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あなたが現実的になったのは何歳頃からですか?
いつの頃からでしょうね 私は昔は人間はなんでもできると本気で信じていました しかし世間というものを見ていくうちに その純情さをいつからかなくしてしまいました そこで皆さんに質問です あなたが現実的に物事を理解・考えるようになったのは 何歳の頃からですか? 私は中学くらいからですから13~4くらいですかね 遅いw? まあ言葉で言うのは少々難しいかも知れませんが 子供っぽくなくなったのは?と置き換えても構いません 回答お願いします
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こんにちは。 あ~~・・ごめんなさい。 私も四捨五入すれば不惑になろうと言うのに、未だ現実を見据える能力は欠落しているようですね(苦笑) この歳になっても、「追いかければ必ず、夢に手が届く、生まれ持ったもの以外の事は(例えばルックスとか脳みそのシワとか・・・(笑))信じて努力しさえすれば叶う。」と信じて、大風呂敷を広げています。 取敢えず自分が死ぬ間際になって、「このばーさん、やっぱり嘘つきやったじぇ!」と言えと・・・それまでは口が裂けても「嘘つき」とは呼ぶな!と、周りに公言して憚りませんので、年齢としたら「遅い」なんてもんじゃないでしょうね(苦笑) でも、現実見据えてしまった時に、何となくそこで人生が「錆付いてしまう」ような気がしてそれが怖くて・・・多分きっと、死ぬまで私はこのままなんでしょうね(笑)でも、後悔は多分、しないんじゃないかな? 「子供っぽくなくなった」を「理論的に物事を考えるようになった」と捉えるなら、幼稚園頃かな?割と理論的に物事を考える子供だったので、正直「かわいい」子供じゃなかったかも。幼児言葉で喋りかけられると、(例えば「ほら、かわいいワンワンね!」などと言うと、「あれはイヌ!」と答えるとか・・・(笑))小一の授業で、海亀の産卵時に涙を流すの事を「お母さん亀も頑張って苦しいのに一生懸命卵を生むのよ。」と言う先生に対して、「あれは海から上がって目が乾くから、涙が出るの!」と言って、先生に干されてしまった記憶があります。本当なのにねぇ・・・(苦笑) 私の場合。現実を見据える能力と理論的に物事を考える能力とは、どうも必ずしも一致しないようですね・・・(笑)
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小学5年だったと思います。 その時の担任がセクハラ教師でした。 そこから「先生は尊敬できる」という図式が壊れました。 母も同じ教員という職業だったせいか、教師だけでなく、親までも疑うようになり、「大人ってこんなもんか」と思うようになってしまいました。 その頃から、人を注意深く見るクセがあります。 結局、今でも思い続けているのは、 「人は根本的なところでは分かり合えない」と言う事です(人との繋がりや優しさを否定しているわけではありません)。
そうですね・・・、高校に入ってからですかね・・・。 「現実的に物事を理解・考えるようになった」というのとはちょっと違いますが、哲学っぽいことをよく考えるようになりました。自分って何だろう?原子(分子)の塊がどうして気持ちを持つんだろう?その他まだまだたくさんありますが。 あと、サンタさんの正体を知ってからも少し変わった気がしますね・・・。(多分小学校4、5年生)
- akari20
- ベストアンサー率23% (94/397)
結婚して子供が生まれてからですね。 21~22歳でしょうか。 「現実的になった」というのとは少し違うかもしれないけど、自分の中で何かが変わりました。 それまでは何でもかんでもガムシャラで突っ走ってる感じだったんですが、最近ではなんか妙に冷めてるというか・・そんな自分に気付きました。
- isip
- ベストアンサー率4% (2/42)
7番です追伸です。 1番さんの回答読みました。 >今でも非現実的なことを考えたりしますが。1ヶ月で10キロ減量とか… 私、1ヶ月で10キロ減量しましたよ。それって現実的です。人それぞれなんですね・・・。
- isip
- ベストアンサー率4% (2/42)
う~~~んって事だと まだ現実的になってないかも??・・・。 大人です・・・うぇぇ~っ(・・;)。
私の場合は、六歳頃だったと思います。 家の近くの道路で交通事故に遭いそうになりました。 でもその時、母のおかげで怪我一つなくて済みました。 この時、幼いながらも人間はいつか必ず亡くなると感じました。 今も昔もですが生きたくても生きれない人がいるのだから 普通に健康的に過ごすことが出来る自分はどんなことがあっても精一杯生き抜かなければいけないと思いました。 しかし自殺する人がいますよね。 相手には負けても自分にだけは負けてはいけないと思います。 生きている事に誇りを持つべきです!
- m038
- ベストアンサー率28% (99/351)
子供っぽくなかったのは..社会にたいして幼稚園の時に漠然とした違和感を感じ退屈感がありました。 それは感覚的なものでけっして理解とか考えというものではなかったかも。 小学高学年、中学で考え方などが回りと違うという自覚をし少し引いたところに位置していたと思います。すごく冷めてましたね。 とはいえ現実的に物事を理解して深くしっかり考えるようになったのは20代後半からで同時に楽しまなきゃとか無邪気の良さとか無垢な考えの素晴らしさがわかったのは大人になってからで最近は非現実に浸るズルさで退屈を誤魔化してなんとか濁った水の中の隅をひっそり漂ってるって感じですかね。
- yonchura
- ベストアンサー率33% (51/152)
3歳くらいのとき、自分が死んでしまう夢を見て ああ、人間っていつか死んでしまうんだなぁって強烈に意識した時な気がします…。 怖くて涙がぽろぽろ出ましたが 思い出というか、自我というか…そういう記憶がそのころからはっきり残り始めました。
- tezkx
- ベストアンサー率22% (74/335)
こんにちは。 え…と、サンタを信じてるとか、そう言うことでは無いんですよね。 イキナリ出鼻を挫くようで申し訳ないんですが、30を越えても(そう言う意味ではまだガキなんでしょう)、子供を産むこと以外ならば出来ないことはそう無いと思ってます(子供料金で…とかいうのも無理だな)。 現実的に不可能なことってどんなことでしょうか? 子供の頃から出来ないことを考える(出来るようになる、する)ことを漠然と考えていたので、逆に子供らしからぬ子供だったのかもしれません。 とりあえず、子供の頃から(発展はしつつも)今迄に「ここぞ」という大きな転機はなかったように思います。無理に「不可能」の枷を自分で作ることもないですしね。
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