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吉野朔実 ECCENTRICS
かなり以前の作品ですが、結末が判らないので 教えて下さい! (1)最終回で平坂さんが抱いていた赤ん坊は 誰と誰の子ども?? (2)平坂さん=千寿の先輩なの? (3)サングラス&マスク男=天なのですか? 結末があやふやなのが吉野作品の特徴とも いえると思いますが、吉野ファンの方、 個人的な意見で良いので教えて下さい!
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個人的意見です。 (1)千寿と劫の子供。ただし比良坂さんと千寿で育てていくのかなぁ、と。だから育て親は比良坂さんと千寿なので、最後の『私は生まれたばかりですでに大罪を犯している。もちろん両親達はそんなこととは知らない』の両親達とは比良坂さんと千寿、でもこの『私』は千寿のことでもあるので、両親達は千寿の両親のことでもあるのかと。 (2)千寿の先輩は死んでいるので別人。ただ、千寿の先輩=千寿と母の関係を断ち切る異性の象徴なので、本人が死んでいても象徴として千寿と母親の中に存在し続けているのではないでしょうか? 母親は、自分の中にあるこの象徴と、比良坂さんを混同していたものと思います。 また、千寿が比良坂さんを助けた(=君は戻ってきて俺を助けたんだよ)というのは、母親の存在を断ち切り、個として生きる事を許容するという事だと思いました。 (3)これは難しい。 マスク男は天でもあり、劫でもあると。 天にしろ、劫にしろ、自分という個を持たない(お互いに自分たちを個としてみておらず自我を混同しているし、他者に自分たちを別々の個として扱われる事を拒絶している)人間です。 そういう意味では千寿と共通点を持っています。 ただ千寿が母との関係を苦痛に思いながら手放せなかったのに対して、天と劫は自分たちの関係を必然としています。 だから、天と劫にとっては千寿が、自分たちの個を断ち切る異性ということになります。 話がそれますが、『ジュリエットの卵』に日月と睦海という双子が出てきます。 彼らも天と劫と同じで、互いの個を分けずにいますが、螢がどちらか一人だけをいきなり叩き、『でも別な人間でしょう?今みたいに片っぽだけ痛かったらどうするの?その繰り返しが違う人格を作って行くんじゃないの?』と問うエピソードがあります。 マスク男は悪意の象徴だと思います。 片っぽだけ痛い=片っぽだけが悪意を他者に抱くといく構図で、悪意は天と劫を分ける危険なものでもあるのでしょう。 だからマスク男は天でもあり、劫でもある。天にも劫にも悪意はあるからです。 ただ、千寿に会うまでは悪意を向ける対象は誰でも良かった、傷を必要としている人間(自己破壊衝動のある人間)に無作為に危険を与えていたのが、千寿の存在でバランスを崩した。 天が劫を突き落としたのは、千寿を取られたからというより、自分たちのバランスより千寿との関係を望んだ事への憎悪だと考えます。千寿の存在だけが問題なら、千寿を共有できれば何とかなりますが(事実そうしようとしています)、子供が出来たことで、天は『生まれてくる子が自分の子だと思えない』のに劫は『うれしいなあ、こどもこども』なので決定的にバランスが崩れてしまった。 しかも劫がそれを喜んでいる、という事で天は劫に憎悪を抱いたという事でしょう。 最後に『どっちでも良かったんだ。君に会うまでは』と言って線路に飛び降りたのはマスク男でもあり、天でもあり、劫でもあるのかなと。 実際には劫は病院ですけど、そういう理屈抜きで、最後に線路に落ちたのは、天でもあり劫でもありマスク男でもある、要は千寿との出会いで失われてしまった、『天・劫・マスク男のバランス』なのだと解釈しています。
お礼
は~~、、とっても参考になりました! 誰に聞いても納得いかなかったのですが、 pingapingaさんの意見は素直にうなずけます。 特に「天が劫を突き落としたのは、千寿を取られたからというより、自分たちのバランスより千寿との関係を望んだ事への憎悪だと考えます。」というご意見!! これは私も何となく思っていた事をとてもうまく 説明して頂いていたので感動しました(「ぼくだけが知っている」のエピソードみたいですが…笑) 文章力にも感動しました☆ また吉野作品について質問する事があれば よろしくお願いします♪