• ベストアンサー

データまとめとデータ分析能力は比例するか

素人の素朴な疑問です。(科学)論文を書くにあたり、最も書きやすいとされる「材料と方法」と「結果」を書くのが上手い人は、必然的に「考察」も上手く書けるものでしょうか。また、どちらか一方が下手くそでも、もう片方が上手く書ける、というパターンはありますか?それとも、この二つはまったく違う思考能力を要しますか? 例:データまとめの段階で「最低限のレベルにも達していない」、と見切りをつけられた学生の書いた考察の出来があまりにも良すぎる、というので今度は指導教員に疑われてる。と言う話があるのですが、どちらか一方に長けているということはないのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • juns777
  • ベストアンサー率49% (152/306)
回答No.3

>もし本当にパクリか何かでしたら、ライターへの道を勧めておきます。 ●あの、思いっきり皮肉なんですけど…(苦笑)。きちんとしたマテメソがかけないのに、もし自分の力ですばらしい考察を書けるのは、もう科学者ではなく作家の才能ですよ、と。パクリは最低です。疑われて当然ですね。 >マテメソもしっかりチェックされるものなんですね、自分はラフに仕上げてしまったのでもう一度見直しておこうと思います(本気で素人発言、すみません)。 ●自分の名前が載る論文で、しかも指導教官の立場でしたら、大げさではなく一字一句チェックします。引用文献、脚注、謝辞まで気をつけます。英語論文がほとんどですが、世界中から見られています。実際、correspondenceとしてメールアドレスを載せることが多く、Emailでクレームが簡単に付く時代です。 ●どんな領域でもまじめにやらないと、すぐプロには見破られます。どの世界でも適当にやったりごまかす人は必要ないです。信頼関係が才能や努力と同じくらい大事なので、変なことをしている人は退場願っています。

その他の回答 (2)

  • juns777
  • ベストアンサー率49% (152/306)
回答No.2

実際に論文を指導していた立場からです。 論文は結局、materials and methodsとresultsが大事です。きちんとした実験を積み重ねているか、実験方法に問題はないか、きちんとした対照実験をしているか。ここがダメだと、いくら良い考察を書いても単なる厚化粧です。 科学的な積み重ねに、自分の意見(色)をつけるのがDiscussionです。ここが一番アートな部分だと思います。良い結果のときは詰め将棋のような充実感というか達成感があります。逆に結果がpoorだと、気が重い厚化粧を塗りながら、あれこれ言い訳している感じです。 基本がダメなのにものすごくお化粧がうまい、ありえないことではないですが、私は信用しずらいですね。知らない論文からのパクリか、他の人に書いてもらったか…。 もし仮に真実でしたら、科学者ではなく科学系のライターになった方がいいですね。

noname#21571
質問者

お礼

どうもありがとうございます。指導者の方の見解は説得力がありますね!もし本当にパクリか何かでしたら、ライターへの道を勧めておきます。マテメソもしっかりチェックされるものなんですね、自分はラフに仕上げてしまったのでもう一度見直しておこうと思います(本気で素人発言、すみません)。

  • sunasearch
  • ベストアンサー率35% (632/1788)
回答No.1

結果を書く部分は、論理的な思考がある程度できれば、わかりやすくまとめることができます。 考察は、まとめた結果をもとに、結果を一般化したり、知見を述べたりと、いずれにしても結果がうまくまとめられていなければ、良い考察を書くことはできません。 ですから、結果が不十分では、その考察も穴の多いものになると考えるのが普通です。 結果の一部分を見て、たまたま面白い発想を思いつけることがあるかもしれませんが、基本的には例外でしょう。 そもそも、学生は結果だけを書いて、考察を書こうとすらしないですからね。。。

noname#21571
質問者

お礼

ふーむ、なるほど、ありがとうございます。つまり、「やろうと思えば誰でも書ける」はずの結果もしっかり書けない学生が突然立派な考察を出してきたら疑われるのは当然、ということですね。参考になりました。

関連するQ&A