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文系の人はどうやって社会で自分の知識を生かすか
文系の人というのは大学で学んだことを直接社会で生かすのが難しい場合もあろうかと思われますが、 そうした場合どうやって自分の知識を生かしているのでしょうか? 実例等を交えて説明していただけるとありがたいです。
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私は巷で不用論すら出ている文学部に所属しています。 おそらく、「社会で役に立つ」「社会で知識を生かす」という場合、三つの意味があるのではないかと思います。 (1)収入を得たりキャリアとする上で役に立つ知識として。 (2)収入には直結しなくても、現状の社会の規範や構造、原理を前提した中では価値あるとされる知識として。 (3)そうした社会自体を問うていく知識として。 多くの回答者のかたが考えている「役に立たない」「実社会で得た経験の方が役に立つ」というコメントにおいて前提されている「役に立つ知識」は、(1)か(2)の意味ではないかと思われます。 しかし、もしも文系(特に文学部における哲学・文学・歴史・社会学・心理学…)の知識が役に立つとすれば、(3)の意味においてです。金には全くならないでしょうが、「人間とは何か」という根源的な問いを常に突き詰めていこうというのが、(3)の知識ではないかと思われます。 歴史学を例にあげてみます。一般的には歴史が役に立つといえば、「信長に学ぶリーダーシップ」というように、現状社会の中で有益な成果を出せるためのヒントを探す、というものでしょう。しかし、こういう見方もあります。つまり、われわれがいま当然としている価値や規範などは、歴史的にいつどのようにつくられてきたのか。ある考え方の様式がいつどのようになぜ形成されたのか、と知れば、ある種の「常識」は実は何ら当然のことではない、とわかります。すると、現状の社会のありようを自然で当然のものと考える必要はないことが明らかになり、これを相対化することが出来ます。 例えば、「黒人」という「人種」は、ヨーロッパ・アメリカの奴隷貿易が活発化する中で、これを正当化するために構築された概念で、それ以前には「人種」で人間を分類するという概念が存在しませんでした。このことを知れば、「人種」による分類やそうした分類によって物事を理解することが、当然のものでも自然なことでもないことが明らかになります。そうすれば、所謂「人種問題」の考え方もかわってくるかもしれません。 ※ ちなみに、「社会」という言葉自体、明治時代にできたものです。われわれが「社会」と普通に呼んでいる概念自体、普遍的に存在するものではないのかもしれません。 もちろん、哲学や社会学、人類学、心理学なども同じことではないかと思います(構造主義人類学が西洋中心的人間観に与えた衝撃、無意識の発見が合理主義的人間観に与えた衝撃…などなど)。 もし文系の知識を社会で「生かす」ことができるとしたら、我々が当然なこと、疑いようもないことと思っていることをも、根源的に問い直していく、そのような知としてではないかと思います。他の考え方ももちろんありえるでしょうが…(もちろん、(1)(2)(3)は絶対的に区別できるものでは必ずしもないとは思いますが。また「問う」ということは必ずしも「否定する」こととイコールではありません、おそらく)。 知識を「直接生かす」というのが、(1)の意味でだとしたら、それはちょっと難しいでしょう、研究者か教員にならない限りは。(2)では、いわゆる教養人のたしなみ、でしょう。(3)の意味でなら、社会で生かせるでしょう。それは、社会のあり方、人間のあり方、そして自分自身のあり方をふと立ち止まって考えるためにです。 曖昧な書き方で申し訳ありませんが…
お礼
以前、日米紳士協約の質問に唯一答えていただきありがとうございました。 私も現在どのようなことを勉強したら社会に出て役に立つのか少し悩んでいますが、 どんなことでも役に立つと思えば何か張り合いが出てきます。 なお、人種の件、社会という用語の件、 勉強させていただきました。