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劣化主義を造ったら新思想たりえますか?
劣化とはネガティブな言葉ですが…今のところ、ほかには特に頭に浮かんでいませんから…この言葉(劣化主義)で(当面)行かせて頂きたく思います もとより、世界は動いていて、最高を目指すようにして進化し、最先端を目指しているかと思います かつて「一番じゃないとダメなんですか」がバズったはずですが、確かに一番乗りでないと特許が取れないし、一番だけが特別扱いですから一番を目指すし、それは完璧でありたい強迫観念と似ていて、逆に完全主義が一番だけを目指すスポーツのような在りかたに似て(※まあ、これまでは少なくとも「当選だけを目指す」選挙というのが当然あったわけですが、先日は「候補者自身は負けても誰かを当選させる」選挙戦略が現れたので、これまでの選挙は「当選だけ目指し選挙」(レトロニム現象)ということになりましょう…)スポーツでは「一番を取らなきゃ(勝てないと)、死ぬ病」という「病に至る死」みたいなことがあって一番以外は敗者で「敗者量産ゲーム」がトーナメントかと思ったりする感じです ところでジャズの即興というものはザックリいえば和音と旋法のような縦軸と横軸みたいにして定まる音の範囲を用い、後はノリ~スタイルで自由に演奏しうるでしょうけど上がったり下がったり繰り返す音の選びかたは、一流のプロであっても瞬間瞬間の感覚に忠実でもオーディエンスの納得できる伝説的パフォーマンスの成立をみても通常は或る意味「適当」かと思えて「天才」が「好調の時に」、ないし「時間をかけて」音選びをし、淘汰を経て残ったフレーズと(ジャズにもスタンダードというのがありますが)即興とでは比べるのは云云ですけどそこには優劣が云云かと 今のはクラシック音楽と比べたわけでジャンルの違いといってしまえばそれまでかもしれないが、プロの音であっても実は「劣った」何かを受け容れて別の道を進んでいるのだろうと思うのです そしてクラシックにしても指揮者が特別な才能を持ち、全体を一元的にコントロールしてこそ一人の世界観がステージに現出するのだろうけれども楽団の他の人人が指揮者に合わせるだけならば 指揮者のいない音楽は、まあバラバラの演奏になりもしうるが劣ったものの集合で取り留めが無くても、ぶつかりあってこそ、それぞれの音楽への拘りと主張が込められた音楽にはなりうるかと 私達は日頃、相手選びで「ルックス競争」があって少しでも上が良いとなって低位ランクの人とでは格落ちかと、人生の敗北者のように体裁が悪いし、高望みと誹られようとも寧ろ低位ランクの人が上を得る喜びとなる下克上の余地が許されている感じで、ランク上をゲットして「差」を取り込めば得をえられると、がめつさ全開で日日臨んでいる只今「戦中」派の卑しさが大なり小なりで蔓延しているかもしれませんね 我我は生活水準を落とせないから大企業から自らが切り離されえず(世界は寡占化を進めているようにも見えますが中小企業が「整理」されて大型チェーンが街を占めていくのは、彼らが万人に分け隔てなく均一でユニバーサルなサービスを、多数派向けではあろうけど、比較的中立な世界観・価値観で提供できるのもあって)、大企業依存というのから離れられないわけでしょう しかし、では有機野菜のぼろぼろみたいな野菜のように(わざと有機に視えるボロボロ品種を開発しているのかもしれませんが)、生活のクォリティを落とし、社会の権威や多数派が低ランク指定したものを受け容れ、ただし、嘲笑われないように多数派と距離をおいて生きていく(お互いの低クォリティを許しあうことは既に、常にあるでしょうけど)、様様なことに全面的に、それをし、競争力は或る部分では集団的に下がるかもしれないが楽になって、リラックスして、競争から落ち着いて生きてい(き)たく、又は、そういう道はないかと思いますが、新思想でしょうか(?)、既に一部では、相当前から行われている気はしますが(苦笑、何か肯定的なご意見ご感想また、情報などはございますでしょうか)? (※全ての乱文・誤字・誤記等をご容赦くださいませ) (追記、諦めて生きている人は多いかもしれず、然も戦略的に諦めている人が多いかとは思いますが、しゃかりきに生きるのを落としてユッタリ優雅に生きるのを「社会是」として生きられる場を造ることを思っており、やはりかで個人が少し下を目指すのでなく、地域小エリアの価値観集合とし、そういう可能性を目指したいのですね、上になれない、さりとて革命は無理というか、革命しても変わらないというか、どう革命するのかだけれども小さなエリアとか、ネットワークではシャカリキ一番というのを外しましょうと、この考えをスタンダード公共化シェアできれば)?
