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村上春樹・1Q84・天吾・早起きの農夫のような目
村上春樹の小説『1Q84』についての質問です。 小説の冒頭で、「天吾」という人物についての身体的な特徴を説明する部分があるのですが。その中で「早起きの農夫のような目をしていた。」という比喩的な一文があります。 その「早起きの農夫のような」とは具体的にどのような「目」だと思いますか? 村上春樹の作品には、慣習的に使用されないような独特な比喩表現が用いられることがありますが、今回の「早起きの農夫のような目」という描写は少し難解すぎました。 「農夫」あるいは「早起きの農夫」という言葉は、この場合「善意」だとか「優しさ」あるいは「実直さ」みたいな肯定的な意味合いをもつであろう点は何となく分ります。 ただ、私には「早起きの農夫のような目」が実際にどんな目なのか想像がつきません。 最初は「早起き」から想像して寝起きだとしたら細い目なんだろうなと思い描いていましたが、「早起きという習慣」と「寝起きという状態」は違うものなので、無理して小さい目をまん丸と見開いたかのような目としてもいいのではないかと思うようになりました。 いずれにせよ「早起きの農夫のような目」が優しさや暖かさを思わせる形であるのは想像できるのですが、それが具体的に細い目なのかまん丸い目なのかが分りませんでした。 慣例的に「早起きの農夫のような~」という表現は使用されていないとは思いますが、あるいは他にこのような表現の例があったら教えていただきたいです。 また、小説を読んで天吾という人物の描写から判断することもできると思いますが、小説を読んでない方の意見もお聞きしたいです。 参考までに以下にその一節を挙げます。 ―天吾は身体が大きく(中学校から大学までずっと柔道部の中心選手だった)、早起きの農夫のような目をしていた。髪を短く刈り、いつも日焼けしたような肌色で、耳はカリフラワーみたいに丸くくしゃくしゃで、文学青年にも数学の教師にも見えなかった。― (村上春樹 『1Q84』BOOK1 p.44 より)
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- babbyinthesky
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拙い語彙力と想像では以下のようなニュアンスを掴みました。 まん丸と開いたような目。 その、まんまるな目はすぐそこにある物を捉えるのではなく、どこか少し先を静かに見つめているように見える。と、思っています。農夫だけではなく、早起きのという言葉が静かで優しい強さのようなものを感じました。
- toko0503
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こんばんは #1さんのおっしゃるように、村上春樹氏の比喩は 彼が感じた彼独特の表現であって、それを読者が一様に 解釈することは不可能だと思われます。 彼の作品の面白さの一つが、そうした読者の意表をつくような 独自の比喩表現だと私は思っています。 Book2 には、牛河の扁平な頭頂部を 「狭い戦略的な丘のてっぺんに作られた軍用ヘリポートを思い起こさせた」 とあります。これはまぁ分かるとして、 「………花瓶にはダリアに似た花がいけられていた。 機転のきかない中年女性を連想させるいかにも鈍重な花だった。………」(P.42-43) と出てきます。 私には、ダリアは豪華絢爛な花というイメージがあったのですが ここでは、上記の描写で、また違った連想が湧きました。 「早起きの農夫のような目」は、 決して洗練された都会的でおしゃれな若者の目ではないこと位は 想像できますが、あとは、読者の解釈に任せられているのでしょう。 質問者さんが「無理して小さい目をまん丸と見開いたかのような目」 と思ったとしたら、それでいいと思いますよ。 読み手の想像を駆り立てるような表現に出くわすのも、 また読書をする楽しみの一つだと思います。 参考までに書いてみました。 それにしても、私はいまだに「空気さなぎ」が どんなものが想像できないでいます。(^^;;
お礼
ありがとうございました。 小説の表現によって、今までその物に対して持っていたイメージが変わるということもよくありますよね。 「空気さなぎ」も想像が難しいですね。 サナギというよりマユのようなものじゃないかと思います。 でも空気さなぎという存在自体を抽象的なものとして読み取って欲しいんじゃないか、とも思っています。 まったく的外れですが、私は読んだとき一番最初にオバQが乗ってきた卵みたいなやつの映像が浮かんできて印象付けされちゃいましたよ。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3502/7245)
大きな目か小さな目か、ぱっちりかとろんか。それを作者は書いていない。 代りにどうとも取れるような表現をしている。何故でしょう。 読者が、それぞれ勝手に想像する余地を与えてくれているわけです。 「どうしてもこうでなければならない」というものなら、もっとしっかりと描写するでしょうけれど、そうしていない。 作者が「読者のご想像にお任せします」という態度でくるのだから、読者としても「それじゃあ、勝手に想像させていただきます」という態度でいいんじゃないでしょうか。 答えはないと思います。読者により千差万別のイメージがあるでしょう。 仮に答えれば、それは「私の抱いたイメージ」でしかないものをここで書くことになってしまいます。
お礼
特に小説で出会う比喩表現は、読み手へ自由な想像をして欲しいというメッセージでもあるんですね。 「私の抱いたイメージ」についてもお聞きしたかったですが、質問自体が野暮ったかったですね。 とりとめのない話にお付き合いいただきありがとうございました。
お礼
全体を通して感じた人物像から、「少し先を静かに見つめているよう」という表現はお似合いだし素敵だと思います。 ご回答ありがとうございました。