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アメリカと日本の歴史
真珠湾攻撃について色々調べましたが、難しくてなかなか完璧に理解ができません。真珠湾攻撃は経済制裁が理由でおきたということですか? アメリカはアジアの日本がどんどん成長して、アジアを支配?していくのが気に入らなかったというのが原因と考えてよいのでしょうか? なぜ日本はハワイを攻撃したのですか? 勉強不足なので、なるべくわかりやすい言葉でご回答いただければ幸いです。宜しくお願いします。
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- tanbonokakashi
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アメリカ資本主義にとって、当時の中国は魅力ある市場、即ち潜在的な大きな貿易相手国だったと思います。その市場が日本の独占市場になれば、これはアメリカにとって大きな損失です。従って彼らは門戸開放を唱えました。つまり中国市場をアメリカにも与えよ、ということです。門戸開放策は、武力をともなっていませんから、相対的に正しい政策でした。 しかし、日本の武力的な中国侵攻は中国人の激しい反日運動を引き起したので、アメリカはこれを利用して中国市場を獲得しようとしました。これが日米戦争の背景です。 歴史の流れを見ると、15年の21箇条要求、31年の柳条湖事件、32年の満州国成立、37年の盧溝橋事件をきっかけとする日中戦争の勃発など、日本が中国への侵略をエスカレートさせるたびに、アメリカの対応も厳しくなり、経済制裁もエスカレートしてきたことが分かります。当時、日本の最大の貿易相手国はアメリカであり、石油などの戦略物資はアメリカに頼っていましたから、経済制裁を受けたら日中戦争を継続できません。そこでインドネシアなどの石油資源を獲得するために南進策を採る必要が出てきたわけです。しかし、アメリカがそれを黙認するはずがなく、石油の日本への輸送が妨害されることは目に見えています。そこで石油輸送路を確保するためにアメリカ海軍を叩いておく必要が出てきました。これが真珠湾攻撃となったのです。
- modoki666
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日本と中国の戦争は、中国側には援蒋ルートといってアメリカやその他の国々が支援するルートがありました。非公式なものではありましたが。 そのルートがあるために、日本軍は、完全な勝利をものにすることができません。 そのルートをたたない限り、戦局が好転しないと考えた日本軍が、南進といって現在のベトナムやインドネシアへ、出てそのルートを断とうとします。 そこには、欧米の植民地がありました。もちろん石油資源もあります。 日本軍が中国国内で戦う分には直接欧米の権益を侵しません。 もちろん、石油も売ってくれるでしょう。 そこで、直接アメリカと対峙する場面が出てきます。 アメリカも非公式な形で、日本と外交交渉を行います が、日本側の思惑はアメリカ太平洋艦隊を、たたき、援蒋ルートが機能しなければ、日中戦争のこう着状態も、日本の勝利になり、その上でアメリカと外交交渉を、行えると見ていたと考えられます。 その期間を1年半と見ていました。 真珠湾の艦隊をたたけば、時間稼ぎにとって、最も効果的だと考えました。 アメリカは自分の権益さえ守れればよかったのですが、真珠湾攻撃によって、徹底的にたたくべき相手に日本がなったわけです。 アメリカの参戦は、中国側にとって非常に有利になりました。非公式なものが公式なものになり、日本軍が両面で戦う必要が出てきたからです。 以上参考になれば。
- netcatme
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当時の米国の世論は感情的に今の中国に同情的で、しかも、中国には諸外国の列強の支配が入っており、中国での日本の戦争は国際批判の対象となっていました。また、当時の米国政府はヨーロッパでの戦争に直接協力したがっていました。そこで、ドイツと同盟関係にある日本に圧力をかけてきたと言われています。経済制裁については、そんなに極端なものはなかったと思いますが、非公式のハルノートと言われる通告では石油の輸出の停止を宣告しており当時石油を米国にたよっていた日本にとって戦争を決断するのに十分なものでした。
- gutugutu
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