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- KEEPYOURMIND893(@fmaj11)
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沢山の思いがお礼にて こちらに確りと伝わりました ありがとうございました。 ピアノは弾けないんですよ 譜面上で和音階にしていき ギターで弾き確認しながら修正します 完全な趣味ですよ DTMではなく紙譜面で手書きでしてます、YouTubeやSNSにラインも一切しません~対面した人とだけの交流で唯一、このサイトを偶然見つけてたまに回答&質問するくらいですね。 ベートーベンのピアノソナタで ピアニストはエミールギレリス(ウクライナ.オデッサ出身)が好きで~月光 14番 嬰ハ短調 とか好きです。 今は楽曲募集サイトが沢山あるので応募して みては 如何ですか? 貴方の才能を認める誰かが必ずいますよ 影ながら 応援します。 頑張って下さいね
- KEEPYOURMIND893(@fmaj11)
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初めまして。 繊細で多感な方ですね。全て話には語れませんが... まぁ~ジャズとクラシックの話なら少し出来ます。ジャズはクラシックから色んなルールを省いてアメリカで作られた音楽です、難しさに於いては超古いですが断然クラシックですね。究極な音色主義なのでクラシックはリスナーの耳に入り易く心に響きます。演歌もクラシックを元に民謡とヒュージョンした音楽です。 和音階(A-ならレソ抜き)が大好きです。 クラシックのピアノソナタを全て和音階にしてたりして楽しんでます。
お礼
>初めまして ありがとうございました >繊細で多感な方ですね ありがとうございます、まあこれでもね、アマチュア大作曲家(苦笑)ですから… >全て話には語れませんが... こちらで(私が)話を拡げさせていただくつもりです(すみません) >まぁ~ジャズとクラシックの話なら少し出来ます >ジャズはクラシックから色んなルールを省いてアメリカで作られた音楽です アメリカですか、アメリカは移民の国で独自の音楽をヨーロッパ文化から作ったのですかね 日本独自のものは遡って縄文でしょうか、日本のルーツの縄文の精神による文化は後世には存在しないようです 演奏スタイルの縛りが強そうなジャズは、自由とは思えませんし、私は自由で平和な縄文の音楽を作りたいです >難しさに於いては超古いですが断然クラシックですね そうですか、そうなのかとは思う場合にも、(そこなのですが、)楽典や形式を省こうとも(聞き覚えた感じで、完全に感覚で)古典的な響きの曲は作れますよね? 寧ろ、形式が崩れているけど美しい音楽で…古いテイストで貫徹する曲は作れますよね? >究極な音色主義なので そこですけど、クラシックは今は(昭和頃の電気式の再生装置ですか、巨大なスピーカーとか、真空管アンプか何かからで、何かしら響きの…良い)「音」で聴く感じですけど(それに、抑も、指揮者ごとの「音運び?」のバリエーションをマニアが聴く感じですけど)クラシックが古典の響きでどんどん作られている“現役”時は新「メロディ&伴奏部分」に興味が行っていたはず…かと >クラシックはリスナーの耳に入り易く心に響きます クラシックのほうが、私はドラム&ギターで高度成長期のや昭和のメカトロニクス工場のごとき機械的なリズムを刻む金属的な曲よりも、(流動的な、風や木や水のように伸びやかな、できれば軽く爽やかな、木陰では切なくも明るい部分の多い、金管楽器を使う場合にも柔らかい、そして)新しい(、)宗教音楽を作りたいのです(神がいない宗教の、例えば「自己讃美」歌ですね、苦笑) ともかく神はいなかったと思うので、バッハの宗教曲は目的においては無意味的かもしれません(捧げる相手が神ならそれは存在していないでしょうから…) 私は、劣化芸術として、理論がまるでわかっていないアマチュアによる(理論)フリー(の)クラシック(?)