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外国語、勉強してはいるものの・・・。

外国語を勉強するのが好きな者です。 しかし問題があるのです。 私にはなぜか外国語学習以外に興味のあることがあまりないのです。 外国語を勉強しているからには実際に役立てたいと思います。 そして「言葉は単なるツール」とか「学習が目的になってはいかん」とか言うように、それを使ってなんぞかせねばいけないような気がします。 今までいろいろ学習してきて、今はたと気がつくと、私はどうも「話すこと」自体があまり好きな人間ではないように思うのです。外国語を学習してきてうれしいと感じるのは、読めたり聴けたりするときの方が多いのです。 世の中には手に職を持っていたり、自分の興味のある分野で英語を使うという人が大勢います。 でも私の場合、一生懸命に外国語を学習するだけで、後何も残らない。結局「話すこと」がないのです。 今は子育てに追われていて外国語学習が生きる励みになっていますが、子供が巣立ったあと残るのは、外国語は勉強してきたが何も伝える中身のない自分の気がして怖いです。 流暢になるだけなら、もうすぐ外国で暮らす予定の2歳の姪達にすぐに追い越されてもしまうでしょう。 こんな学習者にアドバイスをお願いします。

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noname#27172
noname#27172
回答No.5

漠然としたご質問に感じられますが、私なりに思ったことを述べさせていただきます。ですから ご質問の趣旨とは少しズレるかもしれません。 私は英語とフランス語が分かりますが、英語は使う機会が多いものの、フランス語はぐっと少ないです。 英語は私は小学3年生から勉強して親しんでいますので、外国語というより 第2言語という感覚です。 フランス語は中学2年生から始め、英語よりも熱心に勉強しました。フランス語を学習したお陰で、英語だけでは見えない世界も見えて視野が広がりました。特に、哲学に関してはフランス語を通して得たものも大きいです。 ネット上でも 英語で殆ど全て用が足りますが、極力 フランス語のwebを閲覧しています。 外国語は目的で学習するのは大いに結構だと思いますよ。こっちの方が楽しいですし。車だって同じです。 車を単なる移動の手段としか思わない人もいれば、車そのものを楽しんでいる人もおります。パソコンもしかりです。私はパソコンそのものより、パソコンで出来ることに興味があります。ですから、車にしろ パソコンにしろ 手段派は目的派に かなわないんですよ。 何かトラブルが起きると 手段派の人は目的派の人に 相談したりします。こんな時に限って ちょっぴり羨望したりもしますね。 「外国語を学習して何も残らない」なんて とんでもないですよ。外国語の知識は 私は一つの貴重な個人の財産だと思います。外国語を習得するのには 費用もかかりますが、お金で買えるものでもありませんよね。それなりに、時間を割き努力して身につけた賜物に他なりません。それと、私の場合は 自分の歴史とも結び付けています。英語、フランス語、イタリア語、ロシア語、スペイン語、中国語と勉強し始めた時に、それぞれの思い出があります。私は それを大事にしています。 私は現在、フランス人向けの中国語の教材で中国語を学習しています。この教材を使っている人は 日本で 数えるほどしかいないだろうと ちょっぴり優越感に浸ったりもします。日本人なんだから漢字のハードルが低い分 フランス人よりもスラスラ理解できるだろうとも思ったりもします。ただし、この方法は 何と言うか 母国語という出口がないというか 少し息苦しくも感じたりもしますけどね。 私は 外国語を学習しない場合こそ、何も残らなかったのではないかと危惧します。ただ、ぼーっとしていたでしょう。 脈絡のないことをダラダラと書きましたが、wowmakotanさんの指標の参考の一つにでもなれば幸いです。

wowmakotan
質問者

お礼

こんにちは、いつもお世話になります。 そうですね、確かに外国語を勉強してきた事実は自分の歴史に刻まれますね。これは大事なことです。 >外国語を学習しない場合こそ、何も残らなかったのではないかと危惧します。 この部分にははっとさせられました。 あー、確かにそうかも知れないんですね。 ただ、実は私は英語を始める前は、専業主婦の膨大な自由時間を使って洋裁やなんやらをやっていて、手作りの洋服を子供に作ってやったり、家の中を手作りで飾ったりと結構マメによい母なんぞしていたわけですね。外国語を学習し始めるとときどきふと思うのが、それこそぼーっとしている時間があったらその分勉強しようとか、単語の一つでも当たろうとか、何か他ごとしていても耳だけは外国語に傾けとか、常に常に何かしていないと勿体無いって危機感があるわけですね。ひどいとテレビもろくに見ないでNHKのテキストを読んでいたりするわけです。 もちろん外国語で日本のニュースを見たり読んだりすれば一石二鳥なんでしょうが、レベルがまだそこまで行っていないとそれこそ「一日語学漬け」で他何もできないってことが平気であったりするわけです。 そんなときですね、もしもこんなこと始めてなかったら、子供にも洋服を作ってあげるようないいお母さんだったろうなとか、家の中も今ほど殺伐としていないだろうなとか・・・(笑)。 まぁ無いものねだりなんでしょうが、外国語にこれほどのエネルギーをかけてしまっていいのかなぁって思うことも確かにあるんですよね。 私が女で母親ってことでこういう悩みは仕方ないことかも知れませんね。 お話とても参考になります。 かなり気持ち的に楽になりました。 これからもいろいろと迷いながら進んでいくことになると思いますが、また私の投稿がお目に留まりましたらご回答よろしくお願いしますね。 ありがとうございました。

