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夢中と依存の違い
何かに夢中になることと依存することの違いはなんでしょか? (1)依存とは対象によりますか? 依存の対象はアルコールやドラッグやギャンブルが有名ですよね。最近は仕事依存や恋愛依存や買い物依存も耳にします。けれど、勉強依存とか読書依存とかスポーツ依存はあまり聞きません。このように依存には決まった対象があるのでしょうか?つまり、勉強や読書やスポーツなら夢中になっても依存にはならないと言えるのでしょうか? (2)依存とは精神状態によりますか? 依存とは自分の意志でとめることができなくなり、生活に支障がでるぐらいをいうのでしょうか?あるいは依存とは心の隙間(むなしさやさびしさ)を埋めるためにやることをいうのでしょうか? PS 自分は服を買うことが楽しみになり、毎週のように服を買っていました。しかし、あるとき買い物依存というのがあると聞き、もしかしたら自分もそうなのかと思うと急に嫌な気持ちになり、それから服をたくさん買うのをやめました。これは服を買うのに夢中になっていたのか?依存していたのか?どちらでしょう。ちなみに服はものすごい量になってますが、服を買うのをやめるのは簡単で、借金とかもしてません。ただ、他に楽しみがあまりなかったので、これを楽しみに生きていたという感じはあります。
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素人意見です。 僕の中では「依存」は、それに支えてもらっている状態を言うことだと思ってます。酒やタバコや麻薬などがないと暴れるとか普段通りの生活が出来ないことだと思います。 「夢中」は、確かにハマってるけど、別にそれがなくても生きていける、普段の生活を続けることができることだと思ってます。僕は最近読書にハマっているけど、別に本がなくても生活していく自信はあります。 変な言い方ですが、「依存」は自分が支配されている状態で、「夢中」は自分が支配している状態だと思います。 服の件は、おそらく「夢中」になっていたのだと思います。いわばひとつの趣味ですね。あまりアドバイスになっていないかもしれませんが、参考になれば幸いです。
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- sheep67
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No4のものですが、 参考になりますかわかりませんが、図書の紹介を・・。 スクールカウンセラーの立場からの本なので、子供向けのようですが、「心の中心」について参考になるページがいくつかありますので。 輝ける子 100メートルを10秒で走れと言われてもさ、いっくら努力しても走れない奴っているじゃん / 明橋大二/著 著者は続編を含め4冊出されてます。 愛のストローク療法(セラピー) / 近藤裕/著 こちらの本は一般向けですが、内容は上の明橋さんの本に通じるものがあるなーと思ってます。こちらの本は古本でないとないみたいです。あるいは図書館などでも。 参考になるかどうか分からないのですが~人それぞれですので~、僕自身はとても我が意を得たりという感じの本です、両方とも。
お礼
再度の回答をありがとございます。 『輝ける子100メートルを10秒で走れと言われてもさ、いくら努力しても走れない奴っているじゃん』(明橋大ニ著)はタイトルからして面白そうですね。 「心の中心」についてはもっと知りたいと思うので、暇を見つけて一度読んでみようと思います。 どういう内容かは知りませんが、sheep67さんが我が意を得たりと言う感じなら、きっと自分にも心の琴線に触れる部分があるだろうと思います。 PS 自分的には誰でも心に穴があいているけれど、普通は仕事(学校)と家族(親密な関係)でそれを満たしているため、酒やギャンブルや買い物などに依存しないのではないかと考えてます。仕事や家族という重要なことで、未来に対する希望が見えなくなると、人間は刹那的なことや享楽的なことで心の穴を埋めようとするのかもしれないですね。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