の作曲BGMで宗教施設のチル空間(?)を作りたいのです(高い棚があるならボーズか何かを置くか、通常は吊り提げ方式なのですかね、高額な防音設備完備で、苦笑、法人格が得られる宗教環境としてね、24時間といっても繰り返しですがバッハの長大な受難曲のようなもので宗教的なリリックを叙事詩のように曲につけてですね、演奏家のつごうで極少人数の生演奏の時間帯には“プチプチに小規模なオペラ/ミュージカル仕立てで礼拝儀式”の…ようにしてですね)?? それと昨日、成り行きと都合で(??)久々に(テクノポップの)クラシックスタンダード(古典的な名曲)を聴きましたけど、当時テクノポップは国内外で「来るべき電気未来・電子未来」みたいな感じで、文明の技術革新が一気に出揃って恒常化する社会の変化(近未来)と、そして何よりもといいますかで「新しい音楽」自体に期待を抱いている時期かと思いました(多少とも今も続いているのかな、形を変えて、もっとテクノロジーの発達に期待しているのかな、と)(?) それと関連して最近、気になる問題点としては人工的に新しい音楽(芸術)を造ることで、過去の芸術の「進化運動」のようなこと(モダニズムの系統)では「時代の気分や文脈を読んだ曲」、「推理して特定された『今の時代』に求められる曲」、「戦略的に未来を造る曲」、「体制に肯定的で未来に楽観して未来を歓迎する商業曲~翼賛曲」みたいな方向(ありかた)に興味を抱いたわけで 過去のありかた(特にテクノポップにも既に、そういう発想があったかな、とは思いますが(極端な場合、体にケーブルを繋ぐかは判らないですが仮想現実への“世界国民”、大衆の封じ、閉じ込めも含めて)荒廃して退化していくかもしれない未来に対して肯定的に考えるということも宗教音楽の無意味性に似ている)ということでしょうけど逆に、私(我我)が新しい(劣化した音楽、劣化した文化)の担い手として、人工的に音楽を作ることになってしまいうる(戦略的に考えてしまうことがありえ)でしょう(素人「としても」出来ることしかできないということでは「予定調和」なのかもしれないですけど…) テクノポップや構成主義美術もですかね、「未来迎合して‥‥体制に忖度して‥‥流行や何々に乗って」期待や憧れを表現するだけなら若しかすると一過性(の、近レトロ未来)で、それは自然に湧き出る音楽(そういうものがあるならですが)とは違い、意識的な「別の音楽」ということでしょうね(※政治的に(プロパガンダ)として国民意識を、遡行するかに奴隷未来へと牽引していく社会主義リアリズム絵画路線から…か、同時に…もっと別の(?)退化音楽(???)を求めて新古典主義でクラシック本流でもあろうのにショスタコーヴィチに加圧したということかもしれません) ところで松本問題では、本人がカリスマなら犯罪も許されるということでなく、またはカリスマなら悪いことをするはずがないというのでなく、本人の性格や行動や思想と、芸(芸能・演芸)は別にして、人としてだめなら(犯罪と恰好悪さ)、コンテンツ(パフォーマンス作品、番組)が幾ら良くても切り離すという考えかたが可能かと思いますけど、逆に(言葉や、生の本人であることを使うトーク番組やMCでは…いわゆるネタとして作りこんだ架空のコントでない場合に)、本人としてエピソードトークを(事実として話しているのに嘘をついたり、意識的に話を盛るのもおかしいけれども)する場合に、本人の犯罪容認思想がそこに現れているなら寧ろ分けて考えるのは疑問で、法治国家であることが基本の日本の文化として認めたり、例えば叙勲はありえないと思います ※(ちなみに肝心の熱狂的なファンが騙されている裏切りか、ファンは分かっていても犯罪事実よりも娯楽部分の享楽・快楽(結局は人を蔑む意味で犯罪に近しいでしょうけど)を優先したのかと) >演歌もクラシックを元に民謡とヒュージョンした音楽です そうなんですか? 