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その他の回答 (4)

noname#111031
noname#111031
回答No.4

英語に限らず、外国語を道具として何か仕事をすることが必要でない人が大部分を占めているのではないでしょうか?私は、定年で仕事を辞めるまで、仕事で英語を使っていました。外国の取引先との使用言語は英語でしたので。しかし、自分が大学で専攻したのはドイツ文学で、ドイツ語を学ぶのに必死なったものです。しかし、卒業後ドイツ語を使う立場にはなれなかったのです。しかし、現在、ドイツ語のお陰でドイツに数多くの友人を持つことができ、メールや手紙でお付き合いをさせたもらっており、楽しんでおります。もちろん、それなりにドイツ語を話すことも大学で身に着けましたので、ドイツへ旅行してもホテル捜しから、街見物まで楽しむことができ、新たな友人も得ることができました。もちろん、一銭にもなりませんが、ドイツ語に苦しみつつドイツ語を楽しんでおります。何か趣味をお持ちでしたら、その関係で習われた言葉を使って友人を得て、交流を持たれたら如何ですか? その国々の歴史や文化を身につけることもできるのではないでしょうか?今、私がメル友(日本人も含めて)使っている言語は四つになりますが、それなりに通じているようです。英語を公用語とする国には行ったことはありません。 確かに、日本では一切の教育は大学に至るまで日本語でなされますので(これはアジアでは珍しいことなのです)、特に外国語を話す必要は外国へ行かない限り必要がありませんね。ですから、外国語の学習や習得、使うことをあまり気にされることはないでしょう。 今は、私にとってドイツ語も英語も全くの趣味的な言葉ですので、あまり気にせず毎日のようにメールを書いております。暢気にされて、楽しみに使うことをいつも考えておりますが。 あまり、お役に立たないようなことを書いたかもしれませんね。

wowmakotan
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 なるほど、今使うことができなくても、きっと何かの縁で役に立つことはあるということですよね。確かに気がつかないところでそういうことはたくさんあるのだろうなと思います。100%目に見える形でばかり役立てようと考えていると、見えないものが感じられずむなしくなってしまうのかなと思いました。 今すべきことと、今はできないけどガマンしておいて・・ってことがあると思います。 私の場合は今はやはり子育てと仕事(離婚をしているので)に重点が置かれても仕方ないのでしょうね。身動きが取れない分焦りが出ているのかも知れません。 でも子供も次第に大きくなって別に暮らすようになれば私も自由になるし、そのときに花が咲くように今コツコツと大事に芽を育てていけばよいのかも知れません。 それが今は役に立っていないように感じる勉強なのかも知れませんね。 お話拝見して、私もがんばろうって思いました。 ありがとうございます。

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noname#9632
noname#9632
回答No.3

高2の時に1年間オーストラリアに留学していた者です。私の場合は、言葉を「ツール」として使う形になっていますが、そうでないことを心配することはないと思います。 どちらかというと翻訳関係の方が向いてらっしゃるのでは? 話し好きの人、本を読むことが好きな人、日本人でも別れてますでしょ? 人それぞれの使い方があるはずなんです。 ご質問を読んでいると、どちらかというと学術的な英語の読解が向いていそうです。つまり、英文学とか、そういうものです。 そもそも「学習が目的になってはいけない」というのが間違っています。そんなことを言ったら、哲学を学んでらっしゃる方は、完璧に無意味になってしまいます(あれは答えを見つけようと努力することが目的で、その答えは二の次なので)。そうではなくて、何かに打ち込むことで得られる満足感みたいなものも、きちんと考慮するべきなんです。 私も冗談を言いあうような英会話よりは、物語や教科書を読んでいる方が、「満足感」がありました。それで間違っていないと思います。 人それぞれですよ。 姪さんたちには、英語の絵本を読んであげたり、逆に聞いてあげたりしていけばよろしいんじゃないでしょうか。

