゃがな」と言います。これはアンがダイアナみたいな気の利いた名前がいい、と言ったところ、それへの返答です。新しいイメージがあるのかと思いました。日本で言うと、梅子さんより、トパーズちゃんとかマロンさんの方が新しく感じるように。にしても、近頃の女の子の名前は懲りすぎていて、読めないです。
日本人にも多い「ナオミ」という名前ですが、スーパーモデルのナオミ・キャンベルのように外国人もつけてるように、世界各国でもポピュラーな名前です。 聖書のルツ記に出ており、「ナオミ」が日系人の名前という訳でもないのですが、面白いことに名前の意味は同じとか。 http://naomimoni.exblog.jp/m2004-10-01/#574412 >ナオミという名前の持つ意味が普遍的に愛されてきたからだろう。ヘブライ語でナオミは「幸せ」とか「和み」を意味する。 >フランス語やドイツ語の聖書を見ると、ナオミはいずれも「幸せな(heureuse, glücklich)」と訳されている。ところが日本語の聖書では、不思議なことにナオミは、「快い」と翻訳されているのである。
お礼
ありがとうございます。 聖書の文化圏だと、イメージにも共通の地盤があるかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 経験を交えつつ、多面的にお答えいただきました。やはり向こうの人でも語源なども気にするのですね。日本の場合は漢字を使うので、漢字の意味にイメージが引きずられるのかと思ったのですが、それだけでもないようですね。 子供に名前を付けるとき、こちらの親が字で悩むように、向こうの親も子供に願いを込めて名付けをするために語源辞典やイメージ辞典を買い込んだりするのでしょうかね。