悪の吉本興行史を紐解くと芸能史にもいろいろあったようですが、古い民謡がクラシックという繋がりは初耳(新鮮?)かもしれません(民謡の歌詞はユダヤ人と繋がりあったりして同祖論ですか) >和音階(A-ならレソ抜き)が大好きです 私のほうは、一度お聴かせしたい(曲がある)し、ベタな和風の曲が得意で(これは、作曲的には、和風が身に沁みていて私にとっては和風のほうが楽だからでしょうけど、ただ私の場合、ベタな使いかたをするので、いわば「ダサダサ」、「コテコテ」になってしまうというような問題があり、早い時期から避けている感じもある自分の作曲人生かと思いますが自分の話で何ですけど…) >クラシックのピアノソナタを全て和音階にしてたりして楽しんでます そんなことができるのですね(凄いですね、どんな感じになるのかな、基本、どんな曲でもできますか、どこかで…YouTubeで聴けますか)? ありがとうございました(これに懲りずに宜しければですが何かの質問で又お願いできればで、ただ若しもアカウントが制限されることなく続いていれば、で…しょうけれどもね)?
- toka
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1960年代のヒッピーとか、80年代くらいからの「だめ連」とか、そんな人たちは昔から一定の割合でいるような気がします。
お礼
ありがとうございます 鋭いご指摘でしょう 思い出しました… >1960年代のヒッピーとか (この運動は)? 脱体制だけでなく、既成の価値観(世俗)を「多数が」否定するような意味で、重要な運動(?)だったかと思います >80年代くらいからの「だめ連」とか オモシロ企業名でもありえないようにして、「ネガティブな言葉」を組織名に於いて付して標榜しており、当時の私は関心があったのか、もちろん昔に一度は集会に参加したかと思います >そんな人たちは昔から一定の割合でいるような気がします これはニートの走りですかね、多くのヒッピーは放浪するようなので資金が要るなら日銭を稼がないといけないはずだし、語学力が無いと世界を回り辛いでしょう(話せるのだったら通訳はできましょうね)?? その辺りから疑問なのですが、これも全共闘運動のように「学力者(学歴エリート)の」運動なのかもしれずと(多読者が偉いというような感じ)? 多くの彼らが東洋的な瞑想をしたかに言いますけど(ニューエイジ、スピリチュアルの系統かな)、インド宗教に結びついたりすると奥があるために“深学”が必要なら、読書習慣の強固な人と、ここでまた洋書を取り寄せたりして語学力が必要になるかと思えてエリート主導だったのでないかと想像します 確かにラジカル、ドラスティックな脱社会であれば私のいう劣化主義の源流であるようにも(歴史の繰り返しに過ぎなく)思いうるでしょうけど、どこかが決定的に違う感じがあるのですが、私の劣化主義は(本格派の学科論文主義や、入試・在籍で認められる正統な芸術スキル‐トレーニング)(?)の、外に在る(又は落ち零れたり、異端排除を受けた人達のものである)気がします(ですから淡路‐落ち零れ文明集落、劣化文明造りみたいな方向性なのでしょうね、通常、大概、必ず生じてきうるであろう“一定数”の、受け皿…みたいな感じでの、ですね) まさに、だめ連が逆の意味でそうでしょう(これは、自己の、だめ認識の人の受け皿で、だめ認識にのみ自己規定される、だめ認識の人同士の合コンお見合いの世界かもしれません) 恐らく、「だめ」というのは、象牙の塔では一定のステイタスがある(オウムと同様に高学歴で社会的価値が担保されているから、サタニスト閥・大陸半島周辺人枠(同志同士というの)もあるかもしれないけど、社会のエリートジャーナリズムがニュースバリューを認めて採り上げる)が、世俗の…中低学歴が多数派の世界では浮いているか、端的にモテない、みたいなことで“むさくるしい(??