wowmakotan
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 翻訳は一度トライしたことがあるのですが、どうも難しかったのです。まず英語の読解力が全然足りません。そしてそもそも日本語の読解力も怪しいのです(苦笑)。日本語の場合は表現力と言った方が正しいかも知れませんね。 そんなとき、やっぱり外国語は所詮外国語だなって思っちゃうんです。 ちょっと諦めが早すぎるかも知れませんが。 言葉って本当にいろんな側面があると思うのです。 きちんとしたものから、ぶっちゃけたものまで。 そのどれもにどっぷりと浸かりたい願望があるのです。 たぶんかなり欲張りです。 私はブランド物のかばんを持つとかそういうことよりも、許されるならば2年単位くらいで勉強している外国語を話す国に移り住み、どっぷりとその国の言葉に浸かりながら生活をしたいのです。おしゃれなかばんを持たなくても、そういうことが私にとっての喜びなのです。 回答拝見して、『何かに打ち込むことで得られる満足感』というところにとても感激しました。 確かにそれはあるんですよね。 1時間でも2時間でも、忙しい日常の中でしっかりと勉強できたなと実感できるときは一日がとても充実しています。子供が小さい頃は、子供が昼寝をするとうるさくないように洗面所に閉じこもって英語の教科書を必死で音読したものでした。子供が起きるまでの勝負だったので時間が限られていてそれはそれは貴重な時間でした。予想よりたくさん寝てくれたときは私もたくさん勉強できて本当に嬉しかったものです。 人間同士の付き合いではとても気を遣ってしまうので得意ではないように思う私ですが、やはり本音のところでは外国人の人と冗談を言ったり、つたない言葉ではあるものの悩みのようなものをお互い打ち明け合えたりすると嬉しいと思います。苦手なだけに本当は人一倍そういうことがしたいのだと思います。 姪に英語で本を読んであげたら、逆に「発音悪い~」ってたしなめられそう(笑)。 ネイティブの子供は根気よく付き合ってくれると何かの本で読んだことがあります。 お話参考になります。 ありがとうございます。

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noname#118466
noname#118466
回答No.2

全然悩む必要はありません。(外語大生なら別ですが) 日本人は話せない語学恐怖症に陥っていますが、日本のように島国で外国人の入国を厳しく制限している国では 外国語を勉強しても話す機会がなく、話す必要もありません。 社会人で語学が好きな人はどの外語でも何ヶ国語でもマイペースで勉強すればいいと思います。人にとやかく言われることも、それを気にすることもありません。期間の制限もありません。生涯学習で10ヶ国語目を勉強中に 天寿を全うしてもいいのです。 人の為ではなく、自分の為に目的をもって勉強を続けてください。私の場合は趣味のふくろうの研究がきっかで 色々な言語をすこしづつかじってHPを読んだり、いつか その国を訪れるかも知れない日を期待してこつこっつと勉強しています。そのひとつエスペラント(語)は母国のない人口国際語なので、必要に応じて世界中のエスペランティストと文通したり、年一回の世界大会で話をすることができます。今年になってフィンランドのエスペランティストと文通を始めました。誰の母語でもないので全く平等にお互いに外国語として文通したり、話すことが出来ます。楽しいですよ。

wowmakotan
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 確かに日本では外国語を話す必要がないのですが、今の時代は外国へ行くことも珍しくなく、在日外国人も多い中、外国語ができる、わかるというのは意味があると思います。 自分の為に目的を持って勉強をするということでもいいのですよね。 相手の国の言葉でというよりも、お互いが外国語になる言葉での交流はまた格別なものがあるようですね。日本人同士で英語で話すということもその一つなのでしょうが、お互いがネイティブでないことを大義名分にしつつ気楽にぶっちゃけ英語で楽しく会話できたら楽しいと思います。どうも日本人は完璧を求めるので、不器用な英語を使うのが無性に照れくさい気がしてしまうことが多いのですが、それはよくないですね。 お話参考になります。 ありがとうございます。

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回答No.1

こんにちは、語学を勉強している者です。 「話す」という能力に関しては、母国語でも話すことが苦手ということであれば、別に無理に話すことはないと思います。同じ言語を学ぶ人間にもはやり「話すこと」が得意な人と「話すより文法」が得意な人といろいろいます。  文法が得意であるなら、翻訳といったかたちで活かせるということもありますよ。翻訳といってもいろんな翻訳があるわけですが・・・。  語学を勉強することに楽しみを見出していらっしゃるなら、無理をして話せるようになることはお勧めしません。それで楽しくなくなるのであれば、話す能力ではなく、語彙や文法の能力をあげるといいと思いますよ。

wowmakotan
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 母国語でもあまり話すのが得意でないという意識が、逆に外国語を上手に話したいという願望につながっているのかも知れません。だから本当はたぶん『外国語を話したい』のだと思います。 翻訳の醍醐味に関してはまだよくわかっていないと思います。一度通信講座を受けたことがありますが、これは外国語の知識のみでなく、そもそも日本語の力がまず足りないと実感しました。 それだけに続けていけばいつか上達し実力がついていくものかも知れませんが、どうもその点において忍耐力が足りないと自分で思います。 なぜ外国語を勉強したいのか・・・こんな奥の深いものを・・と思います。 習わなくては全然理解できない言葉が、暗号から意味を成す言葉へと変わるプロセスが面白いのだと思いますね。あと、私は人付き合いはあまり上手ではないのですが、やはり、日本人同士でも日本語で心が通じないことがよくある中で、外国の人とその人の言葉で心が通じていると感じられる瞬間というのはなんとも言えない喜び、満足感がありますね。 相手の言っていることがわかるというのは実に面白いことです。 お話ありがとうございます。

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