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天皇家は男子直系じゃない?

最近女性天皇の話題がかなり出ていますが、ふと思い出しました。 もうずいぶん前の高校の歴史の授業中に 「男子直系といわれる天皇家は実はこの時代にはつながっていないので、本当は男子直系じゃないと言う学説がある」 と言うような事を歴史のこぼれ話に聞いたような気がします。 このこぼれ話はいつの時代の話だったのでしょうか?また、事実なのでしょうか?詳しい方お教えください。

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  • junt
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回答No.7

 No.3さんが継体天皇が前の王朝を倒した赤の他人であるという説を紹介されていますが。この説は、ものすごく古く、一昔前の説です。というのは、この説の根拠になっているのは、『記・紀』に継体天皇の系図が書かれていないというところからきたものだったのですが、後になって鎌倉時代末期に卜部兼方(うらべのかねかた)の書いた『釈日本紀』という書記の注釈書が見つかり、現存しない『上宮記』という書物からの写しで継体天皇の父方と母方の詳しい系譜が分ったのです。  「上宮記は推古期をあまり下らない頃に作られた古い文献とみられるので、その系譜は信頼するに足り、継体は応神天皇の後裔で允恭天皇の后妃を出して安康・雄略天皇の外戚にもなったことのある地方皇族の出身とみるべき(つまり継体は、応神の5世孫とみてさしつかえなく、近江、越前に勢力を有していた皇統につながる名門である)」というのが現在の学術上の見方です。

otake99
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。私が授業を受けていたのも一昔前(ふた昔前?)ですからNO3さんのご回答を聞いて思わず、「これを聞いていたんだ!」と思いました。しかし10年経つと時代は変わるもんなんですね!改めて勉強になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • junt
  • ベストアンサー率38% (97/254)
回答No.6

 質問者さんに教えられた高校の先生というのが全然分かってらっしゃらないんでしょうが、日本の天皇制というのは男子直系を目的としていません。だから男子直系じゃない天皇というのは、過去にいっぱいいます。でもそれはそれでいいんです。  江戸時代までは、男系男子が基本ですが、いない場合には男系の女帝でもよいことになっていました。男系でありさえすれば、どんな遠い宮家(今の感覚からすれば、ほとんど他人と思えるくらい遠い宮家でも)から天皇を向かえられても、理論上は初代天皇(神武天皇)の遺伝子は100%確実に受け継がれていることになるからです。  以前別の質問で、メンデルの法則の数式を使って丁寧に説明されていた回答者さんがおられたんですが、その後に ミトコンドリアDNAを持って来て男系じゃなくても遺伝子は受け継がれると言われている方がいましたが、それは違います。ミトコンドリアというのは、細胞内のエネルギー発生工場であり、普通我々がDNAとか遺電子と言う場合は細胞核の中にある核DNAのことを言うのであり、これは男親の遺伝子が100%残り、女親の遺伝子は受精の時の組み合わせによっては次々に落とされていき(ミトコンドリアDNAには母親の遺伝子は残ります、でも身体的特徴などに影響を与えるのは核DNAでミトコンドリアDNAじゃないんですね)、残るとは限らないんですね。もちろん昔の人はこんな科学的裏付けは知らなかったんでしょうが、最も合理的なことをやっていたと言えます。(このあたりは、直系じゃないと意味がないと考える中国人や朝鮮人には理解できないかもしれませんが。  学術的に確実視されている一番古い天皇というのは、26代の継体天皇です。しかし、それ以前の天皇が否定されたということではありません。というのは、、ツタンカーメンやトロイの遺跡・アーサー王伝説など一度は完全否定されながらも後に真実だとわかった事例が世界中には多くあり、安易に否定することが危険でできないのです。日本の天皇の場合、前述のものに比べれば、資料が多すぎるぎるくらい残っていて現在も研究中というところです。

otake99
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。ツタンカーメンなどの話も出てきましたが、なぜ、日本人はそれほど天皇家を大事にしたのでしょうか?中国でも、エジプトでも王朝はドンドン入れ替わったのに、日本だけなぜか大昔から維持してるというのはどうしてだろうと改めて思いました。

