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キリスト教の歴史に詳しい方助けてください!
大学ので「キリスト教的自然観・世界観について」という課題がだされました。神、人間、自然の関係についてキリスト教的には、なぜ人間が自然を支配するのを神が許すのか、というところがわかりません・・・どなたか教えてください!
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コメントにはなりませんが、ネット上で聖書の内容を検討するのは間違った解釈を招く危険大です。 ネット上は匿名性が高く、何の責任も伴わないので質問主さんには参考にならないと考えます。 ネットを使うなら、教会関係の書籍を扱っているところで探すか、直にたずねる方が良いと思います。 ネットを参考になさるのは結局、間違った答えを探す作業にしかなりません。
- 1katyan
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すべてを私たちに託した。つまり愛し合うようにと 完全には支配しているのではなく一時的に委ねていると考えるほうがいいでしょう。 なぜなら聖書から見るなら黙示録に書いてあるように最後は神が支配するから、しかし難しい問題だな
- 1katyan
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神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう 口語訳と共同訳の違いでしょう 後これが神の愛というのかな・ 神は私たちをロボットとして扱ってはいません。 すべてを委ねた。これが契約と言う事につながるのでしょうか? 治めていく中で自分たちの行いを考える 経験し学ぶ 許しあう事を学ぶ そして発展させるとそこが本来の天国になるのでしょうか? ごめんね回答にならなくて
- apple-man
- ベストアンサー率31% (923/2913)
創世記の最初のところで、神は 人間にエデンの園の管理を任せた とあるんです。 動物と植物の管理は神にかわって やっていいということです。
参考として以下を読んで下さい。 原典に精通した学者たちは ●キリスト教に関して日本人の間にある誤解のひとつは キリスト教では人間が自然を支配していい、と思い込んでいる 誤解である(田川健三:著「キリスト教思想への招待」75ページ)。 といった主張をしているようです。 誤解の理由のひとつとして キリスト教とともに日本にもたらされた「近代西洋」があげられています。 ご存知だと思いますが、自然を「征服する」という姿勢が強くなったのは 近代西洋においてです。 もうひとつが、創世記の台詞 >神は御自分にかたどって人を創造された。 >神にかたどって創造された。男と女に創造された。 >神は彼らを祝福して言われた。 >「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。 >海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 の誤解です。 創世記一章は紀元前5~6百年以上前の思索であり ここには、人類が農耕や牧畜を始めることにおける反省 もしくは自己弁明が書かれているそうです。 引用した台詞には以下の文章が続きます。 「(神はいった。)また、全ての地の獣、全ての天の鳥 全ての地の上に這うものなど、およそ生命あるものには 食料として全ての青草を与えた」 つまり、人間は穀物や野菜、果物を栽培し、食料としてもイイのだ さらには、動物は青草を食べてもイイのだ。 神は動物たちには青草を十分に与えているから 人間は自分たちが栽培したモノを独占しても許されるだろう といった「農耕によって生きようとしている人間たちが その生活を自己肯定的に宗教信仰化した文章である」 (同著:同書の79ページ)。 ANo.3の回答でも触れられていますが 旧約聖書というのは、ヘブライの神話がまとめられたもので まあ、ぶっちゃけて言えば、ヘブライの昔話を ユダヤ人たちが信仰体系としてまとめたが、やがて排他的になり その排他性をリベラルに開放したのがキリストであり その言説をまとめたのが新約聖書だ、ということです。
- MGT
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詳しくは知らないのですが、キリスト教において人間が全ての生き物(=自然)に君臨するものと定められているのは、人間が自然の中で極めて弱い存在であるということの認識から来る恐れを和らげるために、神による支配権の委託という形を取っているのではないか?、という話を聞いたことがあります。 特に、キリスト教の、人間は神を象って造られたものであり特別の存在である、自然は神の被造物にすぎないといった思想が、自然を支配が許されることの根拠になっているように思います。 <知恵の書> 御前では、全宇宙は秤をわずかに傾ける塵、朝早く地に降りる一滴の露にすぎない。 *私、哲学の専攻でも何でもないんで、大嘘書いてるかもしれません 汗) あくまでも参考程度でお願いします。
- パんだ パンだ(@Josquin)
- ベストアンサー率30% (771/2492)
#2です。補足ですが・・・ 旧約聖書ですので、このことついては、キリスト教だけでなく、イスラム教、ユダヤ教も同じ考えです。
- パんだ パンだ(@Josquin)
- ベストアンサー率30% (771/2492)
旧約聖書の創世記に 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 という部分があります。
- dai-annsitu
- ベストアンサー率31% (46/147)
詳しい・・と言うわけではないので「憶測」的な書き込みで恐縮ですが。 キリスト教は「神」を唯一神とする宗教ですよね。世界にはキリスト教以外にも様々な宗教がありますが、地域に土着した宗教の中には、自然を「神」として崇める宗教もあります。その様な宗教観を持った人たちにキリスト教を布教する際、キリスト教が「絶対」である為に、「人間に自然の支配を許した」のではないのでしょうか? ちなみに、私は「無神論者」です。政治や教皇の都合で曲げられてきた宗教なので、イマイチ信用に欠ける・・というか。聖書は『日々の戒め』とか『ことわざ辞典』の様な感じです。