素人意見です。NO1の方に近いのですが。 人間の心の中心は、自己存在に対する安心感(=無条件での自己肯定感、あるいは自信、信念、人との絆、愛などいろんな言い方をされますが)でできています。 無条件に、自分は今ここに存在していいんだという気持ちは、完全であればいいのですが、不完全な場合、それを補おうとして、とる行動が依存と思います。 アルコールもそうですし、テストでいい成績をとるのも同じと思います。これらは2次的な満足感で、上の無条件な自己肯定とは別質のもので、この2次的なもので、1次的なものを埋めることは絶対できません。そこが依存の怖さですねー。 2)は、「依存」という言葉の定義なので、専門の心理学ならちゃんと定義されてるんでしょうが、世間一般では、生活に支障が出るのも、心の隙間を埋めるのもともに依存という言葉を当てはめてますよねー。 PSのとこですが、夢中という言葉を依存が含まれてる場合に使うこともあるので、定義は引っかかりますが。 ただ「止めることは簡単」と書かれてるので、その買い物がなくても生きていける存在し続けることが可能な自分がいるということなので、健全な意味での「夢中」だったのではないでしょうかー基本的にはですが。 依存の気持ちが微塵も混じっていなかった、とは断言できないと思いますが、タバコでも、依存せず純粋に楽しんでいる人は、いつでも禁煙できると聞きますしね。 大事なのは、NO3の方の言葉を借りれば、ブレーキを踏むことのできる主体である「自分」があるかどうかですし。その自分という存在に絶対の安心があれば、主体性をもって、喫煙禁煙を自由に選択できるんじゃないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 自己存在に対する安心感はありませんね。自分は心に大きな穴が空いてる感じがしてます。それを埋めようといろいろしてるのだと思います。 キリスト教への関心・短編小説の創作・ネット将棋への熱中・ゴルフのスイング作り・服の買いまくり・ネットオークションに熱くなり、おしえてgooの回答にハマリと、夢中なことをやめるのは簡単ですが、次々と夢中になるものを見つけています。
- sao-tosao
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(1)依存は対象に限りません。勉強依存やスポーツ依存もありえます。ただ依存対象が変わっただけです。 (2)依存は、例えるとブレーキの利かない車に乗っているということです。自分でコントロールが出来ない状態です。 また、依存は否認の病気でもあります。本人がその事実を受け入れられないことが特徴です。 hisyaさんは買い物を止めることができる=ブレーキを踏むことができている状況だと考えられます。 最近放映された「溺れる人」というドラマはアルコール依存症を取り扱ったものです。宜しければ参考までに。
お礼
回答ありがとうございます。 (1)依存は対象に限りません。 スポーツ依存もありますか?家庭を省みないゴルフ狂と呼ばれる人達は、ゴルフ依存といってもいいのでしょうかね。 (2)依存は自分でコントロールができない状態。 アルコールやドラッグやギャンブルは自分でやめらないようですね。買い物もやはり自分でやめられなくなるんですかね。
- kaitaradou
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なるほどと思いました。依存か依存でないかは、対象の違いというより、その状態が、結局その人に害になるかならないかということではないでしょうか。害になるかならないかも、いろいろな人の判断で多く変わるはずですから、決めるのが難しいと思いますが、常識的に考えて反社会的、非社会的になってしまうのは依存というような感じではないでしょうか。屁理屈のようですが、勉強依存だってありえます。経済的条件を無視して永年無理な受験勉強を続けている人や、家庭のことを考えずに研究に没頭している学者などは勉強依存(症)と見られても当然のように思います。
お礼
回答ありがとうございます。 依存とはその状態がその人の害になるということですか?本人にも、それが害になるとはわかってるのでししょうかね? 勉強依存だってありえますか? 受験勉強に没頭して、友達付き合いや趣味などを犠牲にする生活を何年も続けるのは、不健全な感じはあるし、その人の人間性を歪めるかもしれないですね。勉強の場合は、社会的にはよいことをしてるせいで、あまり依存とは言われないのかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 依存とはそれがないと普通に生活できないということですか?依存の場合、それがないと落ち着かないとか、いらいらしたりと、禁断症状みたいなものが出るんですかね。 読書に関しては、活字中毒というのを思い出しました。一日一回は本に目をとうさないと落ち付かない人がいるそうです。そういう人はホテルなどで読むものがないとコンビニに行ってでも何か読むものを求めるそうです。 「依存」は自分が支配されている状態で、「夢中」は自分が支配してる状態というのは、感覚的にとてもよく分かります。おそらく、依存にはそんなイメージがあるので、自分のしてる事が依存だと思うと、人は嫌な気持ちになるんでしょう。 とても参考になりました。