失礼)”男性主体で、ここに同様に「だめ」自認の女子を採り込んで需給を釣り合わせようという自覚・無自覚共有の企図が有ったのではないでしょうか? 彼らは今でいうコミュ障とは程遠い感じでテレビ取材に能弁だったかと思います(不満ですか生き辛さとして何に困っているか熱い思いを語る役回りを与えられ、水を得て形式的には「だめ」では即、なくなったかもしれず、地味に有名在学者でなく顔売レ(有名人化)し、TV時代には多数世俗中心に躍り出たはずなわけで、顔バリューがモテるに少なくとも一助となりうる口説き材ならと)? (※ただコミュ障も自身に合うかどうか場所によっては雄弁と言われましょうから、(完全に)区別できるかどうかは…ですが)? 私が集会に参加して気になった点を2つ挙げますと、一つは小集会のゲスト的な人にですかね、(集会の)初め、私としては「多分テレビ拝見した人」ということかで御近付きの辞(?)を述べたはずですが「テレビなんか何ボでも出とる」みたくに逆上せた(苦笑)マウントを取ってきて先ずは格の違いを固定されたような感じでしたけど(学歴者の内外からの価値の拠り所が伝統書物である人々でしょうけど)、テレビ全盛でテレビで一般社会でブランド化しているはずなのに(何冊か出版でも儲けたろうことはあろうとも)テレビ露出など有り余っているかにメディアを下げてみせ、相対的に、上に(から)出るというようなですか(苦笑) 今、良いところで思い出しましたが斜陽テレビ衰退期ですかで「私のいう劣化主義とは似ても似つかない姿勢で良かったな、たとえ注目される日が来ても(現(旧)文明から離れるなら永劫的に来そうになくか、その意でも淡路とか、更に遠い将来には岡山・奈良・NYで静かに世界を繰り広げるなら来なくて良いはずだけど調子に乗らされずに)? ああはなるまい」みたいな(苦笑)かと もうひとつですが…そのように集会で行き成り驚かされた展開かでテーブルを囲む場で私が護りに入る態度というか、当時こそ真面目というか、ビビッていもしただろうし、多分、そうでなくても特に話すことが無く、ドン退いていたというか、私のターンで場が白けていた(苦笑)かと思いますが当時の少年連続殺傷事件に社会への鬱憤を重ね、屈折し、それこそ「こじられせた」「だめ予備軍(高学歴他者が多かったと思います)」の、一人でしかなかった(私のは結局、それにも真っ向離反する形で病根が深かったでしょうけど)からか、ナイフという言葉が出てしまい、「ナイフ、そりゃあいい、そういうのが聴きたかった」みたいな悪食い付き(?)されて後が続かなかった(苦笑)かのような件をぼんやりと憶えているというような感じです(にしても歳を取ったかな)? これは、話の面白さが過激さ、怖さ(残虐、暴力、血)、重さ…それから何かな、そういったネガティブな、それを当然の如く明るく笑って(暗いのは苛められる当人かで)余裕を見せる「強者優越感連合」(仲間を大事にし、仲間さえ良ければ一般人が泣いても良い、人が様様に、意外なノタウチで苦しんでいる様子は笑いに出来るというなら、正に芸能界にも繋がるかと思いますが)の、傾向が出ていたのではないか(例えば昨夜の居酒屋的料理店で、それ位で酔うなやと女子がマウントを取るみたいにして、無神経オーライな「世俗感」にみる弱者攻撃にも通ずるかと思いますが)、つまり松本文化の土壌が既に、この時に出来上がっていたのだろうと(萌芽というか、ニーチェの民が処刑に蜜を味わい、弱者の遺骸を踏み台にして栄え続ける器用な桜保守に鬱屈する評価不足に苛立ちを巧く隠しきれない左派といいますか、)そういった左右エリートや、自分達を縛ったり、見下げきて、いざとなれば唾棄してきうるエリート/上位階級を有り難がる日常崇拝姿勢の腐敗民とは別次元で地獄をみている落ち零れが、プロフェッショナルな娯楽でなく(ビデオ・ダンス・ゲームで達人が創造するのをただ視ているのでなく)、例えば学芸会レベルで下手な芝居を仲間内でやる文化実行・相互(自己)周辺劣化文化享受を(自分達のために)担うのが劣化主義の方向性(日日の在りかた)だろうし、昔、私が述べていた三叉図上の「下翼」とは、それだったのだろうし、その劣化文化を維持するには保護貿易のように(そして…更に言えばなのでしょうけど棲み分けて侮蔑の目から隔離(?)