• 締切済み

『死』を覚悟するという事。(自殺話ではありません。)

あけおめ。ことよろ。 ホントはふざけている場合ではないのですが、今年、父を亡くします。昨年、癌の手術をしたのですが、術後に転移していたことが判明し、もって半年と言われました。正月帰省し、本人と会いましたが、元気だった頃の面影はさっぱりなく、見ていて痛々しく、どうすることもできない自分に情けなく思っています。ちなみに本人には告知していません。そのため私も(家族も周囲も)本人の前では普段のように接しています。親戚と(父はいない親戚の家で)話したときに、その人からは涙をボロボロ流しながら「お前がしっかりしろよ。頼むぞ」とも言われました。おそらく母や兄妹、友人みんな、私の知らないところで泣いているんだなと思いました。 私は生きている以上、「死」は乗り越えていかねばならぬ宿命と常に捉えていました。だからその分だけ悲しみが和らいでいるような気がします。その時どうなるかは分かりませんが・・・。 本文を読まれた方で、もし、今の私のような気持ちを経験した方がいらっしゃいましたら、どういう風にその日が来るまで相手に接し、そして自分の気持ちを整え、その後乗り越えることができましたか?。難しい話ですみません。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

みんなの回答

  • dokuson
  • ベストアンサー率33% (8/24)
回答No.3

たいへんですね。 私は現在42歳ですが、 10年ほど前に肝臓癌で父を亡くしました。 肝硬変から発病したものですが癌が見つかった時には 余命半年と宣告され、その半年後に逝ってしまいました。 私も以前アウトロー生活をしていましたので割合、生き死にという物には抵抗力があったとは思いますが、 友人や親戚との死別は有りましたがごく近い親族の死別を 経験していなかったので、死という物をまざまざと実感した様な気がします。 亡くなるまでの半年は、当然本人に気付かさない様に気を使いましたが あなたと同様私も同居していませんでしたので、出来るだけ顔を 見せるようにした位でした。  ただ神仏に手を合わせる事を心がけました。 それらが救ってくれるか否かと言う事より、父が近い将来人生で最大の試練を迎えることに対し出来る限り応援をしたい気持ちでした。 最期まで戦えるように。 そして少しでも悔いなく逝けるように。 はっきり言って父が死んだからと言って私の体が痛い訳でなく苦しいわけでもありません。 何も変わらないのです。 にもかかわらず、父は無いのです。 この矛盾したような感じにはなかなか慣れませんでした。 多分それを淋しさとか悲しさと表現するのだろうと思いました。 こういう事を克服することは特効薬を持って出来うる事ではないと考えています。 しかしその経験によって死ぬと言う事、生きると言う事、神仏と言う事、娑婆に残った者の事、親兄弟の事等々… 深く考える事の必要性を知った様に思います。 多くを学ばせて貰った父親から、 最期に人間の尊厳を学んで頂けたらと考えています。 長文私話多く失礼致しました。

akushu2
質問者

お礼

ありがとうございます。色々と共感させられました。 自分にはうまく表現できませんが、なんというか、命の灯火が消えるまで、父がやすらかに旅立てるように精一杯尽くします。

akushu2
質問者

補足

みなさん、どうもありがとうございました。 辛い経験をしてきたみなさんが、こうして見ず知らずの私に共感していただき、あらためて人間って素晴らしいなと思いました。ポイントは発行せずに締め切らせていただくことをご了承下さい。 ちょっと辛くなったら、またあらためてここを読み直したいと思います。ホントにありがとう。 気分転換にほかのところにもひょっこり現れると思います。気付いたときは、「あ~コイツ、まだまだ元気してるな~」と、温かく見守っていただければ幸いです。 では!。

  • SuperBlue
  • ベストアンサー率22% (11/49)
回答No.2

 如何に誤魔化していても、日に日に弱り死に近づいていく自分を知らずに(無視かもしれません)はいられないと思います。それがどうであったかという評価は、自分自身では出来ませんが、告知することも(私はそうしましたが)しないことも、正しい選択だと思います。  人間に限らず生き物は、「自分を生きる」ことが存在の目的だと思います。その意味で、自分の死を意識しなければならない「人間」という存在は、自分を生きられなくなった時、自分の生命の限界を知った時が一番つらいと思います。  お父さんが、自分として生きられるように助けることが回りにいるあなた方の役目だと思います。

akushu2
質問者

お礼

ありがとうございます。 今までに経験した他人の死とは全く異なる不安感が、ふとしたときに押し寄せて、自分が別世界を彷徨っているような、変な気分に陥ってしまいます。 くじけずに、最期まで、自分に出来うる最大限の親孝行をします。

  • hinemosu
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.1

昨年、父を見送りました。まだ38歳という若さでした。 大切なことは、告知しないと決めた以上、 演じきる覚悟を決めることだと思います。 私は演じきることができず、父に死を悟らせて しまいました。 「退院したら…しよう」という話をしている時に、 もう2度と父は病院から出ることはないのだという 事を考えた瞬間涙がでてしまいました。 演じるつもりなら、お父様は生きて退院すると 心から信じ込まないと、ムリだと思います。 それからの父は急速に弱っていきました。 また、私の父は入院してから1ヶ月で亡くなりましたが、それでも家族は精神的にも肉体的にも ボロボロになりました。 入院当初はは父の最期が恐ろしく感じたのですが 苦しむ父を見るうちに早く死なせてあげたいと 感じるようになりました。 亡くなった時には、「楽になれてよかったね」 という気持ちでした。 長期の闘病になれば、それだけ家族も 体力、精神力の勝負になります。 パワー貯めてがんばってくださいね。 長くなってしまいましたが、後悔の ないようお父様に尽くしてあげてください。 もう私にはムリなので…。

akushu2
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も最期まで悔いの残らないよう、精一杯尽くします。

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