  • narusan6
  • ベストアンサー率11% (1/9)
回答No.5

直系ってのは違うと思います。武烈天皇には世継ぎがいなく、彼の死に、応神系の子孫断絶後越前から継体天皇が迎えられ即位したと言われています。 ですので現在の血脈は直系とは言えません。 室町時代に皇室は南朝と北朝に別れ双方の正当性を主張していました。ですが、室町幕府三代将軍足利義満により南北合一がなされました。現在の皇室は北朝の血筋を受け継いでいるそうです。 さらに、女帝もしっかりと歴史上確認されています。

otake99
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。南北朝の時期も私には不可解な時期です。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.4

基本的に一夫一婦制となった近代に問題が生じました。  男系の血統を維持するため一夫多妻制をそれまで維持して来たのです。 明治以後でも大正天皇は側室の所産でした。 この時男子の出生が多く昭和天皇は嫡出子として即位されたのですが側室制をとられませんでした。 これは現代の結婚観を尊重されたのだと思います。 それはその後現在の皇太子まで続いています。 この間皇室に男子の出生がなかつたので皇室の後嗣問題が生じたのです。 側室制に復帰することは考えられませんので今後もこのような事態は度々起こるでしょう。 男子直系が何度も断絶しているのは事実ですがこの事は論議を避けてきた問題です。

otake99
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。確かに一夫多妻制でなければ維持できそうにないですね。昔の天皇家でも側室の子供が後継ぎになったと言うのははじめて聞きました。

  • mak0chan
  • ベストアンサー率40% (1109/2754)
回答No.3

「日本書紀」などによりますと第 25代武烈天皇には子供がいなかったので、5代さかのぼってようやく血のつながる継体天皇を即位させたことになっています。在位は西暦 507~531年です。 しかし、これは継体が前王朝を倒し、万世一系をこじつけるため系図を創作したという見方があります。 つまり、25代と 26代の間では、男子直系はおろか赤の他人である可能性が強いのです。史実かどうか確認のしようがありませんし、宮内庁は認めていませんが、学説としてかなり有力視されています。 なお、推古天皇以下 8代 10人の女帝はみな継体天皇よりあとの話です。しかしこれらの女帝はピンチヒッター的に即位しただけです。一人一人の女帝を見ていくと、その次は必ず前帝の男系男子に戻っています。後継の男子がまだ幼かったため、叔母が仮に即位し、成長したら男子に戻したような例ばかりです。 継体天皇から今上天皇まで、およそ 1,500年にわたって男系男子が続いていることに代わりはありません。 また、継体天皇以前にも王朝交替があったとする説もあります。10代崇神天皇とか 15代応神天皇などがその例ですが、いずれも継体天皇ほど有力泣かせ苦節ではありません。 ここからは余談ですが、愛子さまを女帝にするのは前例もあることですが、その次をどうするかが問題なのです。いままで女帝の子供が即位したことはありません。かといって、愛子さまの次に男系男子に戻せる保証が何もないわけで、1,500年の伝統を破ってしまうのかどうか、日本の皇室はどうなるのでしょうね。

otake99
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。もう15年位前のことですからキーワードを間違えて覚えていたかもしれません。私が授業中に聞いたのは表題に書いた「男子直系」ではなくmak0chanさんのご回答の中に出てきた「万世一系」をだったような気がしてきました。 でも、ご回答の内容は大変興味深く拝見させていただくとともに、高校時代をちょっと思い出しました。ありがとうございました。

回答No.2

前後がわからないのでなんともいえませんが、南北朝の内乱などの出来事を取り上げて言っているのでしょうか。 参考までに、こういう質問が過去にありました。 詳しい方が沢山いるので、 少し手がかりになると思います。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1188143
otake99
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。参考URL大変興味深かったです。

  • m770
  • ベストアンサー率21% (140/653)
回答No.1

 その話は全く知りませんが、歴史上女性の天皇は何人か存在します。  聖徳太子が摂政をした推古天皇とか、万葉集に「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」の歌を残した持統天皇とか。  歴史に門外漢の自分ですら2人は知っているのですから、調べるともっと存在すると思います。

otake99
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。確かに推古天皇や持統天皇は有名ですね。