されている必要があるかな、と思うのです)、劣化は隠し護らないと(露出の逆、これこそが社会から外れた者が焦り、Iターン、遅延・紆余曲折Uターンを急いでテレビ・ネット‐メディア露出で市民権をえる復帰の如き形でなく、小規模循環で自足するという道なのではないかと…) ずいぶんとヒッピーだめ連とは遠い地平(?)にきてしまったようですが、お蔭様で拓かれたといいますか、わざわざ唱える程に…自分(達)に独自性はあるのか、今は無くなっている…それらの運動と同じ(復興、再供給)で良いのか、その辺りにも…図らずも答えが出たように思います(ありがとうございました)
お礼
>沢山の思いがお礼にて こちらに確りと伝わりました ありがとうございました こちらこそ、温かい励ましの御言葉を有り難うございます(ご丁寧に、恐縮かと) ────以下、まったく読まれなくて大丈夫です(本当です、少し、幾つか、嫌な書きかたをしてしまっているはずだし、すみません)、ありがとうございました(さようなら) >ピアノは弾けないんですよ 譜面上で和音階にしていき ギターで弾き確認しながら修正します 完全な趣味ですよ 私も楽器は全く弾けないに近いですね、義務教育では多少習うので楽器ゼロの人は余りいないと思うけど私の場合には子供の頃、クラシックギターを習わせてもらったけど、スケールを弾くルーティンとかで(勉強不足~練習不足で)挫折というか… >DTMではなく紙譜面で手書きでしてます 私はDTM方面だけですので紙譜面が書けることが凄いです(お世辞でないというか、私の曲を譜面化するのに既に百万ぐらい投じられているかと思いますから私からすると、それぐらいの価値でしょう) >YouTubeやSNSにラインも一切しません~対面した人とだけの交流で唯一 >このサイトを偶然見つけてたまに回答&質問するくらいですね というわけで、恐らく私の曲を聴きたくないというよりも、余り、見ず知らずの人とは、SNSやグループラインで関わりたくないということだろうと思います >ベートーベンのピアノソナタで ピアニストはエミールギレリス(ウクライナ.オデッサ出身)が好きで~月光 14番 嬰ハ短調 とか好きです ベートーベンのピアノ曲、いいですね、とくに月光では第一楽章はシンプルなのに人気があるようですね、終楽章も速いけどシンプルに思いますが(若い頃にソナタ集を聴いていたけど番号を間違っていたら御免なさい)、私はベートーベンに求めるものとして(偉そうですが)メロディが明快なのに複雑な曲が良いかもしれません(古典派なのにピアノでリズムを刻む感じも)(?)、ただ、私は或る意味、反クラシックになってしまい、聴かなくなって、でもギレリスは、よく聞く名前で、ただ誰が、どんな演奏とかが判らないならクラシックファンでは到底ないということでしょう (※ 全ての乱文、誤字、誤記等をご容赦くださいませ) >今は楽曲募集サイトが沢山あるので応募して >みては >如何ですか? ありがとうございます 現状が、よくわからないのです、何がどうなのか、たいていポップス系だと思うし、クラシックの作曲のコンペティションは、誰かに師事して、みっちり基礎を学んだ本格派が高度な現代音楽の大曲応募で人生を決める的なイメージがありますし、何が良いですか(回答不要)、さっぱりわからないし、怖いというか… 登録サイトは3つぐらいで、音響系のは審査に1つしか通りませんでしたし BGM使用料とかですか、それぞれ何円か、何十円(苦笑)かは帳簿上は得ましたが、とても払い戻しなんてない額で、その程度ということでしょうね もちろんYouTubeにも無数に挙げましたが悪い意味で御想像に(苦笑)、採譜業者さんは御商売柄(失礼)か、有名な人とかでないと無理ですよ、と慰めてくれたといいますか… 