「それって、どういうこと?と尋ねると、知らないけど
そういうって事だけ聞いた」
面白い!でもホントに「そういう事」としか言い様がないかも。
そう、あるんですよ、「村上春樹っぽい」というのが。
私は村上ファンでは全くなく、好まない作家(むしろ作品は嫌い)なのですが好まない分余計に「っぽい世界」を妙に感じたりして(笑)。
一言で言えば現実感が希薄。
舞台になるのは、主人公の内的世界。「存在の耐えられない軽さ」を生きている感じ。
「存在の耐えられない軽さ」というのは、ミラン・クンデラの小説のタイトルから引っ張ってきましたが、クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の「軽さ」とは全く違います。クンデラの作中人物は自らを「軽く」しないと生きていけない、歴史に翻弄されるチェコ人ですが、村上春樹の人物はそのまんま文字通り。
でもその軽さ、希薄さは徹底した美意識まとっていて「格好悪い事しても、格好いい」という鎧を被ってるのです。
生命感覚、生身の実態感が薄い。仕事も何やってるのかわからないけど生活に困ってる風でもない。
建物でいえば、ヨーロッパの何百年もの垢と情念と美を併せ持った建築物ではなく、清潔で硬質で都会的でモダンな建物。食べ物一つとっても洒落てる(私は好きじゃないけど)。
何やって生活してるの?と突っ込みたくもなります。
内面の葛藤もイチイチしゃれてる。目覚まし時計一つとってもキザ。映画の演出のように微細に「モノ」を描写しますが、それも徹底して清潔でモダン。
男性版都会のアンニュイ、倦怠、という感じかな。
村上春樹ファンからは「違う」と言われるかもしれませんが、本の感想はそれぞれですよね。
私はこんな風に感じていますが・・・。
お礼
お返事ありがとうございました。 大昔、日本の若者がアメリカに憧れたような そんなニュアンスなのでしょうか? 謎ですね。(笑)