再生アプリで半年ぐらいかな、誰か聴き続けてくれているようなデータがあったのですが当然的に途切れたし、システムが判り辛くて、全くの勘違いだった(苦笑)かもしれません >貴方の才能を認める誰かが必ずいますよ ありがとうございます、具体的に私の曲を聴くことがなくても何か感じることがあったのかもと あるいは長い曲とか、多くの作品集の感想を求められたら大変かと思います(あの長文を読んで下さっただけでも相当労力かで貴重な御時間を食われてしまったかもですね、申し訳ございません) SNSはトラブルが多い場所で危険でしょう、御性別は判りませんし、ハラスメントになりかねませんが若し女性なら警戒せざるを得ないかと思います 私は歳を取り、しかも報われない人生と思ってしまいながらかですが、そういえば大昔、私の曲を当時の「テープ」で配布してくれる人がいたことと、お金で音楽を売り出してくれるサービスに参加していた頃に、趣味の無料コンサートで弾き語りで複数回、採り上げてくださった人がいて、アンケート結果は良かったようですし、ピアノが弾けないシューマン(再来)のように言ってくれた人もいましたが、それで終わりかと(※一人は、プッシュしたのに余りの失敗作に怒ったようで即、音信不通かで、そりゃ失敗作も偶には…って若しプロなら言ってはいけないのでしょうね、そりゃ場合にもよりましょうけど私でも失敗作を作ってしまった場合には長く内面の傷になりうるかと…) また地域で有名な人がファンができるだろうと言ってくれて売り出しかたの指導ですかを善意指導枠で受けましたが挫折し、授業料が提示され、ものにならないからでしょうけど、それで終わりかと 私は誰も聴いてくれないなら、淡路に私の曲「専用」の、例えば「ワグナーの音楽祭」を小さく毎日やっているような場(BGMで流して強制的に聴いていただく、苦笑)みたいなのをつくろうと思いました いろんなことをしないと夢は実現しないでしょうし、初歩入門のような英会話を初めて、会話練習で趣味は何ですかとあって、教材学習と会話ということで、作曲が趣味なら、それは、どんな曲ですかと、そこで急遽、YouTubeを流しましたが先方には聴こえず、リンクをチャットに貼ったけど、若先生を待たせ過ぎというか、(もう?)これでいいかとピアノ曲の動画ですが、静止画面の、文字を見え消し線で殴り消し(?)したような酷い画像でもあり、聴いて何か英語で言ってくれたようだけど授業に戻されました(苦笑)という感じだったと思いますかと 私は以前、コンクールに応募し、たぶん予選落ちで、それ以来、コンクールに冠がついていた有名曲を作ったバイオリニスト(判るでしょうね)の、名前を見るたびに不快というか、恨みというか(苦笑、まるでせいかがいをうけたひとがチャンネルを変えるような、悪いたとえかもしれず、すみませんが、そういう感じでトラウマ化しているようですね) またソニーのコンクールには百曲ほど(?)送ったこと自体が怒りを買ったということももしかするとありうるのかもしれませんが、それでソニーがもし将来契約を申し出てきても余所の倍の契約金(歩合、率)を要求してやろう、みたいに思った(苦笑、そんなことを思い続けるぐらい傷が深かった)かと思います >影ながら >応援します >頑張って下さいね そこまで言っていただいてありがとうございます、ただ、なぜ、こういう別れの言葉を言わせてしまったかというと恐らく、他の質問でも、お願いします、みたいに書いて(誤解を招いて)しまったので、そんな義理が出来たら大変なことになるはずで、じゃあ、なぜそういうことを書いてしまったかというと、私が和旋法化アレンジしたクラシック曲をYouTubeで聴けますかと尋ねたので、もしもリンクを貼ってやろうと思われた場合、その御善意の実行が可能なようにするためだったかと思います(いいわけがましかったかもしれませんが申し訳ございません(もちろん、これっきり(充分)かと思いますし、)ありがとうございました)